第3話 空元気


 図書準備室の真ん中の机。

 俺と優奈は、向かい合う形でお昼ご飯を広げていた。


「いつもここで食べてるのか?」


 メロンパンを齧りながら尋ねると、卵焼きをごくんと飲み込んだ優奈が頷く。


「静かだし、紙の匂いが落ち着くし、風が涼しいしで、私の楽園なんだ」

「楽園て、大袈裟な」

「秀人くんにもあるでしょう? “ここは俺の楽園だ!”って場所」


 言われて、脳裏に過ぎった。

 とある部屋の光景だ。


 可愛らしい小物やぬいぐるみ、ピンク色のカーテン。

 ふたりでトランプとか、テレビゲームとか一通り遊んだあと、恵美は俺の横に座ってこつんと、頭を肩に預けてきた。

 あの瞬間は確かに、『俺は楽園にいるのかもしれん』と思って……。


 ずきん。


 胸が音を立てて痛む。


「……秀人くん?」

「あ、ああ、ごめん、ぼーっとしてた……そうだな、俺の楽園……水曜5時間目の教室だな!」

「す、水曜5時間目の教室?」

「そう! お昼ご飯後で適度に眠気があって、昼下がりの風が気持ちよくて、数学の岡田の説明が眠りの呪文みたいに心地よくて、最高だぞ!」

「なにそれ」


 何がウケたのか、くすくすと優奈が口に手を当てて笑う。

 いつも下を向いていて、目元が前髪に隠れていて表情が見えなかったけど、なんだ。


 笑顔、凄く可愛いな……と思ってしまった。


「それにしても、すごい確率だよね」


 お互いに食べ終えたあと、優奈が言った。


「ああ、ほんとにな。まさかこんな偶然が炸裂するとは思わなかった」


 恵美の事で自暴自棄になって、メンタルがボロボロだった俺が手を出したアプリ、KOKORONE-心音-。

 そのアプリを通じで繋がった相手が、まさかのクラスメイトだった。


「宝くじに当たったら、こんな気分になるのかな」

「宝くじじゃ効かんでしょ、1億2000万分の1だし」

「……? 特定のクラスメイトにあたる確率は1億2000万分の1だけど、クラスメイトの誰かに当たる確率は300万分の1じゃない?」

「あっ……そうか、クラスが40人いるから、1億2000万を40で割って……ダメだこりゃ、完全にボケてたわ」

「昨日は色々あったからね……仕方がないよ」


 沈黙。

 すると気を遣ったのか、優奈が明るい調子で言った。


「さ、300万分の1でも充分すごいよ!」

「あ、ああ……改めて聞くと、すごいな」


 こんなこともあるんだな。


「それで、どう?」


 優奈が尋ねる。


 今までの、ふわふわしていた雰囲気とは違う。

 ぴしりと、真面目な空気が漂わせて。


「どうって?」

「秀人くんの調子?」

「ああ、調子は良いよ、とても……」


 どくん。

 心臓が跳ねる。


「恵美のこと、いろいろ聞いてくれて」


 どくんどくん。

 早まる鼓動と共に、肺が締め付けられて痛くなる。


「たくさん、励ましてくれて」


 恵美が俺に告げた、最期(・・)の言葉が頭の中でリピートする。


 ──ごめんね、そばにいてあげられなくて。


「すっげー助かった! 本当に昨日は、ありが……」


 ガタンッ。

 急に、優奈が立ち上がった。

 

 机を回って、俺の横に座る。

 ふわりと甘い香り。


「ど、どしたん、音羽さ……」

「無理、してるよね?」


 息が止まる。

 真相を言い当てられた犯人のような気持ち。


「えと……なんのこと?」


 自分の声が震えていて、驚く。

 至近距離で、じっと目を覗き込まれて、逃げられない。

 

「さっきから……ううん、昨日電話した時から」


 ……ああ、その先を言わないでくれと、俺は思った。


「ずっと、空元気……しんどくない?」


 …………。


 ………………ああ、くそ。


「や、大丈夫だ、本当に!」


 止まった時間を無理やり進めるように言う。


「なんつーか、恵美のことはもう自分の中で折り合いはつけたというか、仕方がなかったと言うか……」


 気づく。

 自分でも誤魔化しきれないくらい、息が荒くなっていることに。


「いつまでもくよくよしてられないからさ!」


 背中にじんわりと、嫌な汗が浮かぶ。


「今日からは心機一転! 新しい気持ちで……」


 黒髪が舞う。

 自分以外の体温、柔らかな感触。


 優奈が、俺を抱き締めてきた。

 包み込むように、ぎゅっと。


 優奈の体温が、頬にじんわりと溶け込む。

 甘い香りが鼻腔をついて、頭がジンジンと痺れる。


「なん……」

「無理だよ……新しい気持ちで、なんて」


 湿り気を帯びた声。


 ぎゅうっと、俺の頭を抱きしめる腕に力がこもる。


 そして優奈は、決定的な言葉を口にした。


「3年も付き合ってた彼女さんが死んじゃって……一日で立ち直れるはずが、ないよ」


 俺の空元気が、ぴしりと音を立てた。


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