第14話 500万円使い切らないと帰れません!

 三回目ともなると、世界港での一連の流れについてはそれなりに慣れてきた。しかし、今回も王様から軍資金を手渡されたエイイチは仰天した。


「50000リーマン!?」


「エイイチくんのおかげで儲かっておるからのぅ。存分に遊んで帰るといいぞい」


「いやーでも……」


 前回の苦い経験を思い出し、エイイチは言葉を濁した。


「こんな大金渡されても困ります」


 50000リーマンということは500万円。そんな途方もないカネを渡されても、町には換金できそうなアイテムがなかった。となるとまた世界港で捨てることになるだけで、それではもったいないと彼は丁重に断ろうとしたが、王様は許してはくれなかった。


「何を言っておる。困るのはこっちじゃ。エイイチくんにはバンバン金を使ってもらわなければならぬのじゃ」


「え?」


「トリクルダウンじゃよトリクルダウン。わかるじゃろう? 今、ベルナンケイアは歴史的な不況下にある。カネを持つものがバラまかねば、経済格差は広がる一方じゃ」


「は、はぁ……」


 トリクルダウンなどと言われても、学のないエイイチにはよくわからない。


「いやでも、俺じゃなくて、王様が使われては?」


「そこは勇者が使ったほうがイヤミがないというもんじゃろうて。わかるじゃろう?」


「はぁ」


「エイイチくんはただカネを使うだけでいい。この世界のため、50000リーマン使い切るのじゃ!」


「ただ使うだけでいいんですか?」


「そうじゃ。どしどし使うのじゃ」


「はぁ……まぁ、わかりました」


 と、言ったはいいが今ひとつ腑に落ちず、エイイチはもやもやとした気持ちを抱えたまま街に出た。


 時刻は昼前である。待ち合わせまでまだ半日ほど余裕はあるが、エイイチには500万円の使い途などまるで浮かばなかった。彼が直近で思い出せる大きな買い物は、先月業務用スーパーで買った外国産の冷凍鶏肉(2kg、698円)くらいで、スケールが違いすぎたのだ。


 どうしよう……


 城前広場でしばらく考えて、とりあえず彼はあの武具屋へ行くことにした。


 プラスチックの胸当てを買ったあの高級武具屋である。前回値切り交渉をしたことを思い返すと、訪問するのは結構気まずい。とはいえ、今回も魔王城に行く必要があったし、エイイチには他に武具屋のあてもなかった。それにあそこなら一気にカネを使えるだろうという思惑もあった。


「いらっしゃいませ」


 入店するやいなや、前回と同じキツネ獣人の店員が、すすっとエイイチに近寄ってくる。


じっくりご覧になってくださいね」


 そんな丁寧な口調には、こいつまた来たのかという嫌悪感がありありと含まれていた。キツネ特有のつり上がった目尻、細められたまぶたの隙間からは冷え切った眼光が放たれていて、これは嫌だこれはきつい、と居ても立ってもいられず、エイイチは言った。


「あ、あの、ころ前買わなかったルビーのやつくらさいっ!」


 噛み噛みで恥ずかしかったが、とたんにキツネの顔が明るくなった。


「さようでございますか! さすがは勇者様、お目が高い」


 そう言って彼はさっそく指定された鎧を持ってくると、丁寧に商品説明し始める。


「こちら裏地に特殊な生地を使っておりまして、炎にも耐性があるのですよ」


「はぁ」


「着心地にも配慮しておりまして、関節の可動域に合わせ肩周りに特殊な縫製を行っています」


「そうなんですか」


「ルビーの魔力で魅了の効果も――」


「なるほど」


 エイイチはただただ相槌を打った。ルビーというのはたまたま覚えていただけで、性能は別にどうでもよかった。そもそも誰とも戦わないのだ。勇者を偽装したいだけの彼にとって、体裁さえ整えられれば、なんであっても構わない。


 なのでエイイチは、絶え間ないキツネのうんちくを遮るように試着室へと向かう。鎧を身につけると思ったより重い。が、たしかに着心地はいいように思われた。トータルコーディネートがおすすめという兜も被ると、見た目だけはかなり勇者っぽくなった。


 エイイチはキツネに言われるがまま、おすすめの剣も購入すると、見送りを断り、いそいそと店を後にした。


 これで30000リーマン消費できたと彼は少し安心したが、まだカネは半分近く残っていた。


 次は何を買おう。


 と、エイイチはチラチラ商店に目をやりながら通りを進む。


 戦わないのに薬草や回復薬を買っても仕方ない。マルパスの魔法で言葉は通じても、文字は読めないから魔導書だって意味がない。土産物は全部没収されるし、難しい。いやでも、それでも買えばいいんだっけ? 要はカネを使えばいいんだから。でも無駄遣いするのもなぁ……


