第10話 四人目②
「あ、あれ」
揉めている男女の片割れは、私たちがさっきまで追っていたキラキラオーラの少女だった。その少女はいかにもガラの悪そうな男に腕を掴まれて、困惑した表情を浮かべていた。
「私、行ってくる」
「え?」
私が制止する間もなく――まぁ止める理由もないのだが――香澄ちゃんは揉めてる男女の方へ走って行ってしまう。私と桜ちゃんも一瞬の逡巡ののちに香澄ちゃんを追いかける。
「ちょっとお兄さん、やめなよ。この子嫌がってんじゃん」
「え、何? この子の知り合い?」
男は少女の腕を掴んだまま軽薄な笑みを浮かべる。薄っぺらいその笑みを見ていると段々と腹が立ってくる。私に向けられた笑みでもないのに、香澄ちゃんが突然見せた正義感に感化されてか、メラメラと湧き上がってくるものを感じていた。
「……っ、チッ……」
男を無言で睨みつける香澄ちゃんの迫力に屈して、男は尻尾を巻いて逃げていった。その情けない背中に心の中で中指を立てる。
「さっすが香澄ちゃん。ビビッて逃げてったね」
「悪人ヅラだから怖いよね」
「ねぇ、ちょっと? ゆいちゃん、私が悪人ヅラってどういうこと?」
二人して香澄ちゃんを茶化す。意外な漢気を見せた香澄ちゃんはそのキリリとした眉を怒らせて、桜ちゃんの頬をムニムニと揉む。
「あ、あの、ありがとうございました」
香澄ちゃんと桜ちゃんがじゃれあっていると、ナンパされていた少女が頭を下げた。その声は凛と澄んでいて、さっき遠くから聞いた声よりも美しい音色に聞こえた。
「大丈夫だった?」
「はい、本当にありがとうございました」
ペコリと再び少女が頭を下げてワンピースの裾が揺れた。垂れ下がった綺麗な黒髪は艶やかで、とても十代には出せない色気を醸し出していた。
「暁さん、だよね」
「え、どうして……」
香澄ちゃんが名前を聞くと、少女が驚いた顔をした。私たちは同じ高校の人だと気づいていても、彼女は気づいていなかったらしい。
「私、隣のクラスの小松香澄。で、こっちが五組の金澤ゆいちゃんと加賀桜ちゃん」
「よろしくね!」
「よ、よろしく」
「え!? 三人ともいわこうの人だったんですか!?」
軽く頭を下げると、少女は驚いた顔をした。驚いた顔さえも可愛いとはホントに神様は不公平だ。
「私、
そう言って暁ちゃんは頭を下げた。なんかこの子さっきから頭を下げてばっかりだな。
「リオンちゃん、良ければ四人で一緒に回らない? 私たちお土産見ようかと思ってたんだけど」
桜ちゃんが笑顔で提案した。
「いいんですか?」
「うん! 一緒に回ろうよ」
と、いうことで私たちのパーティーは四人になった。
「じゃあ、行こっか」
ぐう。
桜ちゃんがそう声を上げた瞬間、私のお腹が鳴った。
「ゆいちゃん?」
「うん。お腹空かない?」
急にお腹が鳴ってしまった恥ずかしさに耳が熱くなるのを感じながら、三人に尋ねた。
「そういえば、ご飯食べてなかったね」
「私もお腹すいたな。暁さんご飯食べた?」
「食べてないです。私もお腹空きました」
「じゃあ、ご飯行こう」
満場一致の議決。
「大瀑の湯の近くにご飯屋さんあったよ」
「ならそこでいいね」
「え、三人ともあそこに行ってたんですか?」
「うん、そうだよ」
三人とも暁ちゃんを追っていました、なんて口が裂けても言えなかった。まぁ、もともと大瀑の湯に行くつもりだったのだが。
「こっちだよね」
「こっちじゃないですか?」
「いやいや、二人ともこっちだから」
方向音痴が二人に増えてしまったことで、手綱を握る香澄ちゃんがてんやわんやだ。なるほど、方向音痴が揃っても、同じ方向を指さすわけじゃないんだな。面白い発見をした。
◇
「ここだ、ここだ」
目的の食事処に到着した私たちは足早に店の中に入った。全員お腹が空いて焦っていた。お腹空いたね、なんて話題を出した途端、空腹を意識してしまって、余計に感じるようになってしまった。
「何頼もうかなー」
「お蕎麦食べたい」
「かつ丼おいしそう。あ、焼肉定食もいいな。お魚もいいしなぁ……」
「……」
四人で座敷に座って、メニューを見ながらあれこれ言う。暁ちゃんが何を頼むのかしばらく悩んでいたが、結局焼き魚定食にしたらしい。
「三人はどういう繋がりなんですか?」
運ばれてきた食事を箸でつつきながら、暁ちゃんがそんなことを尋ねてきた。
「部活だよ! 湯けむり部っていうんだけど」
「あ、なんか張り紙見かけたかも。三人だけなんですか?」
「うん。絶賛部員募集中なんだ。部長はゆい」
「はぇ?」
突然部長と言われて、私は困惑する。部長って、言い出しっぺの桜ちゃんじゃなかったのか?
