第6話 災厄の少女 

『エル・カイナ』聖教騎士総本部――聖都の中央に位置する、その大国の城塞にも似た巨大な建造物の南先端の大塔にある真っ白な小部屋に、その少女はいた。

 

 その小部屋は左右に小さな窓がある以外に物はなく、無機質な空間が唯々広がっており、その中心で、寂しそうに膝を抱えて蹲る少女は、さながら鳥籠に捕らわれた哀れな小鳥の様に映った。

 

 「どうして……わたし、こんなところにいるのかな……」

 

 ひどく掠れた声でそう呟く少女の両目からは一筋の涙が零れ、埃に塗れた土に地面に小さな斑点を作っていく。

 

 「……ううん。きっとわたしが『魔女ばけもの』だから……みんなを不幸にしちゃうから――仕方ないんだよね?……あははっ」


  震えた両手で一旦、目元を拭うと、少女は何かを諦めたかのような自嘲を含んだ笑みを浮かべる。何度も繰り返し、自問自答をする。しかし、答えは結局いつも同じだ。

 自分は魔女だから……人と同じ世界では生きてはいけないのだ。――人の世を滅ぼす『黄昏の魔女かいぶつ』なのだから――と。

 

 (だから、わたしは存在しちゃいけないんだ)


  少女は自分に言い聞かせる。誰も悪くはない、悪いのは魔女に生まれ落ちた自分自身なのだと。

 

 幾度なく心の中で唱える少女の表情は止めどなく流れる涙と悲痛に満ちており、その痛々しい姿に災厄を齎す魔女の面影など微塵もない。

 やがて泣きつかれたのか、光の篭ってない瞳をゆっくり閉じると泣き腫らして赤くなった瞼すら気にする素振りも見せず、横になると静かに眠りに落ちていった。

 

――エレナリーゼ・ロゥ・フレクスプル。齢15歳を迎えたばかりの少女。蜂蜜色の長髪を垂らして、その大きな翡翠色の瞳が特徴のその辺の村娘となんら変わらない普通の少女。

 ――だが……彼女の左の掌に刻まれた、まるで胎動するかの如く鈍く輝く藍色の刻印—―薄暮の魔印フラグレートが、彼女を災厄の化身『黄昏の魔女』であることを物語っていた。


 —―――――――――――――――――――――――――――――――――――




「はぁ、いよいよ今日からだ。――クッソ、気ィ滅入るなー」


  聖教騎士の叙任式が終わり、早一週間。獅王鵺マンディゴア討伐の功績により、アーガルドが団長を務める騎士団『ベア=ウルズ』に入団したアルバは、新たに与えられた騎士団寮の自室にて、ぼやきながら朝の支度を行っていた。


  その内装はとても充実しており、家具を一から自分で揃えなければならなかった騎士学校時の宿舎とは雲泥の差であった。壁は一面薄汚れた土壁ではなく、上品な色合いをしたクリーム色の高級そうな壁紙が施されており、所々、見たことがないようなインテリアが設置してあるのが目に映る。

 

 およそ、新米騎士には相応しくない部屋のように思われるが、そこはアルバが入団した『ベア=ウルズ』が十二騎団ある聖教騎士団の中でも序列が三位ということもあり、部屋の豪華な内装はむしろ当然の結果のように思える。

 程なくして、先ほどから髪を掻きむしりながら部屋をうろうろしているアルバを見かねたガイトが口を開いた。

 

 「なぁアルバ。聖騎士総長から与えられた任務とやらが、どの様な内容か僕は知らないけど、少しは落ち着いたらどうだ?」

 

 「うっせぇよ、ガイト。そもそもなんでまたお前と同室なんだよ!今度こそは個室でぬくぬくと生活できると思ったのに!」


  「それは、こっちの台詞だ。これからもまたお前のバカみたいな発言を傍で聞き続けていなければならないと思うと……くッ、今から寒気が止まらない……ッ!」


  「おま……結構、酷いこと言うなぁ。――そりゃないだろ?」

 

