第36話 勇者の正体
「私は潜入捜査官なんだ」
と、クリスタリナは言った。
自分は重大な思い違いをしていた、と彼女は痛感していた。エイイチが未成年だと酒を拒むのを見て、何かがおかしいと思ったのだ。
「え? どういうこと? え、潜入ってなに?」
唐突なクリスタリナの告白に、エイイチはあっけにとられ、目を白黒させていた。その顔にはまるで覇気が感じられず、この期に及んでなお朴訥としたオーラが漂っていた。鍛冶師が作った鎧もまるで似合わず、グラスを持つ手にも攻撃性が一切なかった。
こいつはただ運ばされていただけだ。
クリスタリナはいよいよそう確信する。
病弱な妹がいるのなら、エリクサーを使えばいい。だけどそうしないということは、何を運んでいるか知らされていないということ。きっと彼はマルパスに脅され、運び屋をさせられていただけなのだろう。老獪なマルパスのことだ。何か彼の弱みを握っているに違いない。
考えれば考えるほど、クリスタリナにはそのように思われた。
こうやって遠回りを続けていたのだって、本当に私をこの世界の住人だと思って、犯罪に巻き込まないよう考えたからではないか?
バチバチバチバチ……
と、最後の花火が残響を伴い消えたところで、クリスタリナは付け加える。
「君は麻薬の密輸を繰り返していたはずだ」
喋り方が元に戻っていたことに今になって気づいたが、構わなかった。
「そしてその首謀者は女神マルパス」
そんな彼女の問いに、エイイチは答えなかった。
彼は目を伏せ浅い呼吸を繰り返すだけだった。兜の影の下で、軟弱な顔つきがことさら白くなっていくのが見て取れた。空のグラスを持つ手が震え、鎧のプレートがこすれ神経質な音を立て始めていた。
それを無言の肯定ととらえ、クリスタリナは続ける。
「マルパスは私の上司なんだ。彼女はその地位を利用して――」
「それは違うな」
ところがふいに、女の声に遮られた。
「なぜならその女こそが、事件の首謀者だからだ」
それは今、一番聞きたくない声だった。
その声はバルコニーの柵の向こう側から聞こえてきて、クリスタリナがそちらを向くと案の定、そこにいたのはマルパスだった。
「君こそ、少年に勇者を騙らせ密輸させていた犯人だろう?」
黒いスーツに黒いネクタイの彼女は、緑色のドラゴンの背にまたがっていた。ドラゴンは大きな羽根を広げ鱗をきらめかせ、白い月を背景に優雅に羽ばたきホバリングしていた。
「なぜお前がっ!」
クリスタリナが身構えると、マルパスの存在を認識した群衆がいっせいにどよめいた。ドラゴンにまたがるマルパスの頭上には、さも当然かのように光輪が浮かんでいる。これはいったい何事か、あれは誰だ、トラブルなのか演出なのか、と皆が色めき始めると、ここぞと声を張り上げマルパスが言った。
「私は異世界麻薬取締局日本分局長のマルパスだ! 貴様らをエリクサー密輸の容疑で逮捕する!」
「くそっ、またしても私に罪をなすりつける気か?」
と、クリスタリナは答えた。やられた、と思った。マルパスは最初から私の動きに気づいていたのだ。悪魔の杖や偽造パスポートをスルーしたのも、私に罪を被せるため。あえてここまでエイイチに同行させるよう仕向けたのも、運び屋との接触という証拠を作り上げるためだったのだ。
案の定、マルパスは露骨に眉をしかめ言葉を続ける。
「なすりつける? ぬけぬけと、地位を利用し密輸を企むなど、やはりモルペウスの娘だな」
「貴様っ!!」
クリスタリナの頭上にも光輪が現れ、彼女は躊躇なくマルパスへ火魔法を放った。いいように泳がされ、濡れ衣を着せられただけでなく、二度も父を侮辱されたのだ。とても許せるわけがなかった。
だが、
「ふん。なんだこの程度か……」
クリスタリナが作り出した炎の球は、マルパスの直前で止まる。
「なっ!?」
彼女は光のバリアを張って、難なくそれを受け止めていた。いったん停止した火球はその表面でひしゃげ跳ね返されると、王宮の尖塔へと直撃する。レンガ造りの塔が根本から崩れ、勢いよく倒れてくると、人々はパニックに陥った。
「くそぅっ!」
クリスタリナは風魔法でその落下地点をずらし、彼らにレンガが降り注がないよう回避する。速やかに、遠く、誰もいない荒野に放り出された尖塔は凄まじい砂埃を撒き散らし、あっけなく瓦礫の山と化してしまう。
それを見たマルパスがニヤリと笑う。
「おいおい君、また魔法を使うとはひどいな。これは明白な違法行為だぞ」
「何を今さらっ!」
クリスタリナは叫び、マルパスをにらみつける。
「こんな狼藉許されてたまるものか! これは
「報告? 一体どこに証拠がある?」
「この行為こそが証拠だろっ!」
再度火球を放ったクリスタリナに応じ、マルパスもまた手を伸ばす。
「それはこっちのセリフだな」
すぐさま、辺りは昼のように明るくなった。
マルパスも炎の玉を作り出し、女神たちが放った二つの巨大な火球が空中で激しくぶつかりあっていた。拮抗する二つの球は耐え難い焦げ臭さで周囲を埋め尽くし、現住民たちは慌てふためき泣き叫び、ほうぼうに散って逃げていく。