「リオンちゃんはなんで草津に来てるの?」
「美容に温泉がいいって聞いて、ここの温泉が美人の湯だって言うから来てみたんです」
美容のためにわざわざ草津まで来るとは、何たる美意識の高さか。この努力が暁ちゃんの美貌を作り上げているんだろうか。あまりに私と女子力が違うもんだから感心してしまった。しかし、友達と来ずに一人旅行とは。私と同じ匂いがするぞ。
「へぇ、わざわざ草津まで来るなんてすごいねぇ」
香澄ちゃんが大盛りの蕎麦を啜りながら言う。
「あ、そうだ。暁さんに湯けむり部入って貰えば?」
「そうだよ! 部活として認められるにはちょうどあと一人必要なの! お願い!」
「私もちょうど入る部活探していたので、是非」
「やったぁ! やったよゆい!」
「良かったね」
偶然の出会いから、あっさりと四人目の部員が加入してしまった。私としても、美少女が加入するのは大賛成だ。目の保養にもなるし。
「湯けむり部って温泉に入る部活ですよね? いつも草津とかに来てるんですか?」
「まさか! 今回が初めての遠出なんだ。いつもは私の家が銭湯やってるから、そこで集まってるんだ」
「え、銭湯なんですか! もしかしてサウナもありますか!?」
「うん。あるよ。けど私たちはあんまり入らないよね」
「そうね。私は苦手」
「私も」
「えぇ! もったいない!」
銭湯と聞いて途端にテンションの上がった暁ちゃんは、サウナにやけに食いついてきた。
「暁ちゃん、サウナ好きなの?」
「はい! お肌にも良いですし、何より代謝が上がるのでダイエットにも繋がりますしね」
「ダイエット!?」
香澄ちゃんがダイエットと聞いて目の色を変えた。
「私、陸上やらなくなってからかなり太ったんだよね。私もサウナ入ってみようかな」
「いいですよサウナ! サウナーになりましょうよ!」
「サウナ入る人のことをサウナーって呼ぶの?」
「なんか常連さんがそんな話してたかも」
目を輝かせてサウナのことを語る暁ちゃんは、やっぱり可愛かった。本物の美人はどんな表情でも似合うみたいだ。
「湯けむり部、素敵な部活ですね」
暁ちゃんは目を細めて私に言う。私はそれが何だか照れくさくなって立ち上がって、早口に言う。
「も、もう食べ終わったことだし、お土産屋さん行こう」
「そうだね。そうしよっか」
お会計を済ませると、私たちは店を出た。
◇
まさか一日のうちに湯畑まで二往復もするとは思わなかったが、私たちは再び湯畑までやって来た。時刻は四時半。日の角度も鋭くなって、湯畑のライトアップが目立つようになってきていた。きっと今日は日が落ち切る前には帰ってしまうだろうが、いつか夜に、ライトアップされた湯畑を見に来てみたい。
「お土産、何にしようか」
「温泉饅頭もあるよ」
「うーん、ベタ過ぎません?」
「お土産で奇をてらってどうすんのさ」
雑多に並べられた数多のお土産の中から、何を買おうか吟味する。クッキーもいいし、温泉卵も悪くない。
「ねぇねぇ、見てこれ」
「何? それ」
「キーホルダー。湯けむり部の四人でお揃いにしない?」
桜ちゃんが店の奥から持ってきたのはキーホルダーだった。クマなのかウサギなのかよく分からない生き物がチェーンからぶら下がっている。四つとも違う色だがどれも蛍光色で毒々しい色合いをしていた。
「おぉ、いいいじゃん。私、この黄色のヤツ」
「じゃあ私は青で」
香澄ちゃんが黄色、暁ちゃんが青のキーホルダーを手に取ってしげしげと眺める。ボタンでできた瞳がなんとも言えない雰囲気を醸し出している。
「ゆいはピンクと紫どっちがいい?」
「ん、紫で」
「じゃあ私ピンク」
紫色の体に真っ青なボタンの目のそいつは、ボールチェーンからダルそうにぶら下がって、青い瞳を鈍く光らせていた。
「不細工だなぁ」
「その不細工さがいいんじゃない。ブサカワだよ。ブサカワ」
「カワイイ……?」
私にはその魅力は分からなかった。近くで見ても、ウサギなんだかクマなんだか分からない。うーん、不細工。
四人がそれぞれ家族へのお土産を買って、店を出た。各々の鞄には色違いのキーホルダーがぶら下がっている。前を歩く三人の顔には笑顔が弾け、それを見れただけでも草津に来た意味はあったなのかななんて考える。一人後ろを歩く私は、たまに振り返って話題を振ってくる桜ちゃんに適当に答えつつ、三人の背中を眺めていた。横並びになって歩く三人は、左から香澄ちゃん、暁ちゃん、桜ちゃんと並んで、見事に大中小と階段になっていた。身長が違うなら歩幅も違うはずなのに、三人は見事に横一列になって歩いている。一番背の低い桜ちゃんに合わせているからか、香澄ちゃんと暁ちゃんがたまにチョコチョコと歩幅を縮めて、歩く速度を調整しているのが面白かった。
街灯に火が灯り始めて、辺りが柔らかい光に包まれ始めた。私たちはバスに乗り込んで、流れていく街灯の明かりを見た。あっという間に草津の街は後ろに飛んで行って、バスは山道を下り始めた。私の隣に座った桜ちゃんは歩き回って疲れたのか、もうすでに夢の世界に旅立っていた。幼子のような寝息が聞こえてくる。楽しい一日だった。こんな素敵な旅行をしたのはいつ以来なんだろう。旅行を頻繁にする家庭でもないし、もしかしたら初めてかもしれない。友達との旅は間違いなく初めてだし、と言うか、友達というものができたのなんて小学校低学年ぶりだし。こんな素敵なものなのに、私は何を忌避していたんだろう。それは、この三人とともに過ごす時間だから楽しいのか、友達であれば誰とでも楽しいのかは、私の経験値があまりにも少なすぎて分からないけれど、以前よりは他人に対して扉を開けやすくなった旅だったように感じる。湯けむり部に巻き込まれてよかったな。
私は隣で眠る桜ちゃんの頬をつついた。
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