第17話 葬儀



 空乃恵美の葬儀は、生前の彼女に似つかわしくない雨の日に執り行われた。

 

 普通は、亡くなった日の翌日にお通夜、翌々日に葬儀を行うものらしい。

 しかし、今回恵美の死因は事故死のため、警察署の調査等を挟んで葬儀は休日に執り行われることになった。


 平日ではなく休日に開催された故か、はたまた彼女の生前の人望故か、葬儀には多くの人々が参列していた。

 生前、多くの人に囲まれていた彼女にとって、それは喜ばしいことかもしれない。


 顔ぶれは主に親族やクラスメイト。

 

 恵美の彼氏だったことを考慮されてか、クラスメイト達の中で俺は一番最初に恵美と最期のお別れをさせてもらった。


 正直なところ、そのあたりの記憶はあまりない。


 ただ一つ言えるのは、俺は泣かなかった。

 

 恵美の亡骸と対面した時も、恵美が入った棺が霊柩車に運ばれていく時も、恵美と仲が良かったクラスメイトが泣き崩れた時も。


 俺はずっと、どこか現実味のない気分でその場に存在していた。



◇◇◇



「俺、先に帰るから」

 

 葬儀も終わって外でぼーっとしている俺に、柚月が言った。

 隣には美鈴も居る。


「ああ……うん」


 自分でも驚くくらい覇気の無い声で俺が返すと、柚月は一瞬口を開くのを躊躇って、短く告げた。


「まあ、あれだ……あんま溜め込むなよ?」


 柚月は俺に背を向けた。

 美鈴も、俺に何か言葉をかけようと迷っていたようだが、


「また、学校でね」


 ばいばいと小さく手を振って、柚月の後をついていった。

 

 俺に話しかけてきてくれたクラスメイトはその二人だけだった。

 良い友人を持ったものだと思う。


 ……ふと、周りを見回してしまう。

 誰を探そうとしているのか自己認識する前に、お目当ての人物を見つけた。


 優奈だ。

 

 彼女はちょうど会場から出てきたところだった、一人で。

 そしてそのまま、皆とは違う方向に足を進めていた。


 すれ違うその間際。


 一瞬、俺と目が合った、ような気がした。


「……さむ」


 11月の雨は冷たく勢いがあって、傘で防ぎきれなかった水滴が肩を濡らす。

 雨音が、ざーざーと俺を責め立てるように鼓膜を叩く。


 なんだろう。

 何もする気が起きなかった。


 気を抜くと傘が手から滑り落ちて、空の涙を一身で受けてしまいそう。

 もし仮にそうなったとしても、いつまでもいつまでも身体を濡らしてその場から動けなくなるような。

 そんな、生きているのか死んでいるのかわからない、虚無や寂寥といった感情に覆われていた。


「久山くん」


 不意に声をかけられて振り向く。

 初老も差し掛かろうとするくらいの年齢の女性が、立っていた。


「ああ……どうも、お久しぶりです」

「久しぶりね、1ヶ月ぶりくらいかしら?」

「最後に家に行ったのはそのくらいですね」


 恵美の母親、秋子さん。

 

 表情から濃い疲労の色が伺える。

 前回お会いした時に比べて随分と老けた気がするが、それは年齢のせいでは無いだろう。


「今日は、恵美のお別れに来てくれてありがとうね」

「いえ、そんな……その」


 言葉がまとまらない。

 何を言うのが適切なのか、何を言うべきなのか。


 俺がまごついている間に、秋子さんが口を開く。


「本当に、ありがとうね」


 秋子さんは、穏やかな笑顔を浮かべていた。


「久山くんのおかげで、あの子は幸せだった。本当に、本当に、感謝しているわ」


 そう言って、秋子さんは恭しく頭を下げた。

 途端に、もやもやと暗鬱とした気持ちが胸に湧く。


 これはなんだ。

 ああ、そうか。

 

 罪悪感、か。

 

「俺の方こそ、ですよ」


 ようやく、言うべきことを纏めた頭が言葉を並べる。


「恵美には……感謝してもしきれません。恵美には本当に……本当に、たくさん、色々なものを貰いました」


 楽しい時間も、幸せな時間も、人との関わり方も。

 挙げ始めたらキリがない。


 恵美と付き合った3年間は本当に楽しくて、かけがえのないものだった。


 これから何十年間、ずっと同じ時が続けばいいと思っていたくらいには。


「……そう言ってくれて、恵美も喜んでるわ」


 秋子さんは、目尻に浮かんだ涙を人差し指で掬った。

 俺はそれを、どこか他人事のように眺めていた。


「そうそう」


 秋子さんは思い出したようにショルダーバックを開けた。

 

「これを、秀人くんに渡しにきたの」


 中から、秋子さんは一冊の本を取り出す。


 本、じゃない。

 俺は目を見開く。


 見覚えのある日記帳。


 ”人生ノート”だ


「これは……」

「人生ノートって言うらしいんだけど、知らない?」

「いえ、恵美がつけてたのは知ってたんですけど……いいんですか?」

「もちろん。これは、恵美があなたに向けて書いたものだもの」

「俺に?」


 こくりと、秋子さんが頷く。


 どう言う意味だろう?


 言葉の真意はわからなかったが、俺は吸い寄せられるように”人生ノート”を受け取った。


 両指から、冷たい感触が伝わってくる。

 それがまるで恵美の体温に思えて、一瞬カバンに入れるのを躊躇ってしまった。


「久山くん」


 ノートをリュックにしまう俺に、


「今は立ち止まってしまうのも仕方がない、けど……」


 秋子さんは、言った。


「いつかはしっかり前を向いて、歩いて、ちゃんと幸せになりなさいね」


 恵美の母親らしい、前向きな言葉に。

 俺は、”はい”ということも頷くことも出来ず、


「ですね……」


 と曖昧な言葉を残すことしか出来なかった。

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