 ガイトが大げさな素振りで自身の腕を摩るのを見てアルバは少し顔を引き攣らせ、心外だなぁと言わんばかりに両手を開いて肩をすくめて見せた。

 

 (まぁ確かにここで、ぶつくさぼやいてても仕方ねぇのは確かなんだよな。どう

 せ、1ヵ月間の短い任務だ。割り切っていくか)

 

 アルバは先の問題について心中でとりあえずの結論を出し、一人残るガイトに向かって


  「それじゃ、行ってくる」

 と一言だけ告げると、騎士団寮を後にした。



***

 


「チクショウ、何処だよ『ダスクの塔』!……クッソ、にしても広いなーここは。何日経っても道、覚えられる気がしねぇぞ!」

 

 騎士寮を離れること、約三時間。アルバは先日、聖騎士総長により受けた任務を遂行するため『聖教騎士総本部エル・カリナ』に向かい、ようやくたどり着いたはいいものの、その広大過ぎる建物内の構造によって完全に道に迷っていた。

 

 「ヤベェな。なんとしても昼を過ぎる前にはたどり着かねぇと。――クソ、今一体何時だよッ?」

 

 支給品の懐中時計をベア=ウルズの騎士団服である錆色コートのポケットから取り出す。長針がもうすぐ11時を指すところまできていた。

 

 「――って、おい後一時間しかねぇじゃんか!」


 聖騎士総長からは、12時には南の大塔『ダスク』に到着するようにとの達しが来ているため、残された時間は僅か一時間ほどしかない。


  「とりあえず、ダッシュで向かわねぇと――って、うぉ、あっぶねェ――ッ!」


  焦りで、歩みを速めたアルバは、曲がり角から来る人の気配を察することができず、そのままぶつかった。

 

 「――痛ててて。……あ、あの大丈夫ッスか?」

 アルバは転んだ際にぶつけた頭を摩りながら、相手を伺う。今の態勢からでは顔は判別できないが、騎士団制服の青いタイトスカートを着用しているところから察するにおそらく女性だろう。


 「――あ、はい、なんとか。――って、その声はもしかしてアルバ!?」


  なんか、聞き覚えのある声だなとアルバが倒れ込んでいる相手の顔に視線を移す。紅葉を連想させる朱いポニーテールの髪、鋭く大きな赤茶色の瞳。極めつけにとても同学年には見えないその低い身長ときたら、一人しかいなかった。


 「なんだよ、誰かと思ったら『ラキア』じゃんか。――うーん遜って損したな」

 

 「……っな!?なによその態度は!あたし一応年上なんですけど!むしろもっと敬ったってバチは当たんないと思うけど!?」


 「年上っつったって、一歳上なだけだろ?後、同期だし。……それにさーその身長で言われてもなー。なんつーか説得力に欠けるよな」


 ふんすと鼻息を鳴らし、こちらを睨みつける小柄な少女――ラキアを見て、アルバは肩をすくめると、人を小バカにしたような口調で答えた。


 「フン。あたしは今、絶賛成長期なんですー。そのうちあんたの身長も軽く超えてやるんだから!後でほえ面かいても知らないんだから!」

 

 「さいですか。……ま、別にオレはそのままでもいいと思うけどな……」

 

 頭を掻きながら放ったアルバの唐突な発言にラキアは頬をひどく紅潮させた。

 

 「――ハァ!?と、突然何言ってんの!?バカじゃないの!?バーカバーカ!」

 

 「んあ?何急にムキになってんだよ。なんか変なこと言ったか、オレ?」

 

 「あーもう!別になんでもない。……それよりもアルバ、なんでこんな所にいるよ?確か――なんか重要な任務があるってアーガルド団長が言ってたような気がするけど」

 

 アルバが突然怒り出したラキアの様子に困惑していると、ラキアが一呼吸置いた後、アルバに尋ねた。

 

