第15話 ドラゴンイーター
そのめっちゃ美味い店とやらは、街を形作る坂の中腹あたり、ほぼ城下町の中心部に位置していた。
どうやら元の世界でいう居酒屋のような立ち位置の店らしい。店名は『ドラゴンイーター』というらしく、店先にでかでかと看板が掲げられていた。エイイチはこの世界の文字を読めなかったが、ドラゴンが巨大な骨付きチキンに貪りついている店のロゴだけはよくわかった。でもこれじゃドラゴンイーターじゃなくてフライドチキンイーターじゃね? と彼は思ったが、口に出すのも無粋なので、促されるがまま中に入った。
店内はとても広く、数百席は座席がある。
「お客さん全員に、これで払えるだけ」
席についたエイイチがそう言って有り金をすべて差し出すと、すでにそこそこ混雑している店内に歓声が湧き上がった。興奮の波は店内から厨房へと広がって、場の雰囲気がぱぁっと華やかになる。
エイイチが兜を外しくつろいで、木のジョッキに入ったエールを運ばれてくる頃には、次から次に客がやってきて店内は見る間に満員となった。ひと目勇者を見ようと、人が人を呼ぶかたちとなったからである。ついには立呑でも構わないという人まで現れて、身動きが取れぬほどとなった。
「かんぱーい!!」
誰かが発したその声を合図に、皆は狂ったように盛り上がる。
「勇者さんもどんどん飲んで!」
「いや俺、未成年なんで」
周りでエールがハイペースに消費されていくなか、エイイチは断固として酒を断った。彼のパスポートには十九歳という年齢が思い切り印字されている。ただでさえ密輸という罪を犯しているのに、未成年飲酒までするわけにはいかないと思ったのだ。
「さすが勇者様だ。俺たちに酒残してくれるってよ!」
「いやそういうんじゃ」
「勇者最高ッス。マジ惚れるッス」
「だから本当に……」
「そんな勇者様にかんぱーい!」
もはやエイイチが何を言っても、集まった者たちは適当な解釈で彼を褒め称えるのだった。彼はため息をついたが、まぁいいか、とも思った。正直悪い気はしなかったし、この後カプセルを飲まないといけない手前、無駄な飲食は避けたかった。前みたく腹を下すのは懲り懲りだったのだ。
だが、続いて出てきた『ドラゴンイーター』を前に彼は揺らいだ。
超巨大な大皿に載って運ばれてきたそれは、千個はあろうかという山盛りのフライドチキンであった。遠目には茶色い小山のようで、そのインパクトは抜群だった。なるほどたしかに『ドラゴンイーター』感はあるな、とエイイチが感心したところで、香ばしい匂いが彼の嗅覚を刺激した。
その骨付きのチキンは高温でフライされたのか、予熱にジリジリと音をたてていた。元の世界と調理法は変わらぬであろうそれが発する熱気とジューシーさは、ケバブ一つだけで町を歩き回った空腹をエイイチに自覚させるのに十分であった。
ぐぅぅーっ、とエイイチの胃が収縮した。食いたい、彼は不覚にもそう思った。
エイイチの生活は自炊が基本である。が、手間もカネもかかる揚げ物など一度たりとてしたことがなかった。仮に惣菜で買うにしても、半額シールの貼られたシナシナのフライで、揚げたてなんて久しく食べたことがなかった。だがそれが今、目の前に置かれているのである。しかもどれだけ食べても無料。こんな機会なんてまたとないに違いなく、彼は葛藤した。
食いたい。食いたいけど、食えばカプセルはきつくなる。きつくなれば検疫でまたやらかすリスクが増えてしまう。でもこんな美味そうなのがタダ。てかむしろ俺がカネ払っているぶん、食べなきゃ損……
そして、彼はあっけなく食欲に屈した。
一個だけならいっか、そう自分に言い訳し、エイイチはチキンへと手をのばす。
「あちっ!」
案の定チキンは熱かったが、構わず食らいつく。
「ハムホフッ……!」
噛みしめると、サクサクの衣に対し肉質はむっちりしっとりしていて、野性味ある肉汁が溢れてきた。ガーリック風味の下味が染み込んだ熱い肉の繊維が口の中で弾けるたび、スパイシーな衣と絡み合って、こんなの反則だと彼は思った。
「……美味い!」
いつも買ってる業務用の鶏肉なんてクソだと思った。あとはもう骨まで噛み砕かん勢いで貪り食うことしかできなかった。
「こらぁー勇者ぁ。一人で食べちゃ駄目じゃん!」
もう一個だけ、とエイイチが手を伸ばすのと同時に、ダークエルフの女が言った。
「そうじゃなくてぇ」
彼女はおもむろにフライドチキンを一個つかむと、エイイチの口元へと差し出した。
「はい、あーん」
チキンを挟んで見つめ合うエルフの小悪魔的な眼差しに、トクン、とエイイチの胸は高鳴った。そんな動揺を隠すように彼は、ガブリッ、とそれにかぶりつく。
「どう、美味しい?」
「ほ、ほいしいです」
「よかったー」
「おい、勇者さまにだけなんてずるいぞ、俺にもやってくれー」
「は、お前バカ? 勇者だけだしー。てかあーし、チキンじゃなくてぇ勇者食っちゃおっかなー」
そう言うがいなや、女がエイイチに抱きついてくる。褐色の肌をしていても、尖った耳は先端まで真っ赤になっていて、彼女は早くも出来上がっているようだった。そのせいか、彼女はエイイチに抱きついた瞬間から、すーすーと寝息を立て始める。
「えー、ちょっとこんなとこで寝ないでくださいよー」
同じく顔を赤く染めて、エイイチはうろたえる。エルフはそのままぐちゃーっと倒れ込んで、エイイチの膝を枕にした体勢で動かなくなった。
「ちょっとマジ……」
エイイチは口ごもった。彼の体内を血液が勢いよくめぐっていくのがよくわかった。身体が火照り、むずむずそわそわして、胸が張り裂けそうになった。
エイイチはフライドチキンにベドついた手で女を触ることもできず、手持ち無沙汰を誤魔化すかのごとく、さらにチキンへと手を伸ばす。
かぶりつく。ひたすらにかぶりつく。
肉の美味さとエルフの頭から香るいい匂いがぐちゃぐちゃになって、エイイチの脳は揺さぶられた。彼はアルコールこそ飲まなかったが、活気に満ちた場の雰囲気にあてられ気分が高揚し、ぽかぽかとした温もりを覚えていた。
彼の人生において、こんな大勢で宴会をしたことはこれまでなかった。まず人と集まって何かをする、ということ自体が高校を卒業して以来一度もなかった。彼の仕事は同僚などという概念のない孤独なもので、こんな充実した時間を過ごすのは本当に久しぶりだったのだ。
こうして、彼はいつしかカプセルのことなど忘れていた。気がつくと、待ち合わせ時刻ギリギリとなっていた。
急に夢から覚めた感じになって、エイイチは閑散となった店内を見回した。閉店時間をオーバーしたせいか、多くの客は帰り、残った者も酔いつぶれ机に伏したり床に直接横たわったりしていた。それは一見ぎょっとするような光景であったが、雰囲気だけは穏やかに保たれていた。
エイイチはそうっと席を立った。パンパンに膨れた腹に、食い過ぎたなと思うも、気分は決して悪くなかった。兜が見つからず、誰かに持ち去られたようであったが、別に構わなかった。あんなの重いだけだ。
「そろそろ行きますね」
エイイチがそう言うと、酔っぱらいの一人が眠そうな目で答えた。
「魔王倒したら、また酒おごってくださいッス。約束ッスよ」
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