第3話 湯けむり部!①

 私たちの部員集めが本格的に始まった。桜ちゃんは昼休みに同じクラスの人や、他のクラスにいる同じ中学校だった人に声を掛けているみたいだが、人に話しかけられない私の活動は、放課後に、目を引くように工夫を加えたビラを新しく貼りなおすことだけだった。


「これで『湯けむり部』にも新入部員がくるはずさ!」


 桜ちゃんは新しく貼り換えたビラを眺めて、満足気に頷いた。ちなみに湯けむり部というのは桜ちゃんが温泉部を改めた名前で、この方が可愛いし目を引くからと命名した。どこら辺が可愛いのかはさておいて、私もこの名称は気に入っていた。何より語呂がいい。

 ビラには相変わらず私の描いた絵がいる。これのせいで部員が集まらないなんてありえそうで怖い。


「じゃあ、今日の活動はこれで終わり!」

「え、もう終わりなの?」

「うん! 私、家の手伝いあるから、また明日ね! バイバイ」

「また明日……」


 嵐のような少女だ。忘れていたが彼女はあの銭湯の一人娘だった。家の手伝いかぁ。私の親は普通のサラリーマンだから、手伝いなんて皿洗いと風呂掃除くらいだった。

 さて、桜ちゃんが急に帰ってしまったがために、手持ち無沙汰になってしまった。この微妙に空いてしまった時間をどう埋めようか。せっかく高校生になったんだから、放課後何もせずに家に帰るのは避けたいし、かと言って一人でカフェに寄る勇気もないし。

 このまま部員が集まらなかったときのことを考えて、他の部活でも見学に行こうかしら。そもそも、部長になるであろう桜ちゃんが、家業の手伝いで毎日早く帰るとなったら温泉部は成立しないのではないだろうか。言い出しっぺがいない集まりなんて地獄に決まっている。

 というわけで、部活見学だ。いざとなった時のためのキープを探しに行かなくては。


 ◇


 私の通う岩浦高校、通称『いわこう』は、坂の上にあって、グラウンドからは坂の下にある城跡がよく見える。お城と言っても天守閣のあるような立派なものではなく、小さな堀と石垣っぽい何かがあるだけの公園になっていた。

 そんな公園を見下ろしながら、私はグラウンドに繰り出して運動部の汗臭い声を聞いていた。正直、日の光は嫌いだった。いくら春の夕方と言えど、あまり長くはいたくない。逃げるようにして木陰の方に行くと、私と同じように影で涼んでいる少女がいた。

 近づいて観察してみる。背はすらりと高く、桜ちゃんが隣に立ったら肩にも届かないんじゃなかろうか。背が高い分足も長く、ジャージのハーフパンツから伸びる脚は小麦色に日焼けしていて健康的だったが、足首に巻かれた包帯がその健康さを損なっていた。回り込んで見ると、彼女の体に隠されていた松葉杖が見えた。骨折でもしたのだろうか。となれば彼女はケガで部活を見学しているのかもしれない。少女はグラウンドをジッと睨みつけるように見つめていて、近づいてきた私に気付く様子もない。風に揺れる茶髪は染めている様子もなく、生まれつきの色みたいだ。目鼻立ちはキリッとしていて、可愛いというより、綺麗な顔立ちで羨ましい。目もダークブラウンの瞳で、澄んだ宝石のようだった。

 こちらを見る、その瞳に吸い込まれてしまいそうで、その宝石をずっとのぞき込んでいたいと思った。

 ん? 『こちらを見る』?


「あ……」


 少女がこちらに振り返って私を訝し気に見ていることに、今更気付く。目が合っていたことに、申し訳なさと恥ずかしさを感じて、体から火が出そうだった。私は咄嗟に視線を外して、ダッシュで逃げ出した。きっと私の今の逃げ足はメタルスライムさえも凌ぐだろう。そのくらい全力で逃げた。


 ◇


 次の日の放課後も、私は桜ちゃんに取り残されていた。そんな日がしばらく続いて、一週間、私は他の部活の見学に行っていた。あの少女は放課後は毎日ずっと木陰にいて、私がそれを遠くから観察するのがルーティンになっていた。一週間が経っても彼女の包帯はとれる気配はなく、ずっと松葉杖を遊ばせていた。

 私はこの一週間、ただ部活動を眺めていただけではないことを断わっておこう。あのグラウンドを睨みつけている少女を、何とかして湯けむり部に取り込めないかと桜ちゃんにも相談して、画策していたのだ。しかし、桜ちゃんと一緒に彼女に話しかけるシミュレーションをしても、いざ実行できるかと言われれば話は別だ。私のコミュニケーション能力を舐めないでいただきたい。躊躇せずに話しかけられるのは蟻が限界だ。蟻さんの行列を眺めて今日もいい天気だねって声を掛けるのが精一杯だ。返事は決まって返ってこないが。

