第12話 始動、湯けむり部②
三人の目が一斉にこちらを向いた。
「え、私……? えぇと……」
夢なんて考えたこともなかった。夢って何だろう。やりたいこと? ――小さなしたいことなら見つかるけれど――ケーキ食べたい、とか。
「ない……かも」
「そうなんですね」
「まぁ、そんなもんだよね。私も今はないもん。やりたいこと」
香澄ちゃんがフォローしてくれたが、浴場は微妙な空気に包まれてしまう。なんだか私だけ夢がなくて、悔しさと寂しさが混ざったような気持ち悪さだけが胸に残った。
「そうだ! サウナ入りましょうよ!」
「お、いいね! ゆい行こ!」
「う、うん」
桜ちゃんに手を引かれて、私たちはサウナに向かった。
◇
「あっづぅ……」
「あと二分ですよ」
「お水欲しい……」
「……」
蒸し暑い室内に閉じ込められて、私たち四人は茹蛸のようになっていた。脱衣所や浴場の湿気なんか比べものにならないほどの、湿度高いの熱い空気を吸い込んで、体の内からも外からも熱される。
腕を見ると、毛穴から汗がぷっくりと染み出していた。玉の汗っていうのはこういうことを言うのか。
そして二分が過ぎて、私たちは飛ぶように外に出た。
「うぉぉ、暑かったぁ」
「やっぱりサウナ嫌いかも……」
「私も」
「これから汗を流して水風呂ですよー」
暁ちゃんに促されるまま、汗を流して水風呂に足を入れる。
「ひょおおおお」
「つめたぁああああ」
「あばば」
「この冷たさがいいんじゃないですかー」
キンキンに冷えた水に浸かって、私たちは悲鳴を浴場に響かせた。水に触れているすべての筋肉が収縮して、心臓もきゅうっと縮こまるような感覚がある。壁に掛けられた水銀の温度計は二十一度を指していて、数字を見て余計に冷たさを意識してしまって背筋がゾクゾクした。
「じゃあこれをもう一回です」
「「「無理!」」」
私たちは三人は口を揃えて言った。サウナ―への道のりは遠い。
◇
まだサウナ―になれないことを実感したところで、私たちはお風呂を出た。タオルで体を拭きながら、フローリングの床を眺める。薄橙のフローリングに私の足跡が付いて、じわじわと消えてくのを見てボーっとする。
夢、かぁ。皆はやりたいことが決まっているみたいだけど、私にはなんもない。なんかあった方がいいのかな?
「ゆい? どうかした?」
「ん、何でもない」
桜ちゃんに声を掛けられて、再び動き出す。タオルで拭いてなかった部分が、首を振り続ける扇風機に当てられて冷えていく。冷たくなり始めた場所を雑に拭って服を着た。
服を着て脱衣所を出ると、休憩室にある自販機の前で桜ちゃんと香澄ちゃんが睨み合っていた。いつもの牛乳冷戦だ。私は睨み合う二人の間に割って入って、自販機にお金を入れて普通の牛乳を買って二人を挑発するように飲み干した。湯けむり部の風呂上がりのお決まりの光景だった。
そこにドライヤーをし終わった暁ちゃんがやってきて、睨み合う私たちを見て目を点にしている。
「どうしたんですか?」
「私たちには負けられない戦いがあるんだよ」
「ここで引いたら牛乳の神様に顔向けできないから」
「牛乳の神様?」
暁ちゃんはポカンとした表情で私たちを眺めていた。
「暁ちゃんは何牛乳が好き? もちろんフルーツ牛乳だよね」
桜ちゃんが暁ちゃんに問う。
「いいや、コーヒー牛乳だよね?」
「オーソドックスな牛乳が一番でしょ」
「ゆいさんまで……」
バチバチと稲妻が私たちの視線に走る。相変わらず普通の牛乳の良さが分からないなんて、損なヤツらだ。
「気分によりますけど、普通の牛乳が一番飲む、かなぁ?」
