第26話 運び屋の正体
数日後、クリスタリナはトリシェと落ち合うことになった。取締局のオフィスからほど近い個室居酒屋、その障子で仕切られ奥まった一室に、二人は時間差で集まっていた。
掘りごたつ式になったテーブルの上、お通しの枝豆を挟んで、グラス片手にトリシェが言った。
「退職までぇー、残り三日にぃー、かんぱーい!!」
その弾むような声に、クリスタリナはトリシェをぎろりと一瞥すると、何も言わずジョッキを小さく持ち上げた。
「…………っ、ぷはぁーっ!」
ジョッキのビールを一気飲みして、トリシェが続ける。
「あのぉー、クリスタリナちゃーん。ジンジャーエールってなんなんですかー? もうずうーっと休みなんだからー、飲めばいーじゃないですかぁー。休みなのにスーツだしー」
そんな感じで彼女はクリスタリナに絡もうとしたが、当のクリスタリナはクスリともしなかった。彼女はジンジャエールにすら口をつけず、ジョッキを置いて切り出した。
「それよりも、早く頼む」
「もーう。わかりましたよぉー。クリスタリナ・モルペウス・ノーベイルアウトちゃん」
トリシェは呆れた調子で答えると、脇に置いたバッグから一冊のファイルを取り出した。
「これでーす」
そう言って、彼女はファイルをテーブルに置いた。バザリッ、と音を立てるそのファイルは見るからに分厚く、トリシェは、大変だったんだからねー、と言わんばかりの顔で付け加える。
「これがー、調べてきた結果だよぉー」
舌足らずな声がそう言い終わるより先に、クリスタリナはそれをひっつかみ手元へと引き寄せた。
「もーう。せっかちなんだからー」
そんなトリシェを無視し、クリスタリナはファイルを開く。パラリ、パラリ、とこわばる指先でその中身を繰っていく。
ファイルにはエイイチに関するありとあらゆることが記録されていた。
生年月日や家族背景、生活していたアパート(間取りはクリスタリナと部屋とまったく同じだ。そして彼は、今はもう帰らずホテルを転々としている)に加え、預金残高。そんな中の一ページ、エイイチの入出世界記録を見たクリスタリナは目を見張った。
「これはっ……!?」
エイイチのベルナンケイアへの転移回数は三十回を超えていた。しかも彼は無謀にも、いや律儀にというべきか、毎度魔王に挑んで負けていた。そんなことは常識的にありえない、怪しすぎる、とクリスタリナの顔つきは一段と険しくなった。
ここ数日、彼女としても彼を尾行し情報を集めていた。
エイイチはウーパー配達員を装い高級ホテル、有名企業、議員宿舎、病院などに出入りしていた。いずれもウーパーが出入りしておかしくない施設であったが、実際にウーパーのアプリが使用された形跡はなく、必ず直前にマルパスのマンションを経由し、そこから何かが輸送されているようであった。その独特な匂いの強弱から判断して、その何かとはエリクサーであり、導き出される結論はただ一つ。
「エイイチこそが運び屋だ」「エイイチが運び屋だー」
ファイルから顔を上げたクリスタリナとトリシェの声が被って、二人は顔を見合わせた。
「そして、その元締めはマルパス……」
続けて、今度はクリスタリナだけが絞り出すようにそう言った。
ファイルには他にも、ベルナンケイアへのビッドコイン送金履歴、世界港職員の不自然な人事異動、顧客と思しき人物たちの相関図、魔王城周辺における生態系の変化(『土壌に高濃度のエリクサーが漏れ出してる?』というトリシェの付箋が貼ってある)、などが詳細に記録されていた。
恐ろしい事実だった。
賄賂などというレベルではない。マルパスこそが、この世界にエリクサーをもたらしている真犯人であったのだ。
「……でも」
そう言いかけて、クリスタリナは口を閉ざした。
場を沈黙が支配した。
でも、これでもまだ、マルパスを捕まえることはできないのだった。
いつしか、二人とも息を詰めていた。楽天的なトリシェですら、ビールを飲むのをやめてうつむいていた。クリスタリナもじっとファイルに目を落とすことしかできなかった。
トリシェが集めてくれた資料。これをもってしても、まだ決定的ではないのだった。魔王が許容量を超えたエリクサーを製造し、王様が口利き、マルパスが仲介、エイイチが密輸して、この世界にばら撒いている。このことを証明するためには、決定的な証拠――エリクサーの現物――が欠けているのだった。
マルパスはとても狡猾だ、とクリスタリナは歯噛みする。
彼女を確実に捕まえるためには、マルパスが実際にエリクサーを取引している現場をおさえるしかない。しかし、直接マンションに乗り込むのはリスクが高い。となるとエイイチから取り崩すこととなるが、仮にエリクサーを輸送しているエイイチを捕まえたとて、マルパスは彼を見捨てるだろう。それこそトカゲの尻尾のように。
ならば……
悩んだ挙げ句、クリスタリナは意を決しこう言った。
「先日、パウエルランドで押収した証拠品の中に、悪魔の杖があったはずだ」
いざ口に出してみると、意外にすがすがしく、彼女は変な気分になった。
「それを持って来て欲しい」
「え?」
一方、予想外な彼女の発言に、トリシェは目を白黒させる。
「そんなぁー、無理ですよー!」
その心もとない声に、たしかに私が言っていることは無理がある、とクリスタリナは自分でもそう思う。だけど、今はそれしか手が思いつかなかった。
「わかってる」
「でもぉ、クリスタリナちゃん、いつも『法は守るためにある』って……」
「それもわかってる」
不安に震えるトリシェの瞳、それを食い入るように見つめながら、クリスタリナは続ける。
「だけど私は私の正義を貫きたいんだ。もしものときは脅されたと言ってもらって構わない。全部私の責任にしていいから……頼む!!」
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