第35話 世界平和の前夜祭

「明日、俺たちは魔王を討伐します!!」


 エイイチは王宮に戻ると、王様にそう宣言した。王様は満面の笑みを見せると、こう答えた。


「ほっほっほ。ならば、今夜は世界平和の前夜祭じゃ」


 そうして急遽、魔王城への勇者進軍を祝したセレモニーが行われることになった。

 

 勇者一武道会以降はこれといったイベントもなく、王都の民は“サーカス”に飢えていた。なのでエイイチが王様やクリスタリナとともにバルコニーから手を降ると、広場に集まった王都じゅうの人々がここぞと盛り上がった。


「魔王を殺せぇ!」「もっと楽しませろぉっ!」


 明日のメインイベントに期待する拍手や歓声がいつまでたっても鳴り止まなかった。王都の町並みはそんなざわめきに負けず劣らず煌々と輝いていて、以前の淡く幻想的な夜景が嘘のようだとエイイチは思った。すっかり見慣れた大きな月のちょうど真下、黒い湾を挟んで建つ魔王城だけがかつてと変わらぬロウソクの明るさで、街の発展の勢いに霞んでいた。


「殺せ、殺せ、さっさと殺ーせっ!!」


 極めつけに花火が打ち上がり、観衆のボルテージは最高潮に達する。花火は何発も何発も、エイイチとクリスタリナの門出を祝って上がり続けた。


 エイイチは彼の隣で花火を眺めるクリスタリナの横顔を見た。


 セレモニーに際し、彼女も彼とお揃いの、あの鍛冶師が密かに作り上げた装備一式を身に着けていた。剣は実用性に特化し地味な見た目であったが、鎧兜のデザインは洗練されており、エイイチには普段のビキニアーマーでないクリスタリナの姿がなんだか気高く見えた。プロポーション自体が素晴らしいので何を着ても綺麗なのだが、今日は特別だった。どこか憂いを帯びた表情、花火を受けて七色に輝く銀髪のオーラに、ただただ圧倒された。


 そんな彼女を眺めながら、魔王を殺そう、エイイチは改めてそう思った。


 このままダラダラしていてもしょうがない。俺とクリスタリナの妹のために、魔王を殺すのだ。オルディアによれば、魔王自身もそれを望んでいるとのことらしい。そして偶然とはいえ、俺はそんなオルディアを殺してしまった……


 エイイチはぎゅっと拳を握りしめ、クリスタリナから魔王城へと視線を戻す。


 魔王は価値観こそ違えど、いや違うからこそ、その言動の根底に仁義のようなものが感じられて、まさか殺しをしていたとはエイイチには思えなかった。だが、クリスタリナの妹は殺された。彼女の目の前で、惨たらしく叩き潰されたのだと彼女は打ち明けたのだった。


 そうなのだ。なんだかんだ言っても奴は邪悪な魔王なのだ。殺人も、麻薬やマネーロンダリングの延長で、俺の前だけ人が良さそうに振る舞っていたのだ。金持ちだけしか襲わないなどと偽善ぶって、裏では無茶苦茶やっていたのだ。なにがセックスドラッグロックンロールだ、騙しやがって。だから、俺だって奴を殺していい、そうだろう?


「いや俺未成年なんで」


 王様の家来が手渡してくれたシャンパンをエイイチは断った。たとえアルコールであっても、今はドラッグの類いを見たくなかった。


「それでは、世界の平和を願って……」


 王様の音頭とともに、エイイチはかわりにもらったオレンジジュースで乾杯する。花火が絶えず上がり続けていた。誰もが楽しそうに騒ぎ続けていたが、そうであればあるほど、こんなことをしている場合じゃない、とエイイチは思った。


「明日は頑張ろう」


 エイイチはオレンジジュースを一気に飲み干すと、クリスタリナに話しかけた。


 しかし、シャンパン片手のクリスタリナはふっと目をそらした。その瞬間、突如としてエイイチの脳内にあのあえぎ声がこだました。


 それは栗栖さんの声で、なんでだろう、と彼は思った。最初こそ見間違えたものの、クリスタリナさんはどう見ても栗栖さんとは違うのに。


 エイイチはどこか不安な気持ちになって、早口に言葉を続けた。


「ふたりで必ず妹さんの仇を討とう!」


 引き続き沈黙があった。


 花火と喧騒だけがふたりの隙間を満たしていた。クリスタリナの褐色の肌の上で様々な色が弾け、消えた。


「すまん」


 数秒後、クリスタリナは答えた。小さな声だった。いつもの間延びした話し方でなく、エイイチは余計に戸惑った。


 クリスタリナは口をつけていないシャンパンを近くのテーブルに置くと、エイイチを向き直り、やはりか細い声で続けた。


「私には殺された妹なんていないんだ」


 上空でひときわ大きな花火が爆発した。

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