第4話 湯けむり部!②
「へぇ、こんなところに銭湯なんてあったんだ」
学校の前のバス停から銭湯前のバス停で降りて、少女を案内する。松葉杖ちゃんは体重を杖に預けて、『きくの湯』の暖簾を眺めていた。
それにしても、バスの中の沈黙はしんどかった。ここが地獄だとも思った。きっとバスの中で自己紹介でもすればよかったのだろうが、桜ちゃんとのシミュレーションではそこまでしていなかった。
「入って大丈夫なの?」
「う、うん」
少女は松葉杖を器用に動かして暖簾をくぐった。私も後ろから付いて行って暖簾をくぐると、入ってすぐ左にある番頭台で桜ちゃんと松葉杖ちゃんが話していた。
「え、加賀さんっていわこうなの?」
「そうだよー。私も湯けむり部なんだ」
私も湯けむり部なんだ、ってなんと白々しい。お前が連れて来いって言ってたくせに。そんなことを考えていたら、桜ちゃんと目が合った。桜ちゃんはニヤリと笑って随分と嬉しそうにしていた。
私は靴を下駄箱に入れて、松葉杖ちゃんとは別れて、休憩室のソファに座った。松葉杖ちゃんは鞄をロッカーに預けて女湯の暖簾をくぐっていった。
ソファに座ると、ちょうど番頭台に座る桜ちゃんと目が合った。桜ちゃんは番頭台から下りてきて、ソファの隣に腰掛けた。
「
「あの子小松っていうんだね」
「え、一週間もあったのに名前知らないの!?」
「ちゃんと話したの今日が初めてだし」
「え! うそ!」
嘘じゃねぇし。私のコミュ力舐めんなよ。というか、今の短時間で名前を聞き出せる桜ちゃんがおかしいのだ。
「どおりで連れてくるまでに時間かかったわけだ」
「私にしては頑張った方だよ」
「ほんと緊張しいだね、ゆいちゃん」
自分でも何とかしようとは思っているんだけれどね。
「あの子部活入ってくれそう?」
「さぁ? ケガが治ったらすぐ元の部活に戻るでしょ」
「ドライだなぁ。ゆいちゃんじゃあるまいし」
何おう? 失礼なヤツめ。
「あ、そう言えば温泉じゃなくてもケガって治るの?」
「どうして?」
「銭湯でもケガは治るって誤魔化して来ちゃった」
「ケガにもよるよね。聞いてこよっか」
「え」
そう言うや否や、桜ちゃんはソファから立ち上がり女湯に入っていってしまった。相変わらず猪突猛進なヤツ。
「きゃああ!!」
数秒後、女湯からは悲鳴が聞こえてきた。まぁ、いきなり入ってこられたらビックリするわな。
「てへへ、水掛けられちった」
びしょ濡れになった桜ちゃんが戻ってきた。しずかちゃんのお風呂を覗いたのび太くんかよ。
「ケガしてなかった。あの子」
「え? 松葉杖突いてたじゃん」
「松葉杖は脱衣所に置いてあったし、普通に歩いてたから、なんか理由があんのかな。触れちゃまずいと思って、何も聞かずに戻ってきちゃった」
ケガをしたフリなのか、それともただ外傷が目立たないだけなのか。彼女のことを何も知らない私たちには何とも言えなかった。
「あの子中学の卒業式から松葉杖だったみたいだよ」
「もう一か月も前じゃん。松葉杖って一か月もする?」
「さぁね。クラスの人に聞いただけだし、松葉杖突いたことないから分かんない」
いつの間にそんな話を聞いていたのやら。桜ちゃんの用意周到さに驚くとともに、あの小松という少女への謎がますます深まっていく。
私たちはビン牛乳を飲んだりしながら、彼女が風呂から上がってくるまでの時間を潰した。
◇
「いやぁ、いいお湯だったぁ」
風呂から上がった小松さんは、濡れた茶髪を松葉杖を突いたまま器用に拭いていた。
私と桜ちゃんはソファに座ったままその様子を見て、顔を突き合わせて視線で会話していた。その内容は、ケガのことを聞くか否か、だ。数瞬の間ののち、桜ちゃんは口を開く。
「小松ちゃん、そのケガどうしたの?」
「……」
そこまで広くない休憩室に重苦しい空気が充満する。帰っていいかしら。とっても居心地が悪いわ。
「いやぁ、練習で骨折しちゃって……」
「えぇー、普通に歩いてたじゃん」
桜ちゃんは笑顔で言い放つ。こ、怖ぇ。女の怖さがにじみ出てるよ。
「……」
桜ちゃんの言葉に、小松さんは押し黙ってしまう。空気がさらに重くなる。
「わ、私用事を思い出した! か、帰るね!」
私はあまりの居心地の悪さに、ソファから飛び上がって帰ろうとするも、右腕を桜ちゃんにガッチリと掴まれて、脱出に失敗した。
「あはは、ばれちったか。陸上部の顧問には言わないでね」
小松さんは乾いた笑いとともにそう言った。
「良ければ私たちに教えてよ」
「うん」
「ここじゃなんだし、私の部屋行こっか」
桜ちゃんに腕を掴まれたまま、桜ちゃんの部屋に連行される。え、どういう状況なんすか? 三人でお話すんの? 私も?