それを見たマルパスが自信ありげに顎を上げると、火球がぐんと一回り大きくなった。一呼吸おいて、ボムウッ、と不吉な音を伴って熱気を帯びた風が吹き荒れると、クリスタリナの頭から兜が吹き飛び、銀の髪が巻き上がった。
まずいな。
と、クリスタリナは思った。まっすぐ伸ばした右手がビリビリと強くしびれていた。彼女の火球は今にもマルパスのそれに押し負けそうになっていた。彼女は今、ほぼ全力を出しているにもかかわらず、である。彼女よりマルパスのほうが神としてはるかに格上である。魔力の絶対量が違うのだ。
けれど、
押し負けてなるものか。
と、彼女は腹に力を込めた。口の中に血の味が広がるが、やるしかないと力を込めて、さらにエネルギーを充填した。
「ぐぎゅううぅぅぅっっっっ!!」
というクリスタリナの苦悶の声とともに、十秒ほどの時間をかけてじわじわと火球が融合し、対消滅していく。クリスタリナだけが荒く息を切らすなか、少しずつ夜が戻ってくる。
そして再び、女神たちがお互い手を伸ばしたまま向かい合う。
次に仕掛けるのはどちらからか。
双方が機会をうかがうなか、バサッ、バサッ、というドラゴンの羽音がリズミカルに音を奏でている。その異様な低音の隙間から聞こえてくるのは、悲鳴に次ぐ悲鳴。下方ではいまだ大混乱が続いている。
そんな緊迫感に耐えきれなくなったのか、エイイチが口を開いた。
「あの、証拠とか何言ってるんですかマルパスさん?」
背後からそう言う彼の声は不安げに震えていた。
「ていうか、王様や魔王に聞けば誰が密輸を指示してたかなんて……」
「魔王?」
マルパスはクリスタリナから目を離さず答えた。
「あぁ、そうだな」
それは、ふと思い出したかのような口調だった。彼女はクリスタリナに向き合ったまま、伸ばした腕を屈曲させると、掌を肩越しに後方へと向けた。
直後、
ボウンッッ!!
と、耳をつんざく音とともに、まばゆい閃光が炸裂した。
「え?」
クリスタリナの一瞬のまばたきの間に、マルパスの後方に超弩級の火球が作り出されていた。先の火球の五倍、いや十倍はゆうにあろうかというそれは魔王城向かって桁外れのスピードで飛んでいき、数瞬後、魔王城で巨大な爆発が引き起こされた。
エイイチの悲鳴が、強烈な轟音と爆風にかき消される。
先の火力ですらまだ全力でないというのか。
距離が離れていても感じるその強い風圧、禍々しいキノコ雲に当惑するクリスタリナにマルパスが告げる。
「魔王はもういない。卑劣な女神に消されてしまった。そしてこの世界自体も消滅する。その女が抵抗するからだ。世界は巻き添えとなって、真実も隠蔽されてしまうのだ」
そう言うがいなや、クリスタリナへ新たな火球が飛んでくる。今度もこの城自体破壊されん大きさだ。
「させるかっ!」
とっさに、クリスタリナはバルコニー全体にバリアを展開させた。しかしパワー不足感が否めない。踏ん張る両足が床にめり込み、彼女の背中から鎧を突き破り羽根が生える。この姿になるのも当然違法であったが、四の五の言える状況ではないだろう。羽根すら押さえ込めないようでは、あの鍛冶師とやらも大したことはなく、剣も鎧もまるで期待できないからだ。
「ぬおぉぉぉっっっ!!」
クリスタリナは歯を食いしばる。バリア表面で引き起こされた衝撃波で城のバルコニー以外が崩れていくが、マルパスは猛攻の手を緩めない。
「ぐううぅっっ!」
ついに、クリスタリナの右手の爪に亀裂が走る。オーバーヒート寸前の魔力に、彼女は全身バラバラになりそうに感じながらも必死に抗い続ける。
王様や兵士たちが泣き喚く声がする。
どうやらバリアのカバーできぬ下方で柱が溶け始め、バルコニーの安定を維持できなくなっているようだ。クリスタリナが防御できる範囲も徐々に狭くなり、このままでは誰かが焼け死ぬのも時間の問題だろう。
こうなったら――
と、クリスタリナはエイイチ向かって叫んだ。
「聞けエイイチ!」
いまや彼女にとって、頼れるのは彼しかいなかった。
だからクリスタリナは魔法を使い、一枚の紙片を作り出した。片手でバリアを維持しつつ、もう片手でその紙を後方のエイイチに手渡さんとする。
「南の森に魔法陣を隠してある」
彼の顔を見る余裕もない。
「元の世界に戻ってこの番号にかけろ。信頼できる人物だ。彼女に真実を話し、証人保護プログラムを受けるんだ」
「……わかりました」
後ろを見ることは叶わなかったが、エイイチが紙を掴んだのははっきりわかった。
なのでクリスタリナは風魔法を放った。上向きに、エイイチだけをピンポイントで天高く弾き飛ばした。
「何をっ」
マルパスの意識がそちらへ向かう。火球のベクトルが変わり、バルコニーの安全が確保される。
クリスタリナはそのわずかな間に王様たちを地上に転移させると、改めてマルパス向かって手を伸ばす。
「いっけぇーーーーっっっ!!」
クリスタリナの掌からここ一番の強風が吹き荒び、反応の遅れたマルパスが動物じみた怒号を上げる。マルパスの手にも新たな光の弾がただちに生成されてくる。
そして、すべては白く塗り潰された。
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