第33話 デスマッチ・ウィズ・ザ・ディアー

 ウメコも魔王も救う手立てが見つかるかもしれない。そんな希望を抱いて王都に戻ってきたエイイチであったが、淡い期待はあっけなく打ち砕かれた。


 件の女封印師の家は港の外れ、開発の遅れた貧困地区の片隅にあった。訪ねると、小さな平屋から出てきたのは封印師というより主婦っぽい老いた女性で、この時点でダメ感が漂っていたのだが、彼女がしていたものの正体もまたひどかった。


「俺、働くよ。王国軍に入って魔王討伐を手助けする!」


 薄暗い廊下の奥、腐った玉ねぎをさらに腐らせたような激臭を放つ部屋から出てきた男がそう言った。それは黒ずみボロボロになった服を着た年齢不詳の男だった。目脂のたまったタレ目をギラつかせ、髪もヒゲも生え散らかした彼がよろよろと接近してくると、エイイチは思わずたじろいだ。目や鼻の粘膜を刺す悪臭がますますひどくなったからである。


 しかし男がエイイチに握手を求めるより先に、女封印師が彼に抱きついた。


「あぁヒロちゃん。なんてことぉ!」


「母ちゃんすまん! こんななるまで引きこもって!!」


 男は、彼が「母ちゃん」と呼ぶ女封印師の背中に両手を回すと、ふたり一緒に泣き崩れた。


 男とともに部屋から出てきたクリスタリナは、笑うでも怒るでもない能面のような顔で廊下のすみにつっ立っていた。ずっと臭いの爆心地にいたはずなのに、まるで動じない彼女を、エイイチは素直にすごいと思った。


 ハグを終えた母親がクリスタリナを向き直り言った。


「これもすべてクリスタリナ様のおかげです!」


 男も付け加える。


「本当に、本当に、ありがとうございます!!」


 彼らは深々とクリスタリナに頭を下げると、今度はエイイチに礼を述べた。


「勇者様も、誠にありがとうございます!」「人生で最高の瞬間です!!」


 涙でグシャグシャになった彼らの顔を見てエイイチは、うっわー、と思った。


 世の中には温暖化や呪い以外にもカネで解決できないタイプの問題があった。


 カネを積もうがモノで釣ろうが動かない二十年来引きこもりの息子と、そんな息子に出てきて欲しい母、それこそが封印されし魔物と女封印師の正体であった。


 それはただの家庭の問題、別に勇者が受ける必要のないクエストであったが、クリスタリナは文句一つ言わず、偏屈な息子を見事な交渉術で絡め取った。おっとりしてそうでいて教養は深く、たくみに軍事オタクな息子の興味を誘い、そこから早く亡くした父に対する彼のコンプレックスを引き出し傾聴、共感した。ふたりが意気投合するまで、あっという間であった。


 戦闘面だけでなく精神面でも彼女は非の打ち所がない勇者であった。偽物のエイイチなどとは比べ物にならなかった。


「みんなで魔王を倒しましょう!!」


 いよいよ男からハグされてしまったエイイチはこの世の終わりのような臭気に包まれながら、マジでどうしよう、と思った。口先で呼吸しても否応なく滲む涙がこの場を凌ぐカモフラージュになってはくれたが、根本的な問題は何一つ解決してはいなかった。外に出ても鼻にこびりついた臭いは消えず、いよいよ彼はげんなりした。


 もうダメだ。クリスタリナさんがいる限り、どうやっても世界は平和になってしまう。魔王を殺すしかなくなってしまう。


 そんなことを考えるエイイチの脳内に、「アウトソーシングじゃよ」と、王様の声が響き渡る。


「自らの手を汚す必要なんてない。わかるじゃろう?」


 いやわかんねーし! と、エイイチが心のなかで叫んだとて、時間は残酷だ。残り時間はもう二週間もない。元の世界換算だとほんの十時間あまり、病状が急変すれば、いつウメコが死んでもおかしくなかった。


 それだけは、それだけは絶対に避けなくては……


 いよいよ追い詰められたエイイチはうつむきながら通りを歩く。歩くも、いまさら行く当てなどどこにもない。それこそ魔王城くらいしか……


 そんな暗い感情に飲まれかけたとき、彼は突然肩をぐっと掴まれた。


「待ってぇー」


 そう言ったのはクリスタリナであった。彼女の手は妙に冷たく、エイイチはぎょっとしたが、彼女がもう片方の手で指差した先を目で追うと、すぐに理解した。


 そこには既視感のある光景が広がっていた。


 ほとんど往来を認めぬ海沿いの路上である。切り立つ崖沿いの道は細く、ささやかな舗装が心もとない。当然ガードレールもないそんな道の前方、エイイチたちの前に一台の現金輸送車が停車していた。


 エイイチのおかげで発展したこの世界では、いまや馬車にかわって自動車やトラックが使われている。そんな現代的な車の陰から、一体のシカの獣人が見え隠れしていて、エイイチは驚いた。