 「そうだ!こんなところで油売ってる場合じゃねぇ!早く『ダスクの塔』に行かないと!――っと時間は……おわぁ!?もう15分も経過してるじゃんよ!」

 

 ラキアに問いかけられたアルバは当初の目的を思い出すと、ひどく慌てた様子で狼狽した。そんなアルバの様子を少し呆れたような表情で見つめていたラキアは、短い溜息を漏らした後、「ダスクの塔なら一応場所分かるケド」と一言こぼした。

 

 「マジかよ!いやぁ助かったよラキア。サンキューな!」

 

 「いやまだ案内するとは一言も言ってないんだけど……はぁ。もう仕方ないな」

 

 手を合わせて感謝する様子を横目で見つつ、めんどくさそうな口調で返すラキアの口元はその口調とは裏腹に少し緩くなるのだった。




―――――――――――――――――――――――――――――――――――――




「――行かないで……おかぁ……さまっ――ッ!」 


  朝を知らせる鶺鴒の鳴き声と塔の小窓から零れる木漏れ日で少女は目を覚ます。両目の隅が僅かに湿っている。どうやらまた、『あの日の夢』を見たらしい。

 この夢を見るのはもう何度目になるだろうか。あの惨劇の夜の記憶は、今でもこの胸に尖ったナイフで抉るかのように突き立てられている。

 

 鬱屈とした感情をもみ消すかのように短い欠伸をする。口元に充てられた右の掌はたった今、彼女と共に目を覚ましたかのように呼応し、鈍く淡い光を醸し出している。それに気づいたのだろうか。彼女の表情は先ほど同様、ひどく荒んだ悲哀なものに満ちていった。

 

 『薄暮の魔印フラグレート』――『黄昏の魔女』の証にして、世紀を跨ぐ邪悪の象徴――。その左手は如何なる禁呪も霞むほど禍々しく……呪われていた。

 エレナはそんな呪われた左手に刻まれた、それを見ているといつも思うことがある。

 

 (こんな手……なかったらよかったのにな。なんで……なんでわたしなんだろう……!)

 

 空いた左手で右の掌を包み込み、握る。力が篭っているためか指先が震える。爪が皮膚に食い込んでいき、僅かに血が滲み出る。

 

 「……いたっ。……あははっ、こんなことしたって何も変わらないのにね」

 

 思わず自嘲めいた笑みを浮かべる。運命、宿命――因果。そんなものを憎んだところで、どうしようもないことを彼女はもう知っている。いや、身を持って思い知らされていた。

 そんなエレナを嘲笑うかの様に刻印の一旦輝きが増すと、やがて蝋燭が消えるかのようにその光も徐々に消失していった。

 

 エレナは輝きが完全に失せるのを確認すると、全身の力が抜けたのか、ぐったりとした様子でその場に座り込んだ。今にも泣きそうな表情の彼女は全てが変わってしまった日のことを思い出していた。

 

 そう、あの日――この『刻印』が掌に浮き出た時のことをエレナは一変の陰りもなく覚えている。


 そして、それから呪われた日々は始まった。

 

 あまりに惨い両親の死、終わりのない罵倒、暴力――迫害。

 何度自分の運命を恨んだことか、何度自分の死を願ったことか。

 いつしか彼女の心は摩耗し、かつてその胸に満ち足りていた光は、年を重ねるにつれ深淵の澱へと沈んでいった。

 

 やがて、こうして惨夢を見ることもなくなるのだろう。少女は早くその日が来ることを待ち望んでいた。もう憎むことも悲しむことも――願うことも縋ることにも疲れていた。――災厄じぶん殺してすくってくれる存在を待ち望んでいた。

 

 もうすぐ彼女は出会うことになる。待ち望んでいた者に。しかし、それは絶望ではなく一筋の希望であることを彼女はまだ知らない。

 



           ――運命の指針は僅かな音を立てて動き始めた。

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最果てのクロニクル ガミル @gami-syo

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