 話が逸れた。つまりはあの少女にどうやって声を掛けようかということだ。あの少女を蟻と思い込めば話しかけられるだろうか。けれど、今まで人前に立って発表するときに、観客たちを野菜だとは思いこめなかった私だ、きっと蟻だと思い込むのは無理だ。そんな器用じゃないし、できるならハナからそうしてる。

 今日も私は遠くから松葉杖の少女を遠くから眺めていた。傍から見たら憧れの人を影から見ている乙女のようだが、その実態はただのストーカーだ。ふへへ、松葉杖ちゃん今日も可愛いよ。じゅるり。

 なんてふざけたことを考えて緊張を紛らわしているが、心臓はものすごい速さのビートを刻んでいる。息を吸って、吐いて、もう一度吸って吐く。足も震えるが何とか動かして少女のもとへ向かった。


「あっ、あのっ! ええと、その……」


 喉からは下手くそな管楽器のような声が出た。顔や耳はおろか、指の先まで熱い。背中を冷たい汗が伝う。緊張のあまり、松葉杖の少女の顔は見れなかった。私の視線はずっと彼女の左足首の包帯にあった。


「……」


 唾を飲み込む音が耳の奥で響く。グラウンドの音が全て消えてしまったかのような錯覚に陥った。


「えっと、こないだの人ですよね」


 想像よりも細く高い声が上から降って来た。私は恐る恐る首を持ち上げた。


「あ、えと……あ」


 シミュレーションはしていたはずなのに、相手も話しかけてくれて歩み寄ってくれているのに、私はうまく喋れない。蟻と思えば……。


「きぅっ、今日も天気がいいですね」


 冷や汗が止まらなかった。今時誰もこんなこと言わねぇよ。笑顔もひきつって、頬が今までに感じたことのない痛みを訴えている。


「今日曇りですよ……?」


 知ってらぁよ。常に下を向いている私だって天気くらい分かるわ。私だって言いたくて天気の話をしてるわけじゃないのよ。


「ぶ、部活……」

「部活?」


 嗚呼、口が回らない。いったん落ち着くために深呼吸をする。人と話すことがこんなにも難しいとは。テレパシーが使えたらいいのにと本気で思う。口達者ならぬ脳内達者な私としてはテレパシーが欲しい。ギブミーテレパシー。


「部活に入りませんか」


 声は死ぬほど震えたものの、ようやく会話らしい発言ができた。言葉足らずなのは自分でも分かっているから、知らないふりをして優しくしてくれると金澤は嬉しい。


「ごめんなさい。私、部活入ってるから」


 私の勇気を振り絞った告白はあっけなくフラれてしまった。しかしここで食い下がるほど甘くはない。加賀桜の被害者を、もとい、私の協力者を増やさねばならないという使命が私にはあるのだ。


「兼部でもいいんですけど……」

「えぇ……」


 少女は露骨に迷惑そうな顔をする。が、ここで逃がすわけにはいかない。暴走列車こと加賀桜を私一人で面倒見るには荷が重すぎる。だから私はこの少女にとってとっておきの切り札を用意してきた。


「わ、私たちの部活に入ればそのケガも治ります!」


 そう、これが切り札だった。

 見るからにケガをして部活に出られていなさそうな彼女は、ストレスが溜まっているに違いない。そこにケガが治るという蜘蛛の糸が垂らされたら、掴みたくなるのが人間の心理というものだろう。多分。この案は桜ちゃんからの提案だった。


「ケガが治る……?」


 私は無言で首を縦に振った。


「どういうこと?」

「と、湯治ってご存知ですか?」


 今度は彼女が首を縦に振った。


「知ってるけど、それが部活に関係あるの?」

「わ、私たちは湯けむり部ってやつでして」

「湯けむり部?」

「う、うん」

「温泉に入る部活ってこと?」

「そ、そうです」


 部活を見学しているだけじゃやはり暇なのか、意外にも私の話に食いついてくれた。


「ふーん。ケガがほんとに治るなら面白そうだなぁ」

「ぜ、ぜひご一考を」

「でも私こんな足だから、どこにも行けないよ?」


 よしよし、ここまでは桜ちゃんに言われた通りにことが進んでる。


「近所の銭湯までバスがあります」


 これは桜ちゃんに教えられるまで私も知らなかった。帰りがけに確かめてみたら、確かに退色したバス停が立っていた。


「銭湯なんてあったっけ?」

「う、うん」

「温泉じゃないけど、効果あるの?」


 私は言葉に詰まる。確かにあの銭湯は温泉を引いているわけではない。ボイラーで水を温めているだけに過ぎない。


「ぐ、あ、ええと……、あ、普通のお風呂でも血行が良くなって代謝が良くなるのでケガにも良いはずです」


 この間テレビでやっていたことをそのまんま話しただけだった。血行は良くなるだろうが、それが彼女のケガに良いかどうかは知らない。捻挫とかだったらむしろ腫れが酷くなったりするんじゃなかろうか。


「そうなんだ。行ってみようかな」

「ぜひに!」


 やったぞ。これで桜ちゃん被害者の会もとい、湯けむり部の部員確保へ一歩近づいた。


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