第8話 あーん

「お待たせ〜」


 横になっていると、優奈がお盆を持ってやってきた。


 お皿からほかほかと湯気が立っている。

 食欲を刺激する香りが漂ってきて、空っぽの胃袋がきゅっとしまった。


 身体を起こそうとすると、


「あ、無理しないで」


 駆け寄ってきた優奈の手がそっと両肩を抑える。


「よいしょ」


 お米を抱くような要領で、上半身を起こされた。

 介護されているような気分である。


「卵粥作ってみたの。食べれる?」

「うん……めっちゃ美味しそう……」


 お世辞ではなくガチだ。

 見ただけで唾液が出てくる料理は、必然的に美味しいと相場が決まっている。


 何十時間ぶりかわからない料理に俺が見惚れていると、優奈がお粥を掬ってふーふーしてくれた。


「はい、あーん」

「あーん」


 ぱくん……もぐもぐ……。


 ……!?


 今ナチュラルすぎてスルーしそうになったけど。

 あーんされた? 俺?


「どう?」


 もぐもぐ、ごくん。


「……美味しい」

「良かった!」


 ぱぁっと、優奈は花のように笑った。


「ふー、ふー」

「や、ちょっと待って、ちょっと待って」


 大事なことだから2回言った。


「……ん、どうしたの?」


 こてりんと、優奈が不思議そうに首を傾げる。


「なんで、あーん?」

「なるべく身体を動かさないほうがいいかなって」

「ああ、なるほど……気遣いだったのね」

「病人なんだから、気にしないで。ふー、ふー……」

「や、だからちょっと待って、ちょっと待って、ちょっと待って」


 大事なことだから3回。

 ついでに優奈に掌を見せるストップのジェスチャーをして、言う。


「あーんはちょっと、恥ずかしい」

「あっ……」


 優奈は完全に無自覚だったようで、雪色の頬がさくらんぼ色に染まった。


「ご、ごめんね、ごめんね……?」

「い、いや、大丈夫っ」


 なんだこのやりとり、くすぐったい。

 思わず声が裏返ってしまい余計気恥ずかしくなった。


 優奈からレンゲを受け取ってお粥を口に運ぶ。


 程よい塩気と、卵の甘みがちょうどいい。

 はじっこに昆布、梅干、鰹節と付け合わせがいくつも添えられているのが特徴的だった。

 グロッキーだった食欲に光が舞い戻る。


 ……そこで、ふと懐かしい気持ちを抱いた。

 この付け合わせの光景に覚えがあったから。

 なんか前にもこの卵粥を食べたような気がする。


 いつだっけ?

 

 はぐはぐとお粥を食していると、優奈がじーっと俺を眺めていることに気づく。

 

 観察しているわけでも監視しているわけでもない。

 小鳥たちがてくてく歩く様子を、ほっこり眺めているような笑顔で。


「……もしかして、口元にご飯粒ついてるとか?」

「えっ!? あ、ううん、違うよ!」


 ぶんぶんと首を振る優奈。

 前髪がサラサラと揺れる。


 いそいそと赤眼鏡を掛け直したあと、優奈は言った。


「美味しく食べてくれて、嬉しいなーって」


 純粋が過ぎないか、この子。

 

 えへへと、口元を緩ませて喜色を浮かべる優奈を見て、不安にも似た気持ちを抱いた。

 将来、ダメ男とかにハマるタイプなんじゃないだろうか。


 看病して貰っている身で失礼なことを考えながら完食する。


「ご馳走様」

「お粗末様でした」

「それ言う人は初めて遭遇したかも」

「あれ、普通言わない?」

「アニメで見たことはあるかも」

「そっかー。そういえば、どういう意味なんだろうね、これ」

「確か……大したことのない料理でしたが、みたいな、謙遜の意味があった気がする」

「ああ、じゃあ適切だね。実際、大したことないし」

「いやいや、今の俺にとってはミシュランも唸るご馳走だったよ」

「良かった、普通に会話できるくらいには元気になったね」


 優奈が胸に手を当ててほっと息をつく。

 言われてみれば、心身ともに若干の回復を果たしていた。


 やっぱ栄養は大事だな。


「と言っても、まだまだ予断は許さないから、しっかり寝てね?」

「うん、もちろん」


 こうして、もう一眠りすることになった。

 意識が闇に落ちる寸前、そういえばと思う。


 いつまで居るんだろう?

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