第11話 始動、湯けむり部①
「せんせー!」
ともすれば小学生にも聞こえるような幼い声が、高校の職員室に響いた。入部届と、部活設立の書類を握りしめた桜ちゃんが職員室の一角の机に駆け寄っていく。その机に座った教師が、デスクチェアをクルリとまわして桜ちゃんに振り向いた。
「加賀ぁ、職員室なんだからもっとボリューム落として話せ。な?」
嫌味っぽくねちっこい話し方をする教師を、桜ちゃんの肩越しに見る。
「せんせっ! 書類持ってきました!」
「ああ、温泉部だっけか? お、ちゃんと四人集まったんだな」
「はい!」
「湯けむり部、ねぇ。なかなか小洒落たネーミングじゃないの。顧問とか、どうすんの? って言ってもお前らに言っても分かんねぇか。まぁ、俺から声かけといてやるから、心配しなくていいわ。部室は? 今んとこ空き教室何個かあるみたいだけけど」
息継ぎもなしに滔々と話したあと、教師は机のマグカップを手に取った。コーヒーを煽ろうとして、底の方でコーヒーがカピカピになっているのを見て、ため息をついた。無精ひげをなでる様はやけに堂々としていた。
「部室はいらないです。うちの銭湯で活動してるんで!」
「銭湯……。あぁ、加賀ん家は銭湯やってんだっけか。なるほど、そりゃ温泉部らしくていいや」
言っていることはこんなにも肯定的なのに、どうしてこうも皮肉っぽく聞こえてしまうんだろう。この人の気質と言うか、悲しい性と言うか。
「それじゃあ、これからも問題起こさないように活動しろよ」
最後の最後まで嫌味っぽい言葉を掛けられて、職員室を出た。
「やっと四人集まったね」
「そうだね」
ゴールデンウィーク明けの最初の登校日。昼休みの時間を使って、私と桜ちゃんは職員室まで書類を提出しに来ていた。屋上では先にお弁当を広げる香澄ちゃんと暁ちゃんが待っている。
「四人集まったって言っても、活動って何したらいいんだろう」
「お風呂に入る?」
「それだけでいいの? 部活らしいこととか」
「部活らしいこと……?」
「とは言ってもすぐには思いつかないんだけどね。二人待たせてるし、早く行こ」
そうだね、と頷いて駆け出した桜ちゃんを速足で追いかけた。
屋上まで行くと、日の当たらない端っこに二人はいた。香澄ちゃんは菓子パンを大量に広げて、対照的に暁ちゃんは小っちゃなお弁当箱一つだけだった。
「たっだいまー! 書類提出してきたよぉ」
「お、おかえり。おつかれさま」
「おかえりなさい。ありがとうございます」
私たちも二人の間に座って弁当を広げる。
「二人はなんの話してたの?」
「別にー。世間話よね?」
「はい。他愛もない話ですよ?」
他愛もない話か。私にはハードルが高いな。友達と他愛もない話ってどうやるんだろう。話の切り出し方が分からないよな。今日天気いいね、とか? お見合いか。
「金澤さん? 体調悪いんですか?」
「ふぇあっ!?」
私が自問自答していると、視界に女神が現れた。――そう見えただけで、暁ちゃんがのぞき込んできただけだったのだが、急に話しかけられて挙動不審になってしまった。
「気にしなくていいよリオンちゃん。ゆいはいっつも難しそうな顔してるから」
「そうなんですか?」
「うんうん。なんかいつも考え事してるよね。ぼーっとしてると言うか……」
散々な言われようだ。考え事をしてしまうのは小さなころからの癖だし、今更どうしようもないよな。
「金澤さんって見た目が派手だから、もっとグイグイ来る人だと思ってたので意外です」
「え……、私って見た目派手?」
今まで誰にも言われたことのない評価に、目が点になる。――と言っても言ってくれるような友達がいなかったのだけれど。
「あぁ、だよね。第一印象はもっとイケイケの子かなって思った」
香澄ちゃんも暁ちゃんに賛同する。私ってそんな風に見られてたのね。意外な印象に自己評価を修正すると同時に、他愛もない会話というのはこういう風にするのか、と一人納得した。
◇
その日の放課後、私たちはきくの湯に集まった。暁ちゃんは初めてのきくの湯なので少しばかり緊張した表情を浮かべている。
「いらっしゃいませって、桜。おかえり」
「ただいまお母さん」
「こんにちはー」
「お邪魔します」
「こ、こんにちは……」
「湯けむりの皆も、いらっしゃい。あら? 新しい子?」
番頭台に座った桜ちゃんのお母さんは、暖簾をぐぐった暁ちゃんを見つめた。
「はじめまして、暁リオンです」
「桜の母です。ゆっくりしていってね」
桜ちゃんのお母さんは、柔らかい笑みをこぼして暁ちゃんに言う。美人なお母さんを前に緊張しているんだろうが、暁ちゃんだって美人だろうに。
「いやー、今日も授業頑張ったぞぉ!」
そう言って桜ちゃんは休憩室のソファに倒れこんだ。緊張している暁ちゃんには目もくれず、ソファで全力でくつろいでいる。まったく、自由なヤツめ。
「とりあえずお風呂入らない?」
「さんせー!」
香澄ちゃんの提案に桜ちゃんがソファから跳ね起きて、脱衣所に消えていった。
