第17話 偶像少女と陸上少女①

 週が開けてすぐ、月曜日が私たちの取材のオンエア日だった。

 私は珍しく早起きをして、滅多につけないテレビをつけてテレビの前に腰掛けた。寝ぼけ眼を擦って濃いコーヒーを入れれば、すぐに私たちが特集されたコーナーの時間になった。


「今日のトピックです――」


 そんなアナウンサーの明るい声とともに画面が切り替わって、きくの湯がデカデカと映し出された。

 おお、きくの湯だ。こんな外観も撮ってたんだな。

 次々と場面は変わって、お風呂場の様子だったり――男湯の映像だった。男湯は壁に描かれた絵が違うのを初めて知った――休憩室の様子だったりが映されて、とうとう私たちのインタビューの様子が放送された。


「地域に貢献するのを目標に活動しています」


 画面の中の私が、テレビ局の大人たちに読まされただけの発言をしていた。地域に貢献なんてちっとも思っていない。

 私が映ったのはその一瞬だけで、それ以外はほとんどリオンちゃんの映像だった。やっぱりリオンちゃんは華がある。私みたいなブスを映すより懸命だろう。

 テレビに映ったリオンちゃんに見とれていると、あっという間にきくの湯の特集は終わって、次の映像に移っていた。

 内容は全体的に腑に落ちなかった。湯けむり部の活動も、日本の文化を守るいたいけな少女たち、みたいな描かれ方をされてたし、きくの湯自体も経営の苦しい中、日本の文化を後世に残すため~、などと過分にデコレーションされていた。これがメディアか。テレビだ、すごい! とはしゃいでた私たちがバカみたいじゃないか。

 私は画面の左端に表示された天気だけを確認してテレビを消した。

 はぁ、今日も雨か。

 湿度の高さのせいではねた髪を整えて、顔を洗って、ダイニングに移動して食パンをかじる。いつも通りの準備をして家を出た。テレビを見るために早く起きた分、家を出る時間も少し早い。

 雨だし、ゆっくり行こう。そう決めて、傘を差して歩き出した。梅雨入りした関東の天気は、基本曇りか雨。私は桜みたいにジメジメした天気が好きじゃないから、梅雨は一番嫌いな時期だ。今週末にようやく晴れるらしい空を見て、舌打ちを一つ。早く晴れろよ、なんて悪態をついても一向に天気は良くならない。それどころか少し雨足が強まった気がした。


 ◇


 学校の昇降口で傘の雨粒を払い、水を吸って重くなったスニーカーを脱いだ。靴下まで濡れていて、上履きを履いたときにヒンヤリと冷たさがつま先を襲った。その感覚が嫌いで、上履きの中で足の指をモゾモゾと動かした。そうすると、指と上履きが擦れてキュッキュッと音を鳴らした。乾いていたらならない音に梅雨を感じる。

 階段を上がってすぐ、私はリオンちゃんを見つけた。


「リオンちゃん、今朝テレビ出てたよね! 見たよ!」

「あ、ありがとうございます……」


 リオンちゃんは分かりやすく絡まれていた。リオンちゃんはその秀麗な顔を顰めて、迷惑そうにしていた。いかにもイケイケな女子たちに囲まれて逃げ場はなさそうだ。あしらってその場から去ろうとしても、道を塞がれてしまって質問をぶつけられていた。

 私は意を決してその輪の中に飛び込んで、リオンちゃんの腕を掴んで駆け出した。


「きゃっ!? え、あれ、ゆいちゃん!?」


 まっすぐな廊下を駆け抜けて、リオンちゃんをイケイケ女子の群れから引き剥がした。気分はさながらウサイン・ボルトだ。こんなことを言ったら陸上ガチ勢の香澄ちゃんに怒られてしまいそうだけど。

 廊下が途中で折れ曲がったところで、私たちはスピードを緩めて止まった。


「びっくりしたぁ。急に腕引っ張るから不審者かと思っちゃった」

「ごめん、どうすればいいか分かんなくて」


 頭を下げた私にリオンちゃんは笑って、いいよと言ってくれた。


「チャイムがなるまでここで隠れてよっか」


 膝に手をついて肩で息をするリオンちゃんのつむじを眺める。私はテレビ撮影のあった土曜日のことを思い出していた。


 ◇


「実はね、さっき芸能事務所の人にスカウトされちゃったんだ」


 桜に声をかけられたリオンちゃんは突然そんなことを言い出した。ほらこれ、と名刺を見せられた。


「「「ええええ!?」」」


 三人の驚きの声が揃った。

 名刺には私でも知っている事務所の名前と、代表取締役氷見良(ひみりょう)と書かれていた。


「芸能事務所って、アイドルデビューってこと!?」


 桜ちゃんが口角泡を飛ばして、早口にまくし立てた。私もさっきの妄想が現実となってしまい、開いた口が塞がらなかった。


「すぐにアイドルデビューってわけじゃないみたいなんだけど」


 リオンちゃんは少し言い淀んで、また話し出す。


「この氷見さんが私たちのブログを見てたみたいで、研究生としてウチに来ないかって」


 と言うことは、さっきリオンちゃんと話していた総白髪のあの大男が氷見ってことか。東京から離れた関東の片田舎に、わざわざ代表取締役が来るなんて、よく分からないがイレギュラーなことだろう。


