第5話 帰還するの早すぎません?

 瞬きする間に、彼は例の空港へ戻っていた。そこは出発ゲートとは異なる場所であったが、あきらかにあの空港だった。困惑するエイイチにさっそく鬼が声をかけてくる。


「お帰りなさいませ」


「うぴっ」


 唐突な声掛けに胃の中身が逆流し、エイイチはぎょっとする。しかし鬼は、まさか彼がカプセルを輸送しているだとはつゆも思わず、『到着 Arrival』の方を指し示す。


「お疲れさまでした。あちらへお進みください」


「うっ、はぁ。あは、ただいまですね。はははは……」


 エイイチが苦笑いでやり過ごし動く歩道に飛び乗ると、意外に異世界からの帰還者は多いようだった。先の見えぬほど長いコンコースのあちこちから、ザ・勇者的な見た目をした男女がわらわらとやってきて、動く歩道に乗り込んでくるのである。


 彼らは皆一応に「やりきった」という表情をしていた。ときおり勇者でなく、賢者や盗賊的な見た目の奴らもいたが、彼らが世界を救ったであろう転移者であろうことは間違いなく、エイイチは、俺なにやってんだろ、と思った。


 みんな、なんだこいつ、って思ってんだろうな。


 元の世界と同じ服装なのは自分だけで、暗い感情がもくもくと立ち上がってきた。それは被害妄想に過ぎなかったが、まるで振り払えず、しくしくと腹が痛くなった。エイイチは無限に続くかのような動く歩道、その手すりに寄りかかりながら、早く終わってくれと念じ続けた。


 それは気の遠くなるような時間であったが、やがては終わり、エイイチ含む帰還者たちは検疫ブースへと到着した。


 そこは人でごった返し、流れがあきらかに滞っていた。それもそのはず、複数の鬼たちが「世界観を乱す物品はすべて捨ててくださーい」「特に動植物は伝染病の原因となりますので、絶対にダメでーす」などとアナウンスしており、行きと同じように皆がブーイングを上げていたからである。


「待ってこれ伝説の剣なんですけど? これないと魔王が復活したとき困ると思うんですけど?」「規則ですので」「死んだ王女にもらった思い出の品もダメとか、お前ら鬼か!」「鬼ですから」「おい服もダメってなんだよ! 裸になれっていうのか!」「皆さんそうされてます」


 さすがに世界を救うと気が大きくなるのか、勇者たちはケンカ越しに鬼へと詰め寄っているが、アサルトライフルで武装した現代的な鬼警備員に睨まれると勝ち目はない。彼らはしぶしぶ剣を捨てて鎧を脱ぎ、ほどんど素っ裸(下着も一部許されないものがあるらしい)になって、なった者から順に先へと進んでいく。


 そんな光景を見たエイイチは、焼けるような吐き気を覚えた。動く歩道でずっと静止していた反動もあって、クールというレベルでない冷涼感が喉を刺した。彼は目をガッと見開き、立ちつくすことしかできなくなった。


 ちょうど近くの壁に『麻薬の密輸は犯罪です。初犯でも地獄行き!』と最悪な内容のポスターが張ってあった。その内容に偽りはなく、キマっているかのようにストーンするエイイチを不審に思った武装鬼が、彼に訝しげな目を向けてくる。


 ヤバい。


 と、エイイチは慌てた。無理やり唾を飲み込みなんとか胃液を抑えこんで、彼は他の勇者たちのようにジャージを脱ごうとする。が、鬼が首を振る。どうやらジャージは脱がなくても問題ないらしい。彼は目で促され、断ることもできぬまま続く探知機へと進まされた。


 ろくに覚悟もできぬままそれをくぐると、魔王が言った通り反応はない。かといって安心する暇もなく、またしても関門が控えている。


 それは行きでも苦しめられた『入世界審査イミグレ』であった。


 検疫同様混雑するそのブースにたどり着くと、唯一ジャージな彼はもうあきらかに浮いていた。歴戦をくぐり抜けたであろうマッチョな男女の裸体に囲まれると、エイイチはますますドツボにハマってしまう。


 ひっく、ひっく。


 変に喉に力を込めたせいか、いつしかしゃっくりが止まらなくなっていた。彼は不審な挙動を隠すことができず、勇者たちや警備の鬼たちに警戒されながら、『JP』と表示してある列に滑り込んだ。


 『JP』カウンターは、隣りにある『EU』や『US』のカウンターよりも、あきらかに列が長かった。


 他にもガラ空きのカウンターがあるのになんでここだけ、と勇者たちはやはりイラついており、その異様な熱気に、もう限界だと彼は思った。


 裸の人々にあわせた暖かめの空調にやられ、エイイチはすっかり汗だくになっていた。彼はとりあえず周りの動きをまねて、パスポートの該当ページを開こうとする。が、指先がぬるつきパスポートを落としそうになって、後ろのイケメン勇者が助けてくれるのにすらビビり倒してしまう。列は長くとも、勇者たちが審査されていくペースは速い。みるみるうちに赤い待機線が近づいてくるが、彼はふらつき倒れないよう踏ん張るだけで精一杯だった。


 そうして、いよいよエイイチの番がやってきた。


 ブースの中から、鬼の女性係員がエイイチを手招きした。エイイチは鼻から大きく息を吸い込むと、大丈夫だ絶対大丈夫だ列さばくのが速いってことは何も突っ込まれないってことなんだから大丈夫だ、などと自分に言い聞かせ赤線を超えて進み、彼女にパスポートを差し出した。


 鬼は面倒くさそうな表情でそれを受け取った。ろくにページを見ることなく、流れ作業のようにスタンプを押しかけたところで、突然パスポートを顔に近づけまじまじと凝視し始めた。


 エイイチは発狂しそうになった。甘く爽快感のある胃液がぞぞっと鼻に逆流し、差し込むような刺激に涙目になる。全身が火照り汗が止まらず、ものの数秒が数十分にも感じられるほどの沈黙を挟んで、鬼が言った。


「あのー、ちょっと帰還するの早すぎません?」


「え?」


 鬼がパスポートから顔を上げ、脂汗にぬかるんだエイイチの顔をじっと見た。


「7月26日、今日ですよね。で、あなた、今日の午後7時41分に入世界して、今が7時47分。まだ6分しか経ってないんですけど? 現地や世界港では時間の流れが異なることを加味しても、実質の滞在時間は2時間ほどですよね」


「あーっと、それはですね……」


「詳細な説明をお願いします」


「あー……」


 終わった、とエイイチは思った。


 ガーンという、マンガみたいな音が響いた気がした。何か言わなくちゃ何か言わなくちゃと、彼は焦ったが、考えれば考えるほど頭のなかが真っ白になって、何一つ言葉が浮かばなかった。そうして全身から力が抜け、バランスを崩しよろめいたところで、辛うじて王様が言った言葉が口をついて出た。


「……わかるじゃろう?」


 それは蚊の鳴くような声で、語尾も謎であったが、「まぁねぇ」と鬼が答えた。


「正直、困るんですよねぇ。召喚したはいいが、思ってたのと違うって転移者を送り返す王様。ま、あなたに言ってもしょうがないんですけど」


「はぁ」


「しかも仲介人は、あの女神マルパスですか。ま、これに懲りたらもう来ないでくださいね」


「……あ、はい」


 エイイチは呆気にとられたまま、鬼からパスポートを受け取った。パスポートには『帰世界』のスタンプが押されていた。


 なんとかなったのか……。


 彼はいまだその実感を持てぬまま、メトロを乗り継ぎ指定された魔法陣へと移動して、元の世界へと帰還するのだった。

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