第19話 桜前線①

 香澄ちゃんの大会も終わり、桜の体調も戻り、ようやく湯けむり部に日常が戻ってきた。目まぐるしく動いていた風景もだんだんとスローダウンしていくように感じた。


「それでさ、ゆいってばヘルメット持ったままでさ」

「あははは!」


 教室に桜とリオンちゃんの笑い声が響いた。

 平日もお客さんが増えて、休憩室には居られないし、桜の部屋も狭い、ということで珍しく私たちは学校の教室で集まっていた。全校生徒が部活に所属している『いわこう』だからこそ、放課後は教室に人が残っておらず、こうして使えるわけだ。


「リオンちゃんはレッスンどうだったの?」

「びっくりするくらいハードだったよ。先生もめちゃくちゃ厳しくて」

「へぇー」


 私たちは他愛もない会話を交わしていた。この一週間は皆が別行動をしてたため、お互いに何をしてたかを情報交換していた。

 私が見に行った大会で、香澄ちゃんは標準記録を突破し、見事関東大会へ駒を進めた。半月くらいの練習で半年のブランクを埋めて準優勝してしまう香澄ちゃんは、やはり天才なんだろう。今までケガしたふりしてたのがもったいない。


「桜ちゃんはもう体調大丈夫なの?」

「うん、バッチリだよ!」


 リオンちゃんが桜に尋ねて、桜はそれに笑顔で答えた。桜はあんなに弱ってたのが嘘みたいにピンピンしていて、いつも通りの元気な桜に戻っていた。

 場所こそ違えど、久々の湯けむり部らしい光景に何だか嬉しくなった。

 ほのぼのと会話をしていると、突然桜のスマホが鳴った。


「お母さんだ。もしもし」


 私たち三人は声を潜めて桜の会話に耳をそばだてた。


「もしもし、桜? お客さんが多くて大変だから手伝いに帰ってきてくれないかしら」


 そんな桜のお母さんの言葉に私たち三人は、私たちも手伝おう、とアイコンタクトを交わした。


「うん、分かった」


 桜が電話を切った。私たちはもうきくの湯に行く準備はバッチリだった。


「それじゃあ、行きますか」

「「「おー!」」」


 ◇


 桜が倒れたときはしんどかった作業も、四人でやれば楽に終わる。リオンちゃんが表に出てきてしまうと男性客がパニックになってしまうかもしれないので、リオンちゃんは裏方にまわり、香澄ちゃんが力仕事を、私と桜で細々とした作業をすれば、桜のお母さんが休めるくらいにはスムーズに進んだ。


「こんなにお客さん増えてたんだね」


 テレビで放送されてから、一週間きくの湯に来てなかった香澄ちゃんが感嘆のため息を漏らした。


「すごいよね。これもテレビとリオンちゃんのおかげ」


 桜が香澄ちゃんの横で笑った。お客さんでいっぱいのきくの湯を見る桜の目は、三日月型に細められていた。


「ゆい」

「ん?」


 桜に袖を引っ張られた。


「ありがとね」

「何が?」


 突然の桜からの感謝に戸惑ってしまう。


「湯けむり部を一緒に作ってくれて、さ」

「どうしたの急に」


 何をしんみりしたことを言ってるんだろうか、コイツは。ぶっ倒れたせいで壊れちゃったのかな。


「ゆいがいてくれなかったら、こんな風にお客さんいっぱい来てないよ」


 そうだろうか。私がいなくても、桜の行動力ならやってのけてしまいそうな気がするけど。


「そんなことないよ。ゆいが隣にいてくれたからやれたこともいっぱいあるよ」

「赤信号、皆で渡れば怖くない。みたいな?」

「いや、それはちょっと違う気がするけど」


 違ったらしい。


「私より、香澄ちゃんとかリオンちゃんとかの方が影響大きいんじゃない?」

「いやいや、ゆいがいなきゃ出会えてないよ」


 そうかなぁ。


「そうだよ」

「ふーん」


 桜がいきなりそんなことを言い出した意図は見えなかったが、私は適当に頷いた。照れくさくてまともになんか反応できなかった。

 夢――きくの湯をお客さんでいっぱいにすること――が叶って変なテンションになっているんだろうか。妙な絡み方をされてしまって、むず痒い。

 夢が叶うって、そんなに嬉しいもんなのかな。

 改めて考えてみれば、桜はこのとおりお客さんがいっぱい来て、リオンちゃんは芸能事務所に所属できて。皆夢を叶えたり、夢に向かって進んでるだな。なんか、何もしてない私がちっぽけに思えてきた。香澄ちゃんの夢はどんななんだろう。


