第6話 これでバッド評価はひどいんじゃ?
魔法陣を介し、エイイチが戻ってきたのは女神のマンションの玄関前ホールであった。
「あ、あ、あ……」
そこでエイイチの緊張の糸が切れた。
「あ良かった。あ生きてる。あぁ良かったホント良かった」
などと言って彼がその場にへばりこむと、待ちくたびれたという顔でソファに座っていた女神が立ち上がった。
「やっと戻ってきたか」
彼女はそう言って、つかつかとエイイチに歩み寄った。その満面の笑みにエイイチが安堵したのもつかの間、彼の腹に女神は右手を突き刺した。
「へ?」
手刀――それはまさしく刀のような切れ味で、衝撃波を伴った弾丸のような一撃に、エイイチは思わず悲鳴を上げた。
「ぎゃあぁぁぁぁっっっ!!」
痛みは一度だけではなかった。彼の体内に差し込まれた女神の右手はグニュグニュと蠢いて、先とは異なる激痛にエイイチが体をくの字に折り曲げたところで、唐突に引き抜かれた。
「あ……」
ずるり、と何かが引き出されたその感触に、エイイチは死を意識した。しかし腹からは内臓はおろか、一滴の血も流れ出してはいなかった。高校時代のジャージはもともとかなり着古されていたが、破れることも、今以上に汚れることもなかった。
「何が……??」
エイイチは目を見開いた。内臓のかわりに、女神の右手には十個のカプセルが鷲掴みとなっていた。これも魔法か? そんな疑問を抱きながら、エイイチは大理石の床の上で悶絶する。貫かれたときほどではないとはいえ、行き場を失った淡い痛みが残り香のように体の内でうごめいているのだった。
「あぐっ、……はぁ、……はぁっ」
と、息苦しさにあえげばあえぐほど喉から鼻へと抜けるのはあのクールミント風味で、もうマジで最悪だ、と彼は思った。
しばらくじっくりカプセルを確認したあとで、女神が言った。
「よくやったな少年」
その声はかつてなく明るく、彼女は続ける。
「ほら、返してやる」
その瞬間、ひんやりとした床の上で息を荒げるエイイチの前に、ぼんやりとした影が差し込んだ。エイイチが顔を上げると、女神がスマホと財布を差し出していた。
彼女は女神にふさわしい現実離れした美しい笑みをたたえていた。これも魔法を使ったのか、彼女の隣では死にかけていたはずのドラギちゃんがすっかり元気を取り戻し、その頭上でシャンデリアが何事もなく輝いていた。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
エイイチは床に手を付き呼吸を整えながら、ふらふらと立ち上がった。震えの止まらぬ手で女神から所持品を受け取ると、彼女は続いて簡素な茶封筒を差し出した。
「ほら、これも。約束の追加報酬だ」
「あ、はぁ……」
エイイチは覇気のない声で答え、それを手にとった。彼には、女神の言葉などまるで入ってはこなかった。早くここから逃げ出したい、そんな思いで頭のなかはいっぱいだった。
「また仕事がしたくなったら、来るといい」
「はぁ……」
彼は力なく女神に背を向けると、ドラギちゃんのせいでボロボロになったデリバリーバッグを担いで、エレベーターへと転がり込んだ。
扉が閉まってエレベーターが下降し始めると、床が抜けたかのような心地だった。まるでリアリティがなく、エイイチは手にしたままの茶封筒を見た。
もらったときには気づかなかったが、封筒には一枚の名刺が添えられていた。肌触りの良い紙質のその名刺には『女神 マルパス』とだけ記載されていて、余計わけがわからなくなった。
女神も、ドラゴンも、王様も魔王も、全部夢だったんじゃないかと彼は思った。だけどスマホを取り出して見ると、今回のデリバリー評価には、
エレベーターが一階に到着する。
あの鬼の係員が言った通り、異世界とこの世界では時間の流れが異なるのだろう。マンションに到着してから十分ほどしか経っていなかった。だから入館証をコンシェルジュに返しても、エイイチは何も言われなかった。
とぼとぼと外に出ると、むわっとした熱帯夜の湿度が彼の身体にまとわりついた。やはり時間の感覚が変で、今が七月後半であることすら、本当にそうなのかと不安になった。
本来ならまだデリバリーのピークタイムで、もっと稼ぐこともできたはずだが、なんだかとても疲れていた。エイイチはもう一度財布の十万円を確認すると、ウーパーのアプリを切ってアパートに帰り、シャワーも浴びず眠りについたのであった。
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