第31話 魔力でカーボンニュートラル

 そういうわけで、エイイチとクリスタリナによる二人旅が始まった。


 栗栖さんそっくりなクリスタリナとの旅は、何もなければ最高だったのだろうが、エイイチは息が詰まる思いを拭えなかった。


 エイイチが魔王討伐に乗り気でない一方、クリスタリナは当然そうではなく、エイイチの悩みのタネがさらに増えてしまったかたちだった。変に魔王討伐を渋れば彼女に不審がられる恐れがあるわけで、彼は自然な流れで魔王から距離を置く方法を考えなければならなかったのだ。


 こいつがいなけりゃ、魔王にこっそり隠れてもらうとかできたかもしれないのに……


 心のなかでそんな悪態をつきながらも、エイイチは魔王討伐を回避できそうな方法を辛うじてひねり出した。唯一それ以外ないと彼が思ったその方法とは、クリスタリナに達成不可能な依頼クエストをこなしてもらうことだった。


 元の世界と同じく、ベルナンケイアにもカネを積んだとてどうにもならないクエストがあった。


 例えば不法投棄された魔法廃棄物を安全に処理する、止まらない温暖化や海面上昇を食い止める、などといった急速な発展の弊害で生じた問題である。これらはエイイチもあえて見て見ぬ振りをしてきたクエストであったが、今はこのことを逆に利用できそうだと思った。これらをクリスタリナに押し付け、失敗してもらえれば、体よくパーティから追い出せるのではないかと考えたわけである。


 けれども彼は、クリスタリナの実力を見誤っていた。


 彼女の膨大な魔力にかかれば、その程度のことなど造作もなかった。彼女がひょいと魔法を用いれば、魔法廃棄物は無害な物質へと変換され、温暖化は止まり、カーボン・ニュートラルな社会が実現できてしまうのだった。


「嘘だろ!?」


 と、エイイチは都度驚愕していたが、魔法には種も仕掛けもなく、彼女と一緒にベルナンケイア各地を回れば回るほど、勇者パーティの評判はうなぎのぼりとなっていった。世界はこれまで以上に平和になって、ゆえにいっそうラスボスである魔王を倒すほうへと誘導されてしまうのだった。


「まさかプレート運動を鈍化させて、災害を防止するとは!」「女性が活躍しているのがいいですね。勇者って、男だけのものじゃないわけでしょう?」「いやー、あとは魔王さえいなけりゃ、SDGs達成できるんだけどなー」「でもでも勇者さんたちなら、魔王くらい余裕ですよね?」


 そんな民の言葉を受ければ受けるほど、エイイチの焦りはますます高まっていった。当初は現地時間で二ヶ月以上あったはずの時間もどんどん消費され、冒険する目的、この世界に残されたフロンティアも失われていくのだった。


 くそ。なら、これならどうだ。


 残り三十日を切ったところで、尻に火がついたエイイチはとっておきの依頼クエストを彼女に与えることにした。


 彼はクリスタリナをベルナンケイア最北端の漁村へと連れて行った。


 ベルナンケイアにおける季節は夏であったが、その村に近づくにつれ、猛烈な吹雪が吹き荒れはじめた。なんとかそこにたどりついても、入り組んだ湾に面した家々は雪で覆われ、海は水平線の彼方まで凍りついていて、とても漁ができるような場所とは思えなかった。


 というのにもわけがあって、約百年前、当時の村長に叶わぬ恋心を抱いたまま自殺した人魚によって、この村は常冬の呪いをかけられているのであった。


 いわゆる期間限定クエストである。


 呪いを解除するには人魚の命日である冬至の夜に、件の村長の形見の品を氷に投げ入れる必要がある、とエイイチはどこかで聞いたことがあった。しかし、今は夏である。いくらクリスタリナの魔力といえど、さすがに季節までは操作できまいと思ったのだ。


 だが、


「いきますよぉーーっ!」


 エイイチたちが固唾を呑んで見守るなか、ひとり波止場に立ったクリスタリナは片手を掲げ掛け声を発した。すると彼女の頭上に一瞬だけ光輪が点滅し、凍りついていた海の表面にバリバリとランダムにヒビが入っていく。


