第5章 偽装勇者と潜入女神
第27話 余命
「このままじゃ、ウメコが死ぬ……!?」
案内された妙に広い病室で、エイイチが不安げな声を漏らすと、主治医が答えた。
「そう。だけど……」
「だけど?」
「だけど私が治療を施せば、妹さんは助かる。なるべく早く、長くても三日。それ以上だとたぶん間に合わない」
その重い声色に、エイイチは言葉を失った。彼に言われた内容をすぐには消化できなかった。
ウメコは昨日から意識を失っていた。顔はのっぺりと色を失い、点滴以外にも無数のチューブや管が全身に挿し込まれ、用途不明な機器に繋がれていた。追加料金なしで個室へ移され、モニターが鳴らす無機質な電子音だけが部屋の中に響いていた。
沈黙を破るように、主治医がメガネを押し上げる。
「時間がない。早くカネを用意して欲しい」
エイイチが顔を向けると、白いフレームのレンズが光る。主治医の表情が読み取れず、息苦しいこの空間からとにかく逃げたい、エイイチはそんなことを思ってしまう。気づくと小さな声で「わかりました」と答え、部屋を飛び出していた。
廊下に出たとたん、スマホが震えた。
『今すぐ来い』
見ると、マルパスからの連絡である。
普段なら『○○時に弁当を取りに来い。三十分以内に○○まで届けろ』などともう少し具体的なのだが、今日はやたらと簡潔だった。それがどうも引っかかって、エイイチはマンションへと急いだ。現在の彼の貯金はちょうど一千五百万。医者に治療とやらを提案されて以来、やりたくもない仕事を続け必死に貯めたが、それでもまだ五百万足りなかった。
どうする? 三日以内だと仕事だけでは賄えない。また前みたいに交渉するか? でも、五百なんて大金いけるのか?
マルパスにマンションのエントランスを開けてもらい、上昇するエレベーターの中でエイイチは悩んだ。
こうなったら、素直に泣きついてカネを借りるか? だけど相手はあのマルパスだし……
いくら悩んでも、答えは出なかった。出るわけがなかった。
最上階でエレベーターが開くと、マルパスがドラギちゃんと並んで立っていた。彼女はおなじみのスウェット姿ではなく、黒いスーツを身につけていた。彼女は手ぶらの真顔で、弁当箱が用意されているわけでもなさそうだった。
なんで呼んだんですか、とエイイチがマルパスに問おうとしたところで、開口一番、彼女は予想もつかないことを言った。
「魔王を殺せ」
「はい?」
「殺せ。五百万やる。密輸はもう終わりだ」
「えっ? 一体、何を……?」
「麻取に嗅ぎつけられた。もうベルナンケイアは使えない。魔王に罪をかぶせ、殺して、すべての証拠を燃やしつくせ。王とも話がついている」
「そんなっ!」
「ごちゃごちゃ言うと妹を殺すぞ」
「へ?」
「お前がカネを何に使っているか、私が知らないとでも思ったか? 文句を言うなら報酬はゼロだ。今ここで死んでもらう」
なんで?
エイイチの背中を怖気が走った。
いたるところから汗が噴き出してきて、膝がぐらつき倒れそうになる。逃げようか、と一瞬思うも、彼はすぐに考え直す。逃げたらウメコが殺される。それにとても逃げられそうにない。魔法陣を挟んで立つマルパスの光輪は目にまぶしく、ドラギちゃんはいつでも飛びかかれる体勢を維持していた。
「……でも」
「でももクソもないだろ。お前が魔王を殺すんだ」
「…………」
エイイチは絶句した。
殺す、その意味を彼は理解できなかった。理解したいとも思わなかった。殺人――魔王が人なのかはよくわからないが、それは蚊やゴキブリを殺すのとはわけが違った。
エイイチと魔王とには間違いなく親交があった。
関西弁はきつかったし、文化の差異による行き違いはあったが、魔王の優しさや気遣いをエイイチは感じていた。イカじゃない食事をごちそうになったり、筋トレの指南を受けたりと、具体的な親切だってしてもらった。魔王は手下からも信頼されているようだったし、弱者には手出ししないという仁義もあった。
それを殺すだなんて、エイイチにはとても無理だった。
直前までマルパスと交渉しようと考えていたのが馬鹿みたいだ、と彼は思った。彼女のほうがエイイチなどより何枚も上手で、もっとずっと邪悪だった。五百万円――マルパスが提示したその金額もまさしく完璧で、おそらく完璧となるよう医者とも話をつけていたのだろう。
「よく考えろ少年」
どうしようもなく立ちつくすエイイチにマルパスが言う。
「勇者が魔王を殺す、完全に合法だ。これまでよりよほど安全、妹だって助かる。それで十分じゃないか」
その声のトーンは優しい、魔術的な穏やかさを帯びていて、エイイチとの間で魔法陣が淡く輝き始める。
「どうするんだ? やるのか、やらないのか?」
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