よしよし。我が陣営が二人に増えた。
「いやいや。フルーツ牛乳が一番だよ、リオンちゃん」
桜ちゃんが浅ましくもフルーツ牛乳派に引き込もうと画策する。
「フルーティな香りに爽やかな甘さ! フルーツ牛乳こそが最強なんだよ! 分かる!?」
「怖いです」
「コーヒー牛乳が最強だから! コーヒーのほろ苦さに牛乳のまろやかさ! 絶対にコーヒー牛乳がいいって!」
「だから怖いです」
二人は口角泡を飛ばして暁ちゃんに詰め寄る。暁ちゃんはそんな二人の様子にドン引きで、今にもこの銭湯から逃げ出してしまいそうだった。
「桜ちゃん、いい加減コーヒー牛乳の方が上だって認めなよ」
「はぁ!? 絶対フルーツ牛乳の方がいいに決まってる!」
「ああん?」
「おおん?」
額をすり合わせてメンチを切りあう二人。今にもキャットファイトが始まりそうだった。
「ゆいさん、どうしたらいいんですか。これ」
「いいのいいの。普通の牛乳が一番なことに気付けない、愚か者の争いだから」
「ああん?」
「おおん?」
「……だめだコイツら」
暁ちゃんはヤレヤレと肩をすくめた。
「この際リオンちゃんに決めてもらおう!」
「三つのうちどれが一番?」
桜ちゃんと香澄ちゃんが再び暁ちゃんに詰め寄る。
「いや、私牛乳あんまり飲まないんですよ」
暁ちゃんは困った顔をして言う。
「常温の水が一番じゃないですか? 牛乳って太るじゃないですか」
「「「――!?」」」
私たち三人は目を丸くした。太るだなんて一切考えてなかった。これでも女子の端くれ。体重には敏感なのだ。私たち三人は暁ちゃんとの女子力の差に打ちひしがれて、第二次牛乳対戦は幕を閉じた。
◇
「じゃん! 見てこれ!」
風呂から上がってしばらく経ち、休憩室のソファでゆっくりしていると、桜ちゃんがスマホの画面を掲げて叫んだ。
「なになに、どうしたの?」
私たちは桜ちゃんの方に寄ってスマホの画面をのぞき込んだ。
「なんと、湯けむり部のブログを作っちゃいました!」
そういって桜ちゃんが持つスマホの画面には、丸っこいフォントで、『いわこう湯けむり部!』と書かれていた。
「ブログ?」
香澄ちゃんは首を傾げた。
「そうそう。私たちの活動をアップして、ついでにきくの湯の宣伝も……。グフフフ……」
わっるい顔してやがるぜ。
「活動って言ったってお風呂入ってる写真でも上げるの?」
香澄ちゃんが素っ頓狂なことを聞く。私たちの入浴画像なんて、下手したら児童ポルノだよ? 正気?
「ふふふ、よく聞いてくれました。てわけで、活動第一弾! お風呂掃除です!」
「うわぁ」
「おう……」
「……?」
テンションが高いのは桜ちゃんだけで、私と香澄ちゃんは意気消沈していた。暁ちゃんは風呂掃除の何が私たちのテンションを下げているのか分からず、不思議そうな顔をしていた。
私たちは浴場にトンボ返りしてデッキブラシを担ぐ。
「おらー、タダで風呂入った分働けぇ」
桜ちゃんはスマホで写真を撮りながら叫んだ。
「桜ちゃんも働け!」
「私には写真撮影というミッションがあるんだ!」
そう言って桜ちゃんはパシャパシャとシャッターを切る。ブログに上げるのなんて数枚で十分だろ。もう何枚か撮ったんだから働け。
「うへへ、いいよぉリオンちゃん。可愛いよぉ。デッキブラシ使いがセクシーだねぇ」
桜ちゃんはおっさんのような笑い声を響かせて、暁ちゃんをずっとレンズで追っている。
「これできくの湯が有名に……。ぐへへへへ……」
ダメだコイツ。もう手遅れだ。
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