◇
「小松ちゃんはオレンジジュースでいい?」
「あ、私お茶がいいな」
「はいよ。ゆいちゃんはオレンジジュースね」
「う、うん」
桜ちゃんの部屋に来ると、やっぱり飲み物を聞かれた。私はもうオレンジジュースで定着してしまったらしい。小松さんに便乗してお茶にしてもらえばよかった。
「……」
「……」
桜ちゃんが部屋からいなくなってしまったことで、気まずい沈黙が流れる。小松さんはローテーブルの前に座って、スマホをいじっていた。部屋の角に座る私からは(すっかりもう私の定位置だ)、横顔しか見えない。
「はーい、お待たせー」
「ありがとう」
「ん」
桜ちゃんが戻ってきて、ローテーブルに飲み物が置かれると、桜ちゃんが口を開いた。
「それで、なんで小松ちゃんはケガしてるフリなんかしてるの?」
「
「うん。どうせお客さんも来ないしね」
私は二人の会話を黙って聴く。
「私もともと、高校で陸上部に入る気はなくてね」
「え、中学の時に全国出てるのに?」
なんと、全国に出場できるような人だったのか。後でサイン貰わなきゃ。にしても、桜ちゃんはどこからそんな情報を仕入れてきたのだろうか。
「中学の終わり頃に自主練で骨折しちゃって、しばらくは陸上はやるなって言われちゃってね」
「でも治ったんでしょ?」
「うん。あっさりとね。」
「じゃあなんで、ケガしたフリを?」
「冷めちゃったんだ。一か月陸上から離れてたらね、練習もしなくていいんだって」
なるほど。確かに全国まで出場したら私だったら満足しちゃうかも。しかし、それは今ケガをしたフリをする理由にはならないのではないだろうか。ベッドに座る桜ちゃんも、私と同じように感じたのか、不思議そうな顔をしている。
「高校の先生がね、私が入るのを心待ちにしてたみたいで、それを無下にもできないからケガしたフリしてやり過ごしてるんだよね」
「じゃあもう、香澄ちゃん的には陸上やりたくないんだ」
納得した顔で桜ちゃんはオレンジジュースを飲み干した。
「やりたくないわけじゃないんだけどね。一回ケガしたフリしちゃったら、今更引っ込みもつかないというか」
たはは、と小松さんは苦笑した。
「じゃあ、しばらくうちの部活に参加してよ。部員足りなくて困ってるんだ」
「湯けむり部、だっけ?」
桜ちゃんはすかさず勧誘する。なんて図太い。
「いいよ。兼部なら陸上部さぼるいい理由になるし」
私が勧誘したときは何度か断られたのに、こんなにもあっさりと行ってしまうとは。もしかして、これは桜ちゃんの思惑どおりだったりするのだろうか。いつの間にか小松さんの名前や、陸上で全国大会に出場してることを調べていたらしいし。だとしたらなかなかに腹黒いぞあの女。すべては桜ちゃんの掌の上ってことなんだろうか……。コワイ。
「あ、そうだ、湯けむり部でグループ作ろうよ。連絡用にさ」
小松さんが言い出したことに、私は疑問符を浮かべる。グループって言うと、ラインのグループのことだろうか。友達なんていたことのない私には未知の世界だった。
「いいね! はいこれ、私のQRコード」
桜ちゃんはどうやら小松さんと連絡先を交換しているらしかった。
「ええと……」
小松さんがこちらに振り向いた。そういえば自己紹介すらしていないことに気が付いた。
「あ、私、金澤ゆいです」
「ゆいちゃんね! ゆいちゃんも連絡先教えて」
なんてこったい。名前を教えてすぐに下の名前で呼んでくるとは。ま、まぶしい。
「……?」
小松さんはフリーズする私に、不思議そうな顔を向けていた。
「あぁ、その子人間と話すとこうなっちゃうんだ。ごめんねぇ」
私が口をパクパクさせていると桜ちゃんがオレンジジュースを差し出してくれた。だから私甘い飲み物好きじゃないんだって、と心の中で思いつつオレンジジュースを一気に飲み干した。
「あ、そう言えばゆいちゃん、私とも連絡先交換してなかったよね」
桜ちゃんに言われて初めて気が付いた。今までは教室で会えるから必要なかったというのもあって、交換していなかったのだ。
「ゆいちゃん携帯出して」
「ほ、ほい」
「よし、オッケー。香澄ちゃんに連絡先送っとくからね。グループにも招待しといたから」
矢継ぎ早に言われて何が何だかわからなかったが、スマホの画面には小松さんから送られてきた『よろしく!』というメッセージと、新しいグループに招待されたことが通知されていた。小松さんには何を返信したらいいか分からず、一番上にあったスタンプを送った。謎の生き物が笑っているだけのスタンプだった。
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