第9話 夢


 夢を、見ていた。


『ひーくん、大丈夫!?』


 いつだったか。

 俺が盛大に風邪を引いた時、恵美が看病に来てくれてた時の記憶。


 息絶え絶えな俺を見て、恵美は盛大にテンパりを見せていた。


『はあっ!? 朝から何も食べてない?』


 三大欲求の中で常に食欲を最優先にする彼女は『それはいけない!』と叫ぶ。


『お粥を作ってあげる!』

『無理……すんなって……料理、苦手だろ……?』

『なにおう』


 本質的には負けず嫌い気質である恵美は、俺にしか見せないテンションで言い放った。


『こんな時こそ彼女パワーの見せ所よ! 彼氏が空腹で弱っている時に指を咥えているわけにはいけないわ』


 空腹で弱ってるわけじゃ無いけどな。


『気持ちは嬉しいけど……お粥の作り方知ってる?』

『……砂糖入れたらいいんだっけ?』

『よしわかった……カップうどんを作ってくれ』

『だ、大丈夫よ! お粥くらい、なんとかなるっ』


 そう言って、恵美はどこかへ電話した。

 誰だろう。

 

 5分くらい通話してから、恵美は『待っててね』と台所へ消えていった。


 不安しかない。

 ワンチャン、休養日が1日伸びるかもしれないと戦々恐々としながら待っていると、


『お待たせ!』


 10分ほど経ってやってきたお粥のに、俺は『……おお』と舌を巻いた。


 意外にもちゃんとした卵粥だった。

 意外にも、って失礼だが。

 

 少なくとも、お粥に砂糖をぶち込むと宣っていた奴が作ったにしては良い見栄えをしていた。


 電話の相手はどうやら、優秀なアドバイザーだったみたいだ。

 

『美味しい?』

『うん……すげーうまい』


 程よい塩気と、卵の甘みがちょうどいい。

 はじっこに|昆布やら梅干やら鰹節やら付け合わせがいくつも添えられている(・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・)のが特徴的だった。

 

『ありがとう……リアルに回復したわ』

『えへへー、どういたしまして』


 にまにまと嬉しそうに身体を揺らす恵美の頭を撫でる。

『んぅ……』の気持ち良さそうに喉を鳴らす恵美。


 俺は改めて、恵美が彼女で良かったと、心の中で呟いた。


 どこにでもある、幸せな一コマだった。

 

 その光景が、ぐにゃりと歪み、


 ……──くん。


 灰色に塗りつぶされていって、


 ──秀人くんっ。


 声が、どこからか、聞こえる。

 

 恵美のじゃない。

 誰かの声が……。


「秀人くん!」

「……っ」


 ハッと目を覚ます。

 息を限界ギリギリまで止めて、水中から浮上したような覚醒。


 最悪の目覚めだった。

 ぐっしょりと背中が濡れていて気持ち悪い。


 視界には優奈の心配そうな表情。

 少しだけ、安堵する。


「大丈夫? 魘(うな)されていたけど……」

「……ああ……だいじょう、ぶ」


 自分でも、なんで声が震えているのかわからなかった。


「泣いてる?」

「…………え?」

 

 言われて気づいた。

 目尻から、じわりと涙が溢れていることに。


「あれ……なんで……」


 おかしいな。

 止まらない。


 ぽろぽろ。

 ぽろぽろと涙が溢れる。


 鼓動が速く。

 息が荒くなる。


 こんなみっともない姿、見られたくない。


 俯き、両目に手を当てる。

 すると、誰かの両腕が背中に回った。

 

「怖い夢……見ちゃったのかな?」

 

 優奈の胸の中で頭を振る。


 なんの夢を見ていたのかも思い出せない。

 だけど、多分。


 恵美の夢を見ていたんだと、思ったから。


 優奈がそれを察したのかはわからない。


「……そっか」

 

 それだけ言って、優奈は俺の頭をよしよしと撫でてくれる。

 労るように、慈しむように、優しく。


 ……甘えたい、って思ったわけではない、と思う。


 例えるなら多分、今にもバラバラになってしまいそうな心を繋ぎ止めるための動作。

 ゆっくりと、俺も両の腕を優奈の背中に回していた。

 

 ぎゅうっと、拠り所を求めるように力を込める。

 荒くなった息を落ち着かせるように空気を深く吸い込む。


「大丈夫、大丈夫……」


 その言葉には、魔法があった。


「大丈夫、大丈夫……」


 入り乱れた心を落ち着かせる、魔法が。


「大丈夫、だから……」


 過呼吸気味だった呼吸が徐々に落ち着いてくる。

 心音も、少しずつ収まってきた。

 

 俺が完全に落ち着くまで、優奈はずっと「大丈夫」を口にし続けてくれた。

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