第30話 勇者一武道会

「第一試合は、東の武闘家アソウとー、謎のマスクウーマンだぁーっ!!」


 司会のアナウンスに湧き上がる歓声に、リングに上がったクリスタリナは、本当にこんな変装で大丈夫だろうか、と思った。


 クリスタリナの頭は、目だけが開いたプロレスラーのようなマスクで顎先まで隠されていた。一方で、身につけた鎧の露出は高い。そもそも鎧と呼べるかも怪しいそれは、ビキニのようにセパレートとなっており、胸と腰回りをささやかに守っているだけだった。肝心の体幹部は防具の体をなさず、かえってスタイルのよい彼女の肉体を際立たせている始末である。


 とはいえ、クリスタリナには変装してでも勇者一武道会に参加するしかないのだった。


 どれだけ調べても、エイイチはごく普通の人間である。彼に魔王を倒すことなどできず、またできないからこそ、「何度挑んでも魔王に勝てない勇者」という役割に一応の説得力があった。だが今こんなイベントを行うということは、部外者の力を借りてでも、早急な魔王討伐証拠隠滅を企んでいるということ。


 ひょっとして、マルパスに気づかれたか?


 この世界につくやいなや、勇者一武道会なるものの開催を知ったクリスタリナはそう思った。がすぐに、どうもそうでもなさそうだ、と思い直した。もしそうなら、廃工場アジトや世界港で彼女はとっくに捕まっているはずだ。彼女が犯した二つの罪――証拠品横領と異世界転移魔法行使――は、地獄行き確実な重大犯罪なのだから。


 となると、むしろこれはクリスタリナにとってチャンスであった。この武道会トーナメントで優勝すれば、エイイチと自然なかたちで同行できる。危険度も増すだろうが、証拠を押さえられる確率は飛躍的に高まるに違いない。


 だからこそ、クリスタリナは近づいてきた武闘家アソウを一撃でぶちのめす。


「うぉぉーー!! 謎のマスクマンが一撃だぁーーーっっ!!」


 司会者が興奮し叫ぶと、オーディエンスがクリスタリナに拍手を送る。彼らは拍手こそしつつも、純粋に彼女の勝利を讃えているわけではなく、その肢体を囃し立ててくる。


「よっ、露出狂」「めっちゃエロいぞー」「腹筋バキバキやんけー」


 そんな下品なヤジに、あのキツネめ、適当なものを売りつけたなと、クリスタリナは憤りを覚えた。ただ彼女も魔法の偽札でそれを買っており、お互い様だなと考え直したところで、彼女は自らに注がれる数多の視線のなかに、ターゲットのそれを見つけだした。


 王宮のバルコニーからせり出すように掲げられた天蓋、その下に、王とエイイチが座っていた。


 奴は焦っているのか?


 それとなくエイイチに目を向けたクリスタリナは、そんな疑問を抱いた。彼は遠く離れたリングからでもわかるほどに眉根を寄せて、険しい表情をしていた。


 なぜ証拠隠滅を急ぐ必要がある? マルパスの意図はなんだ? 


 彼女は改めて思案した。が、やはりわからない。わからないが、とにかく今は勝ち上がらねば……


 なので、クリスタリナは次の試合も一撃でキメた。右ストレート一発だった。


 彼女は魔法を使わなかった。それは世界観を乱すからという理由ではなく、民間人を殺す可能性があるからだった。柔い豆腐を潰すのは簡単だが、崩さず箸で掴むのは難しい。同じように、魔力も一気に放出するより適切に加減するほうが難しいのだ。


 だからクリスタリナは蹴って、殴って、首を絞め、肉弾のみでトーナメントを突破していった。相手は屈強な男ばかりだったが、鍛え抜かれた肉体を持つ彼女にとっては朝飯前だった。


 彼女が敵をなぎ倒すたび、観客はこれでもかと盛り上がる。


 それがエロいビキニアーマー女子がもっと躍動する姿を見たい。あわよくば蹂躙されて痴態を晒して欲しいという動機であろうとも、クリスタリナは気にしなかった。彼女は淡々とホールドし、投げ、カウンターを叩き込んで、現地民を殺さないことだけに神経を集中した。


 そうして、彼女はトントン拍子で決勝戦まで勝ち進んだ。


「決勝はぁー、王都一の豪腕ブレイナードとぉー、謎のマスクウーマンッ! 勝者こそ勇者のパートナーだぁぁーーーっっ!!」


 会場の熱気も最高潮に達するなか、クリスタリナは最後のリングに上がる。


 決勝戦の相手ブレイナードは彼女以上のマッチョだった。彼は分厚い胸筋を見せつけるかのような上半身裸のタイツ姿で、脂ぎった浅黒い肌が陽光の下でギラギラと輝いていた。クリスタリナも上背があるのだが、ブレイナードの体は彼女より一回り大きく、その威圧感が放つ熱気に周囲の空気が揺らいでみえた。


 クリスタリナ同様、ブレイナードはここまで対戦相手を瞬殺し勝ち上がってきていた。客たちは彼の凶悪なパワーと体格差から、決勝はブレイナードのワンサイドゲームを予想していた。実際、賭けのオッズもブレイナードが桁違いだった。


 だが職務上、数多の修羅場をくぐり抜けてきたクリスタリナにとって、ブレイナードはこれまでの相手と大差ないように思われた。


 さっさと片付けよう、と彼女は思った。ゴングが鳴ると、ブレイナードはさっそくクリスタリナに飛びかかってくるが、その動きがあまりにも隙だらけで、彼女はその顎を蹴りぬこうと腰を落とした。