「じゃあ、リオンちゃんは事務所入るの?」


 今まで驚いて声を出せずにいた香澄ちゃんが、唾を飲み込んでようやく発言した。


「いや、まだ分かりません。親と話し合ってみるつもりです」

「そうなんだ……」


 香澄ちゃんには敬語で話すリオンちゃん。香澄ちゃんは敬語が抜けないことに少し寂しそうな表情をした。


「こんなチャンス絶対ないよ! 入るべきだよ!」


 桜はこの中の誰よりも興奮していた。テンションはともかく、私も桜と同意見だ。またとない絶好の機会だろう。


「いいのかなぁ」


 思案顔でうーんと唸るリオンちゃん。何を迷う必要があるんだろう。アイドルになりたいと言ってたんだから、入るべきだと思うのだが。


「ここで逃げたらもう二度とチャンスはないかもよ」


 言外になにビビってんの? と香澄ちゃんが言う。今までよりも語気が荒い。もしかして、自分にだけ敬語を使われて怒っているんだろうか。香澄ちゃんの目はまっすぐにリオンちゃんを射抜いていた。


「そうですよね……」


 その矢のような香澄ちゃんの視線を受けて、リオンちゃんはたじろいだ。が、すぐに意を決したようにキッと香澄ちゃんを見つめ返して言う。


「私、やってみる」


 その言葉に香澄ちゃんはニッコリと微笑んだ。


 ◇


「ご両親にあの事話したの?」


 私は息を整えているリオンちゃんに尋ねた。リオンちゃんは大きく深呼吸をして答えてくれた。


「詳しいことは皆がいるとき話すけど、うん。私、やるよ」


 キラキラとした目でリオンちゃんはそう言った。覚悟に満ちたその瞳は、やりたいことの無い私には眩しすぎた。


「あ。じゃあ、ゆいちゃん、また後でね」


 そんなときチャイムが鳴った。始業五分前だ。昼休みに一緒にご飯食べよう、と言い残してリオンちゃんは廊下の奥へと消えていった。

 私もリオンちゃんの影を追って教室へ向かう。

 週始めの気怠い午前中の授業を四時間くぐり抜けて、ようやく昼休みなった。私は前の席の桜に声をかけられて、お弁当を持って屋上に向かった。

 屋上に向かう最中で香澄ちゃん、リオンちゃんと合流して、弧の大きい螺旋階段を登った。


「今日雨だから屋上行けないじゃん」


 螺旋階段を登る途中で香澄ちゃんが思い出したように呟いた。


「あ、確かに」


 雨だということをすっかり忘れていた私たちは、螺旋階段の踊り場で立ち往生した。


「どうする?」

「ホールでいいんじゃない?」


 桜の提案に四人が歩き出した。ホールというのは生徒が自由に休憩できたりする大きなスペースのことだ。

 ホールには雨というのもあって、沢山人がいた。その中から端の誰も座っていないスペースを見つけて、そこに座った。六人がけくらいのスペースを四人で座ってしまうのは気が引けたが、構わず使うことにする。


「リオンちゃんさ、親に話したの?」


 香澄ちゃんがお弁当を開けながらリオンちゃんに聞く。


「うん。話したよ。あの事務所入ることにしたよ」


 今朝のキラキラした目でリオンちゃんが言う。


「そっか」


 香澄ちゃんが嬉しそうに微笑んだ。気づけばリオンちゃんの敬語も取れている。よかったね、香澄ちゃん。

 桜はうんうんと大きく頷いて、よく言った、と満足気にご飯を頬張っていた。


「それでね。氷見さんに電話したら、レッスンがあるみたいで、土日は湯けむり部行けなくなっちゃうんだけど」


 申し訳なさそうにリオンちゃんは目を伏せた。


「レッスンかぁ。しょうがないよ。頑張って!」


 桜が元気よく言った。


 レッスンって何をするんだろうか。


「ダンスとか歌の練習らしいよ」


 私の疑問にリオンちゃんが答える。研究生は色々と基礎からみっちり鍛えられるらしい。大変なんだな。


「大変そうだけど、楽しみだよ」


 弾けそうな笑顔でリオンちゃんは言う。


「頑張ってね」


 私は素直にそう言った。努力が実って、見事リオンちゃんがアイドルデビューできたら、私はオタク第一号としてリオンちゃんを見届けよう。


「んふふ、ありがとう」


 代表取締役が直接スカウトに来るくらいだし、きっとすぐにデビューできるだろう。

 なんだか私までワクワクしてきた。


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