第12話 検疫行ったら麻薬探知ドラゴン

 あ、これちょっとヤバいかも。


 世界港へと戻ってきた瞬間、穏やかならぬ感覚を覚えたエイイチは腹をさすった。下腹部あたりにむずがゆいようでいてじんわり重い、妙な違和感があった。


 前回同様『到着 Arrival』の矢印に沿って進む。長過ぎる動く歩道に乗っている間に腸の蠕動が高まって、腹の違和感が徐々に痛みへと変わり始める。


 ぎゅるぎゅるぎゅるぎゅる。


 と、嫌な音が鳴り響き、周囲の冒険者がしかめ面をする。エイイチは僕じゃないですよ的な顔をして、手すりに寄りかかった。わずかに内股になりながら、額に脂汗をにじませた。


 ぎゅるぎゅるぎゅるぎゅる。


 痛みはますますひどくなって、これいったん出してまた飲み直したほうがいいんじゃないかと思ったところで、辛うじて検疫へとたどり着く。


 ここまで来たら、一秒でも早く帰らなくちゃ。


 なぜこれだけの勇者がいるのか、あいかわらずマッチョな帰還者たちでごった返すブースの片隅で、エイイチはいそいそと腰紐を抜き取った。ペーパーナイフを回収ボックスに放り投げると、ポケットから紙幣を取り出した。


 結局、8000リーマンの換金はできなかった。


 もったいなさに腹の痛みがことさら酷くなった。エイイチは札束をボックスへと投げ捨てながら、こんなことは今回限りにしよう、そう思った。


 彼は最後に胸当てに取り掛かる。今なおクラーケンの粘液にねばつくそれは、腹部を刺激せず外すのが至難の業で、彼はなんとか数分かけてそれを始末すると、またも内股の早歩きで入世界審査へと向かおうとした。


 そのときだった。


「ニャウギャウ!」


 突如後方から、けたたましい声で吠え立てられた。それはネコのようでいてそれよりずっと低い、どこかで聞いたことのあるような動物の鳴き声だった。


「え?」


 剣呑なその声に勇者たちが騒然となり、エイイチの尻にヌルリとした感覚が走った。あ、と思った彼が振り向きざまに腰へ手を伸ばすと、微妙に出かけたみたいだったが、出てはいなかった。


 けれど、彼の真後ろに緑色の生物がいた。


「ニャウギャウニャウギャウ!」


 腹に響く鳴き声の正体はやはりドラゴンであった。『麻薬探知ドラゴン』というゼッケンを身に着けたドラゴンがアサルトライフルを抱えた警備員に連れられ、エイイチ向かって吠えているのだった。


「君、そう君、止まりなさい!」


 厳しい口調で鬼の警備員が言った。


「その手なに? 何してんの? 両手上げて」


「ひ、今は無理、無理ですぅ!」


 エイイチは片手を上げて、もう片方は変わらず尻に伸ばしたまま泣きそうになった。鬼とドラゴンが近づいてくると、やばいやばい、なんだよこれ、前はこんなドラゴンいなかったぞ! と、パニックになって、両膝がガクガクと震え始める。


「ニャゥー、ギャウギャウ?」


 ついにドラゴンがその硬い鼻をエイイチの脛に押し付けてくると、冷や汗が止まらない。彼は懸命に指を押し込み、尻の筋肉をどうこうして出かけたカプセルを引っ込ませようとする。だけどもうまく行かず、逆にせり出してくる気配すらある。


「ニャウギャウ!」


 ここぞとドラゴンが吠えまくり、勇者たちがざわつき距離を置く。ニャウギャウニャウギャウ、気が狂ったようにドラゴンが吠え続け、エイイチはついに銃口を向けられる。


「おいだから手を上げろ!」


「や、やめっ」


「お前、怪しいな。なんでドラゴンがこんなに吠えるんだ?」


「す、すみません!」


 まさしく鬼の形相ですごまれて、エイイチは平静を失った。どうしようどうしようこのままじゃ俺地獄行きじゃんまずいじゃん。全身からぼたぼたと汗を垂れ流しながら、エイイチは自らの不運を恨んだ。


「ニャウギャウニャウギャウ!!」


 ドラゴンはひたすらに吠え続け、警備員がトランシーバーで応援を要請し始める。もうだめだ、とめまいに倒れそうになったところで、エイイチははたと気づいた。


 カプセルは破れたわけじゃなく、まだ原型を保っているようだった。というか、破れてたら俺はすでに死んでいる。探知機をも欺くカプセルはそれくらい頑丈なはずで、破れてもいないのにその中の臭いが漏れるとも思えない。なのにドラゴンが吠えるのはなぜか?


 エイイチは目をきっと見開いた。涙でにじんだ視界にスフィンクスのポーズをしているドラゴンが映った。エイイチ向かって吠えたてるドラゴンはどこか怯えているようにも見えて、バッグを丸呑みにしたドラギちゃんのことをを思い出す。「ドラゴンは生魚を食えない」というマルパスの声が頭に響いた。


 イカだ!


 それは奇跡的なひらめきであった。同時に、尻の裏側できゅっとカプセルが引っ込んだ。


 エイイチはもう片方の手もおずおず上げると、慎重に言葉を選んでこう言った。


「あの、もしかしてドラゴンはイカの臭いが嫌なんじゃないでしょうか? 俺、クラーケンの触手に絡まれちゃったんで……」


「なんだと?」


 エイイチの手から透明な粘液が糸引いているのを見つめながら、鬼が答えた。


「たしかに、イカ臭いなお前」


「でしょ?」


「ならなんでさっさと両手を上げなかった? もしや――」


「そ、それは、手を上げると、ちょっと出ちゃうから!」


「出ちゃうから? 出ちゃうからって何が?」


「それは言わせないでください! だって俺、俺クラーケンにあの、ぁ、あそこをちょっといじられて、ヌルヌルで、だからそのあ、また、やばっ!」


「おいやめろ! ここで出すな!」


「だ、だから手下ろしていいですか? マジッ、マジでちょっとトイレにっ!」


「ッチ。わかった。さっさと行け」

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