 そのときだった。


「……サンドストーム」


 ブレイナードが小さくつぶやくやいなや、地面が揺らいだ。


「なにっ?」


 とっさのことに不意をつかれ、クリスタリナが体勢を崩す。ブレイナードが一歩飛び退き、ビュウゥッ、と突風が吹き抜ける。


 とたんに砂埃が立ち込めて、その巨体が見えなくなった。


 油断した、とクリスタリナは思った。


 ブレイナードが用いたのは魔法であった。


 石畳でできたリングの表面が細かい砂粒となって舞い上がっていた。魔法でリングを粉砕し、竜巻状に散らしたのだろう。この世界の住人はほとんど魔法を使えない。そんな前情報の裏をかかれたかたちだった。ほとんど使えないとはいえ、使えるものがいないわけではない。だけど決勝戦の大舞台で、マッチョが魔法を繰り出してくるとは……


 気配に気づいたときにはもう遅い。


 クリスタリナは背後から回り込まれ、首に腕を回されている。


 反射的に前に屈んでかわそうとするも、そのまま押し倒される。背中から巨体にのしかかられ、身動きが取れなくなる。


 間髪入れず、ブレイナードはうつ伏せのクリスタリナの顎を両手で掴んで海老反りに引き上げた。


「くうっ!」


 背骨に激痛を覚え、クリスタリナは苦悶の声を上げた。


 徐々に砂埃が引いていくと、オーディエンスから罵声と称賛が同時に上がる。


「魔法とか卑怯だぞー!」「ねぇちゃんサイコー」「バカ野郎! 筋肉使えや!」「いくら賭けてると思ってんだ!」「やれぇ、やっちまえー!」


 そんな客席の反応に答えてか、クリスタリナのたわわな胸を強調するかのように、ブレイナードはさらにきつく彼女を締め上げる。会場のボルテージはますます高まり、ブレイナードの右手がクリスタリナのマスク後方へとスライドしていく。


「そうだそうだ! 顔晒せっ!」「全部脱がせー!!」


 まずい。この角度だとちょうど正面にエイイチがいる。


 そう思っても、クリスタリナはがっちりキメられ動けない。マスクの後頭部が剥がれ、まとめていた銀髪があらわになる。ついで前方、顎から口元、鼻先まできたところで、バルコニーのエイイチと目が合った気がする。バレる。それは困る。困るので、クリスタリナは懸命にブレイナードを振り払おうとする。が、やはり体が動かない。


「行けっ、ブレイナードッ! 行け行け行けぇーーーっ!!」


 耳をつんざく歓声が、右から左へ、頭のなかを閃光のように駆け抜ける。クリスタリナはいまや右耳までも晒されて、後がなかった。


 こうなったら、と彼女は覚悟を決めた。


 キラリッ、とクリスタリナの頭上に光の輪が瞬いた。


 刹那、太陽のようにまばゆい光がスタジアム全体を埋め尽くす。


 それからわずかに遅れ、けたたましい爆発音が轟いた。圧倒的な風圧にリングが抉れ、先以上の砂埃がもうもうと立ち上がる。あっという間にクリスタリナからブレイナードの腕がほどけ、巨体が砂埃を突き抜け吹っ飛んでいく。


 数秒後、放物線を描いてブレイナードが観客席の中腹に墜落すると、悲鳴にも似た喝采が上がった。


 あきらかに勝負あった。


 しかしクリスタリナは、しまった、と思った。今の衝撃でマスクが外れてしまっていたのである。


 マスクを探そうにも、自らが生み出した砂埃のせいで見つからない。彼女はかろうじて光輪を収めるだけで精一杯だった。


「うおぉぉーーっっ!! 謎のマスクウーマンの圧勝だぁーーっ!! しかも彼女、めちゃくちゃカワイイぞぉーーーっっ!!」


 砂埃が消え、スタンディングオベーションの群衆に、クリスタリナはなすすべなくおろおろするしかなかった。エイイチと王がバルコニーから下りてくるのを見て、両手で顔を隠そうとしても今さら無意味で、リングにやってきたエイイチが言った。


「あの、もしかして、栗栖さん??」

 

「なんじゃ知り合いか?」


 エイイチの後ろから、遅れてきた王も付け加える。


「いえ違います! 初対面です!」


 テンパったクリスタリナはエイイチから目をそらした。まさかさっそく面が割れてしまうとは思わなかった。


「いやでもやっぱ、隣に住んでる栗栖さんですよね? 褐色銀髪だし、スタイルいいし、声だって――」


「ですからぁー、違いますぅー。人違いですぅー。だってわたしはぁー、魔法使いクリスタリナですしー」


 そう言ってからクリスタリナは、はっとした。無理くり他人のふりをしようとトリシェの口調を真似るあまり、思わず本名を言ってしまっていたからだった。


 急にキャラ変したクリスタリナに、エイイチが怪訝そうに尋ねてくる。


「えーっと、……魔法使いクリスタリナ、さん?」


「そうですぅ。クリスタリナですぅー」


 栗栖という慣れた偽名を使えないとこのような失敗があるとわかったが、手遅れだった。こうなるともはや覚悟を決めるしかなく、クリスタリナは唇を噛みしめエイイチを見返した。


「わたしぃ、エーイチさんにぃ、すごーく、すごーくあこがれていたんですぅー」


「あ、そう。ははっ、そうなんですか。へぇ……」


 こちらから見つめてやると、今度はエイイチがもじもじし始め、なんとかなりそうだと彼女は続ける。


「一緒にぃ、魔王退治ぃー、頑張りましょうねぇー!」

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