「ねぇ香澄さんや」

「ん、どうしたの?」


 私は気になって聞いてみることにした。


「香澄ちゃんの夢って何?」

「夢? んー、今は全国大会にもう一回でること、かなぁ。どうして?」

「や、なんでもない」


 香澄ちゃんも関東大会に出場することが決まっている。

 やっぱり何もできてないのは私だけだった。けど、何をしたらいいんだろう。夢なんてないし。

 うーん。

 頭を捻っても何も浮かばなかったので、私は仕事に没頭することにした。


 ◇


「ようやくお客さん落ち着いてきたね」


 桜が洗いたてのタオルを置いて、ふぅっと力を抜いた。


「皆、ありがとうね」


 桜のお母さんが番頭台からそう言った。


「いえいえー。こんくらいお易い御用ですよ」


 香澄ちゃんがグルグルと肩を回した。私も真似して肩を回せば、バキバキと凝り固まっていた肩が小気味いい音を鳴らした。かれこれ三時間ほど働いて、時刻八時前。お腹も空いて、そろそろ体力の限界だった。


「これでご飯でも行ってきたら?」


 そうだ、と言って桜のお母さんは番頭台の横のキャッシャーから一万円札を二枚取り出して、桜に手渡した。


「えっ、いいの!?」

「いつも皆には手伝って貰ってるしね。無賃で働かせるなんて申し訳ないわ」


 せめて美味しいものでも食べてちょうだい。と、桜のお母さんは微笑んだ。


「どこ行く? 寿司? 焼肉?」


 桜ちゃんがはしゃぐ。こうやっていると、見た目の幼さも相まってほんとに小学生みたいだ。

 私たちはエプロンを脱いで、きくの湯を出た。


「どこ行こうか」

「私は焼肉がいい!」

「異議なし」

「異議なーし」


 四人横一列になって、暗くなった住宅街を歩く。歩きながら話し合った行き先は、満場一致で焼肉となった。

 二十分程歩けば目的の焼肉屋さんに着いた。排気口からはお肉のいい匂いがして、労働してペコペコのお腹にクリティカルヒットだった。


「「「「うまぁぁぁ!」」」」


 注文して運ばれてきた肉を焼いて、早速口に放り込む。労働の後の焼肉は格別だった。


「やっぱお肉は最高だねぇ」

「最強の贅沢だね」


 談笑しながら食事を楽しむ。楽しい食事の時間はあっという間に過ぎた。


「やー、食べた食べた」


 店から出て、来た道を戻る。はずだったが、私たちは少し帰り道から逸れて公園に来ていた。


「美味しかったねぇ」


 リオンちゃんがブランコをギコギコと漕ぎながら言う。


「食べ過ぎたぁ」


 私の隣で桜は柵に腰掛けてグロッキーになっていた。テンションが上がって食べ過ぎてしまったのだ。


「あんなに食べて、太るよ」


 香澄ちゃんの心無い一言に、桜はもっとグロッキーになる。


「頑張ってダイエットするもん……」

「あはは」


 項垂れた桜を見て二人は笑った。夜の闇にその声は吸い込まれていった。


「あ、そうだ!」


 香澄ちゃんが声を上げた。


「せっかくだし皆で写真撮ろうよ」


 香澄ちゃんは制服のポケットからスマホを取りだし、振ってアピールする。


「そういえばまだ四人で撮ってなかったっけ」

「撮ろう撮ろう」


 グロッキーだった桜も復活して、三人が顔を寄せる。


「ゆいちゃん、早く」

「え?」

「もしかしてゆい、写真撮ったことない?」

「うん」

「「「え、うそ!?」」」


 三人の声がシンクロした。友達がいなかった私が自撮りなんてするわけなかろうに。


「ゆいちゃんこっち寄って」

「こう?」


 桜たちに促されるままに画面を見つめた。

 ボーッとしている間にカシャリとシャッターが切られて、画面に私たちの写真が映し出された。


「おおー、いい感じ!」

「香澄ちゃん、後でそれ送って!」

 ワイワイと盛り上がる三人。私はそれを眺めて幸せと寂しさを噛み締めていた。

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