「暁ちゃん、行こ」
「う、うん」
靴すら脱いでいなかった暁ちゃんに声を掛けて、私も脱衣所に入った。
「あ、あの、お代って……」
「大丈夫、大丈夫。あとでキッチリ働いてもらうから」
それのどこが大丈夫だというんだろう。たまにさせられる風呂掃除はそのためだったのか。
「そうなんですね……」
暁ちゃんは困惑顔のまま服を脱ぎ始めた。桜ちゃんと香澄ちゃんと私の三人は、お互いの裸なんて見慣れてしまってもういまさら気にしないが、暁ちゃんの脱衣シーンは三人全員の視線が集まった。
「え……、なんですか?」
六つの目が一斉に自分に向いたことで、暁ちゃんは体を隠してしまった。一瞬だけ見えた彼女の肌は透き通るように白く、陶器のように美しかった。天は顔に声に身体と、三物も与えてしまったらしい。
私たち四人は浴場の戸を開けて入る。鶯色のタイルが目に飛び込んできて、見慣れた景色に少し安心する。いくら草津やほかの名湯と呼ばれるような温泉に行っても、ここの安心感にはかなわない気がする。
「わっ、広ーい!」
少しだけ高くなった暁ちゃんの声が浴場に響いた。私は感動する暁ちゃんを尻目に、かけ湯をして洗い場に向かう。女子高生四人が洗い場に腰掛けて、一列になって体を洗う様子は、傍から見たらどんな風に映るんだろう。しかもそれが部活の活動だというんだから、不思議に思われるに違いない。
「ねぇねぇ、皆は体洗う時どこから洗う?」
香澄ちゃんが顔に化粧水をつけながら、鏡を向いたまま言う。
「私、右足」
「私は首からです」
「私は左腕かな」
「皆違うんだねぇ」
化粧水をペチペチしながら香澄ちゃんは言う。
「香澄ちゃんはどこから洗うの?」
「私? その日の気分かなぁ」
なんてワイルドな。姐さんってお呼びしていいすっか。
そうして体を洗い終わった四人は湯船に浸かった。
「やぁ、いつ入っても最高だねぇ」
「このちょっと熱めの温度がいいんだよねぇ」
四人が動くたびに水面が揺れる。産まれた波が向こう岸の湯船の壁に反射して、私たちの体にぶつかって溶ける。
「ねぇねぇ、リオンちゃんは将来の夢とかあるの?」
「夢、ですか?」
突然桜ちゃんが振った話題に、暁ちゃんは顔を赤くして振り向いた。
「笑いませんか?」
上目遣いでこちらを見る暁ちゃんは犯罪的な可愛さだった。
「そ、その……、アイ、ドルになりたいんです……」
「「「アイドル!?」」」
予想の斜め上の回答に、思わず私まで声を上げてしまった。
「はい……」
「え、なんでなんで!」
適当に垂らした釣り糸に、思った以上の大物がかかり、桜ちゃんは嬉しそうに尋ねた。
「昔から歌が好きですし、ダンスも得意だから……。何よりテレビで観たアイドルに憧れたってのが大きいです」
「へぇー。オーディションとか受けたりしてるの?」
今度は香澄ちゃんが尋ねた。
「はい。中学生の時に何回か」
「そうなんだ」
「何回か雑誌のモデルに……」
「はぁ!? ……っ、ごめんビックリしちゃって」
うそでしょ。雑誌のモデルやってたのこの子? 確かにめちゃめちゃ可愛いし、私と同じような身長なのに腰の位置が全然違うけど、そんなすごい子だったのね。よく考えたら、香澄ちゃんも全国区の陸上選手じゃないか。すごい子たちに囲まれてしまった。
「桜さんは夢とかってあるんですか?」
「私の夢はこの銭湯をお客さんにいっぱいにすること!」
即答だった。前にも聞いた内容だったけど、ブレない芯の強さに少しだけ憧れを抱いた。
「素敵ですね」
暁ちゃんは微笑んだ。
「香澄さんは?」
香澄ちゃんに話題が振られた。
「んー、何だろうね。昔は陸上選手になりたかったんだけどね」
「あのケガが原因なんですか?」
「まぁそうなんだけど、そうじゃないというか」
香澄ちゃんが複雑そうな顔をして顎を撫でた。
「香澄ちゃんは今はケガしてないんだよ」
「え!? そうなんですか?」
桜ちゃんの言葉に暁ちゃんが驚いた声を上げた。
「そ。陸上部をサボるための口実というか、ね」
そう言って香澄ちゃんは左足を上げて、水面の上でブラブラと振る。なんて大胆な。
「この通り今は何ともないんだ」
「こう見えて香澄ちゃんは全国大会に出場してるんだよ」
桜ちゃんは自分が成し遂げたことのように自慢げに言う。
「えぇっ!? すごいですね!」
また暁ちゃんの驚いた声が響いた。
「なのに今は陸上やらないんですか?」
まぁ暁ちゃんの言いたいことは分かるし、十人いたら十人ともそう聞くと思う。私が香澄ちゃんだったら、と何度考えただろう。
「うーん、顧問からいつ戻ってくるんだー、ってしつこく言われてはいるんだけどね……」
「大会出てって言われてるんだっけ」
「そうそう」
「出るんですか?」
「うーん、出よう、かなぁ……?」
香澄ちゃんは手の中でお湯を遊ばせる。香澄ちゃんのため息が湯気の中に溶けていった。
「ゆいさんは、夢とかあるんですか?」
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