 にぎやかな商店街を歩けば歩くほど、エイイチはおろおろキョロキョロした。


 節約と浪費というのは正反対の概念である。そして通常と異なる行動をするのは、普段は使わない脳の領域を使うせいか、結構なエネルギーを消費した。喉が渇き、腹も減ってきた彼はとりあえずアイスティーとケバブのようなものを十リーマンで買ってみる。食べてみるとまぁ美味いが、千円近い価値があるようにはとても思えない。加えて、あと二千本もケバブを食わないといけないことにげんなりする。


 エイイチは再びあてもなく歩き出す。


 カシャンカシャンと鎧をきしませながら坂道を下る。季節は元の世界と同じく夏で、空気こそ乾燥しているものの歩くほどに汗ばんで、着慣れぬ鎧兜は肩や腰に負担がかかり息が上がった。彼は装備の重みに従うように街を下り続ける。下れば下るほど、やはり物価は安くなって、カネの使い途はなおさらなくなっていく。


 ついに日が沈み、彼はまたあの治安の悪い地区にたどり着いていた。


「お、勇者の兄ちゃんじゃん」


 不気味な月明かりの下、前回と似たような場所で、見覚えのある男がエイイチに声をかけてきた。


「あ、ども」


 エイイチは答えた。答えながら、最悪だと思った。装備が重すぎて、今日はとても逃げられそうになかったからだ。


 彼は緊張感を抱きつつ言葉を続ける。


「この前はすまみせん。勝手にどっか行っちゃって」


「いやいいって」


 だが男は気にしていないようで、緩んだ笑みを浮かべ答えた。


「ていうかすげーじゃん。いい感じに魔王追い詰めたみたいじゃん」


「いやそんなことは……」


「何言ってんだよ! クラーケン細切れにして、魔王ブチのめしたんだろ?」


「えっ?」


 男からまるで事実ではないことを言われ、エイイチは驚いた。すると物陰から別の男が現れて、その内容を補足する。


「あと一歩だったらしいッスね」


「腹に風穴開けられたらしいじゃねーか。もうちょっとで死んでたとか?」


「生きて帰ってこれただけでも良かったッス」


「つか魔王硬すぎんだろ。バリアとかありえねーし」


「レベル上げて物理で殴るしかないッスね」


「いやそこは魔法じゃね?」


 勇者そっちのけで盛り上がるふたりにエイイチが戸惑っていると、今度は銀髪をしたダークエルフの女が割り込んでくる。


「つかさー。勇者めっちゃイイ鎧着てんじゃん。いい加減酒おごってよ」


「そうだそうだ!」「今日は時間あるッスよね?」「正直儲かってんだろ?」


 気づくと、またしてもエイイチは怪しげな人々に取り囲まれていた。うわどうしようと彼は思ったが、これだとも思った。この人たちに酒を奢ってやったらはどうだろう? どうせ一人では使い切れぬカネなのだ。捨てるくらいなら奢ったほうがマシじゃないか?


「……そうですね」


 エイイチは丸くなっていた背中を伸ばしそう言った。それは名案のように思われた。


「行きましょう」


「マジ? やったし!」


 エルフの女が手を叩くほどに喜んで、エイイチに腕を絡めてくる。


「のわっ!」


「つか勇者。飲む前から赤くなってね? マジウケんだけど??」


「や、そんなことないです!」


 浅黒いエルフの生肌と挑発的な上目遣いを直視できず、エイイチは視線をそらした。腕を振りほどこうとも思ったが、思った以上にロックされて動かせなかった。小柄なその女は身なりこそみすぼらしかったが、可愛かった。むしろダルダルな衣服のせいか、やたらと胸元が強調されて、腕を組まれると鎧越しでも肌の柔らかさが感じとれた。


 ひょっとして、これがルビーの魅了効果?


 エイイチはもっとキツネのうんちくを聞いておけばよかったと後悔した。気づかれぬようさりげなくチラと見ると、若干小動物っぽくもあるダークエルフの尖った耳がエキゾチックで、銀髪のショートヘアーが月光に輝き綺麗だった。エイイチより頭一つ小さい女の髪は、なんだかいい匂いも発していた。


「い、行くなら早く行きましょう」


 エイイチは裏返った声でそう言うと、緊張を隠すように歩き出す。歩き出したはいいが、どこに行くんだよと戸惑うも、そこは男たちが誘導してくれた。


「近くにめっちゃ美味い店があるんスよ!」

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