 それは手前から奥へと連鎖的に広がっていくと、ガギンッ、ゴボゴボッ、と破砕された氷の隙間から黒い海水が噴き出してきた。海の黒が氷の白を食らいつくさんばかりのその光景は、さながらオセロが裏返っていくかのようだった。そうやって生じた無数の氷塊は復活した潮の流れに乗って湾外へと流出し、港はみるみるかつての姿を取り戻していくのだった。


「ぬおぉぉーーっ!!」


 呪いすら豪快に打ち破るその一部始終を見た漁村の住人たちが一斉に歓声を上げた。彼らは次々とクリスタリナに駆け寄って、


「さすがクリスタリナ様、魔法で氷ぶっ壊すだぁ!」「助がった! こいで問題なぐ漁がでぎまず!!」「まんず素晴らしい。クリスタリナ様ごそ神、まさすく女神様だぁ!!」


 などと囃し立てた。胴上げされんばかりの盛り上がりであった。それは一見喜ばしいことであったが、エイイチの心はことさらに暗くなって、案の定、村民が言った。


「この調子で魔王もお願いすます。クリスタリナ様だば楽勝だぁ!」


「そーですかぁー。ありがとうございますぅー」


 クリスタリナはそう答えると、エイイチに話を振った。


「ですのでー、エーイチさーん、そろそろぉー、魔王城に行きませんかぁー?」


「いゃクリタリナさんっ、そ、それはちょと待て下さいっ!」


 エイイチは噛み噛みで首を振った。


 クリスタリナの魔力があれば、魔王すら余裕で始末できるだろう、そう思う。だけど、エイイチはいまだ魔王を殺す気にはなれなかった。密輸すら辞めようと考えていたのに、そんな覚悟などできそうになかった。


 かといって、みすみす妹を死なせるわけにもいかず、エイイチは目を伏してお茶を濁す。


「あの、あの、もっとクエストこなさないと……」


 クリスタリナのほどの実力者にそんなこと言っても無意味だとわかっていても、今は時間稼ぎを続けるしかなかった。すべてが丸く収まるアイデアがひらめくのを待つしかなかった。


「まだ、まだまだ、経験値稼がないと……」


「そうなんですかぁ?」


「そ、そうっすよ」


 エイイチがどもる理由はそれだけじゃなかった。


 クリスタリナはこんな寒さでもずっとビキニアーマーのままだった。鍛えていると気にならないのだろうか? とはいえさすがに人間離れしてないか? つか魔法出すときのマルパスみたいな輪っかは何? などと、エイイチは思う。思うが彼は、その胸の谷間とキュッとしまった尻の魅力に図らずも飲み込まれ、しがない言い訳でこの場を凌ぐことしかできない。


「お、俺、何度も負けてるんでわかるんっすよ。こ、こんなレベルじゃ魔王の溶解液に耐えられないんですって」


「でもぉー、エーイチさんはぁー、ふつーに生きてますよぉ?」


「それは俺の運がいいから、ってか、溶解液だけじゃなくて、魔王は防御力も高くて――」


「そいだばぁー」


 いきなり背後から老人の声がして、エイイチたちは振り返った。


「そいだば、鍛冶師の封印解いでみでばどうだべ?」


 そこには漁村の現村長が立っていた。


「村にはかづで、まんずすごぇ鍛冶師が住んでだのだども……」


 唐突な申し出に困惑するエイイチたちに、彼は続ける。


「西の山の洞穴で、てめぇで作っだ封印の壺の中さ閉じ込められでしまってらだ。やづだば、魔王倒す剣も作れるがもしれねぇなぁ」


「それだ!!」


 村長の話を聞いたエイイチは手を打ち鳴らした。魔王を封印すればいいじゃないか、そう思った。封印なら殺すわけじゃない。ほとぼりが冷めたあとで封印を解除すれば、罪悪感は殺すよりもずっと軽くすむ。これは名案だ。


「封印、いいですね。なんというか言葉の響きがとてもいい」


 エイイチは弾む声で続けた。不意に見つけた突破口に、彼は急速に血の気を取り戻しつつあった。


「封印?」


 そんな彼に現村長が尋ねる。


「そごだが?」


「あ、壺です! いや壺じゃなくて剣。あ、鍛冶師? 鍛冶師の剣。だ、だからぜひその壺の詳細を教えて下さい!」

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