 オルディアであった。


 エイイチがこれまでよく八百長をしていたあの魔物である。馬車が現金輸送車になっても、魔物が積荷を襲うその世界観だけは健在なのだ。


「ディアーッ!!」


 オルディアが低く唸ると、車からふたりの警備員が飛び出してくる。彼らはエイイチたちを見るなり走りよると、「助けてください」と口々に言った。


 彼らを追って車を回り込んできたオルディアとエイイチの視線が正面からぶつかった。反応したエイイチがアクションを起こすより先に、クリスタリナが前に出た。


「いきますよぉー!」


「いや待って!」


 エイイチは慌ててクリスタリナを制した。


「俺が行く。俺がやるから、クリスタリナさんはそこで待っていて下さい! 手は出さないでっ!」


「なんでですかぁー?」


「た、たまには俺にも活躍させてって!」


 エイイチは剣を鞘から抜きながらも、必死にオルディアとのアイコンタクトを続けていた。が、オルディアは視線を合わせず、むしろ頭を深く下げて角を構え、ほとんど四つん這いに近い体勢でエイイチたちへと迫ってくる。その理由がまるでわからず、怯える警備員の悲鳴を合図に、エイイチは剣を振りかざし飛び出した。


 彼には引くに引けない理由があった。


 クリスタリナの魔力なら、オルディアなど一発で消し炭となるに違いなかった。魔王を殺すかどうかで悩んでいるのに、オルディアに死なれてもらっては困るのだ。


 エイイチが前傾姿勢のオルディアの側方から普段どおり軽く斬りかかろうとすると、オルディアは頭を急反転させ、こう言った。


「今度ばかりは容赦しないシカ」


「え?」


 剣が角に絡め取られ、腕ごと持っていかれそうになる。耐えきれずエイイチが柄から手を離すと、高価な剣は弾き飛ばされ、側方の崖下に吸い込まれていく。


「ディアァーーッ!!」


 すかさず、オルディアが突っ込んできた。エイイチは角を持ってこらえるも、爆発的なパワーを前に踏みとどまれない。オルディアが崖側に頭をブンと回すと、エイイチもつられ旋回し、そのままずるずると後方に押されていく。


 エイイチは動揺した。


 オルディアは本気だった。これまで以上のパワーだった。エイイチが肩越しに後ろを見やると、もうすぐそこに崖が迫っている。ヤバい、突き落とされる。このままじゃ俺が死ぬ。


「女の前でいい姿見せようっても、そうはいかんシカ」


 頭をぐいぐい揺り動かし、角を突き立てながらオルディアは続ける。


「お前はクラーケン一派に乗り換えたシカ」


「ちょ、ちょっと待って。そんなことないですって」


「嘘つくなシカ」


「マジですって。マジで俺、魔王様を殺す気なんてないし。ってか魔王様に隠れるように伝えてもらえないですか? 死んだふりするとか?」


「隠れろ、死んだふり、ってなにナメたこと言ってるシカ? 魔王様はクラーケンの策略を知ってなお、お前との戦いを望んでるシカ」


「はい?」


「お前はダラダラ人助けなどして、なにやら企んでるみたいシカが、魔王様は逃げも隠れもしないシカ。正々堂々挑んで殺されるといいシカ」


「いや、ま、待って! おカネなら払うからっ!!」


「カネ、カネって、お前はやっぱりクラーケンの一味シカ!」


「そんなことっ!」


 その瞬間、エイイチとオルディアの前に炎の壁が立ちふさがった。


「熱シカっ!」


 オルディアが叫んだところで、エイイチは、えいっ、と思い切り腕を曲げて角を引いた。


「ディアッ!」


 ボキリッ、と角が折れエイイチが尻もちついて倒れ込むと、オルディアは慣性に抗いきれず、バランスを失い崖を踏み外す。


「よ、よくもシカッ!」


 オルディアは回転しながら崖の下、海へと向かって落ちていく。


「この恨みは必ずっ――」


 そんな声も下方へと遠ざかり、波の音にかき消された。


 ヤバかった、とエイイチは安堵した。泥だらけになった彼は立ち上がることもできず、荒い呼吸を繰り返すだけだった。本当にギリギリであった。運が悪かったら、自分が落ちていたことだろう。


 ほどなく、クリスタリナが駆け寄ってくる。


「角を折るとかすごーいですぅ」


「ぁ、はぁ、はぁっ……」


「緩急つけるってやつですねぇー」


「はぁ、まぁ、はぁはぁ、はぁそう、ですかね……?」


「そうですよぉー。でもぉー、今のバトルでぇー、エーイチさんにぃ、すこーし気になるところがありましたぁー」


 クリスタリナにそう言われ、エイイチの背筋は凍りついた。先ほど「カネなら払う」と叫んでいたことに思い当たったからだった。


 魔王と繋がっていることがバレた? と彼は狼狽するも、クリスタリナはこう言うのだった。


「エーイチさんはぁ、もっとぉー、剣捌きを見直したほうがぁー、いーと思いまーす。ちょっとぉー、稽古しませんかぁー?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る