第3話 転移後即魔王? 知らんけど

 そうして到着した異世界は、今度こそ転移してすぐ王様がいるようなベーシックなものであった。


 王様こそ髪を金に染め、日焼けした肌にごついシルバーのアクセサリーをジャラつかせた、オーソドックスでない感じだったが、これまでを考えると、全然許容範囲内と言えた。


 だがしかし、


「おぉう! そなたが勇者か。ぜびこの世界、ベルナンケイアを救ってくれ!」


「世界を救ったらいくら貰えるんですか?」


「……ほぉ。その答えを知りたければ、ワシについてくるのじゃ」


 きらびやかな王の間で王様とそんなやり取りを行って十秒後、王座の背後にある扉を開けたエイイチは驚愕した。


「え、なんで魔王が?」


 その垂れ幕真裏の隠し扉は、王の間同様広大な客間へとつながっていた。女神のマンションの玄関ホール、その五倍はあるだろうか。真っ赤な絨毯、複数のシャンデリアに加え、中央には優美で立派なテーブルが置かれ、それを取り囲むようにこれまた芸術品のような椅子が並んでいる。


 そんな王宮のバックヤード。そこに当然のごとく魔王が待機していたのである。


 テーブル上座で他より大きな椅子に腰掛けているその特徴的な外見は、魔王としか形容しようがなかった。頭から生えた二本の角はヤギのようにねじ曲がり、裂けた口が不気味な顔は雄牛に似ている。中型バスほどの巨体はどぎついパープルで、筋骨隆々とした全身をきめ細かな鱗が覆っていた。


 あまりに唐突な魔王の出現に、戸惑い立ちつくすエイイチに、王様が言った。


「あぁ。魔王っちはワシのゴルフ友達じゃから」


「え?」


「勇者とか魔王とか、全部プロレスじゃよプロレス。わかるじゃろう?」


「あ、そうなんですか……」


 と、エイイチが小さな声で答えると、魔王もまた口を開く。


「“魔王”っちゅう敵作っといたほうが民は統治しやすいんや。知らんけど」


 と、彼は流暢な関西弁でそう言った。ワニのごとく並んだギザギザ歯が見るからに痛そうだった。魔王の視線はエイイチを向かず下を向き、眺めているのはぶっとい指で支えられたyPad(魔王のサイズ的にスマホのように見える)で、鱗だらけの肌に無理して着ているアッパーアーマーのコンプレッションウェア含め、世界観もクソもなかった。


 これが、異世界ベルナンケイアであった。


 中小企業の社長みたいな王様とスマホをいじる魔王が裏で繋がっているここは、夢も希望もなくあまりにリアルで、エイイチはそのままそんなリアルさの象徴へと案内される。


「じゃあ早速、を運んでもらおうかのう」


 彼は王様に言われるがまま、部屋の奥、魔王の左隣へと座らされる。そのテーブルの上には一枚の大きな皿が置かれていた。


「これじゃ」


「え?」


「だからそれがじゃ。これを君の世界に運んでくれ」


「え、これを……って、どうやって? 普通に税関とかありますよね?」


 エイイチは皿の上に並べられたに目を丸くして、そう言った。白い皿には蚕の繭ほどの大きさのカプセルがちょうど十個、一列に置かれているのだった。カプセルの中には血のように赤い液体がみっしり詰まっていて、王様が答える。


「そんなの、……わかるじゃろう?」


「……いや、わからないんですけど??」


「いやいや、ボディチェックされても引っかからへん場所なんて、ここしかあらへんやろ」


 と、王に代わって魔王が答える。彼はやはりyPadから顔を上げぬまま、それを持っていない方の手でずんぐりした腹を叩いて、言葉を続ける。


「ここや。こーこ」


「え? ぇあの、ひょっとして……これ、飲み込むんですか?」


「そう、でも大丈夫じゃ。鬼の探知機に反応しないよう、カプセルは加工されておるからのぉ」


 そうしてにっこり王様が笑うと、いよいよエイイチは泣きそうになった。


「うぅ……」


 いやこれ普通にクスリの運び屋じゃんか、そう思った。まさかというかやはりというか、女神は嘘をついていたのだった。


 要するに麻薬ヤクを飲み込み、あの鬼たちを欺きすり抜けろということらしい。


 まさかこんなことになるなんて……


 あまりのことに息が詰まり、エイイチはカプセルから目を背けようとした。しかし左右から強力な圧を感じ、できなかった。


「若いんじゃから、これくらい余裕じゃろう?」


 王様が横からかがみ込んでくると、スモーキーな香水の匂いがエイイチの鼻をかすめた。王様の右手には、大きな宝石をあしらった指輪がすべての指にはめられており、メリケンサックじみていた。


「せやな、ちゅうかやってもらわな困んのやけどな」


 ここにきて始めてyPadから顔を上げた魔王の眼力もまた強烈で、エイイチはおろおろする。


「あのー、あのえーっとこれ、そもそも何なんですか? 破けたらどうなるんですか?」


「そりゃえらいことになるわ。知らんけど」


「知らんけどって……」


「それくらいわかるじゃろう?」


「わかるじゃろうって……」


 ふたりに濁され、エイイチは確信する。破れたら死ぬのだ。なにがちょっとした荷物だよ、なにが安心安全だよ騙しやがって、と胸のなかで女神に悪態付くが、もう遅い。


「飲むしかないのか……」


 エイイチは弱々しくつぶやいた。決して飲みたくはないが、飲まないと帰れないだろう。なにより王様に殴られたらすごく痛そうだし、魔王に殴られたら首など簡単に吹き飛んでしまう。


「うぅぅ……」


 が、エイイチの覚悟は決まらない。


 彼はとりあえずカプセルを一つ摘んで眺めてみる。デカい、そして重い。しかも表面がやたらザラザラしている。仮に飲むとしても、喉につっかえてしまうのでは?


 そんなエイイチの無言の逡巡を察してか、魔王が言った。


「いや自分、それそのまま飲むんはアカンやろ」


「え?」


 そこで突然、魔王が大きく口を開けたので、エイイチは小便をちびりそうになった。


「ひゃっ!」


 ガタン、と彼は椅子を鳴らし立ち上がった。大開きになった魔王の口からはピンク色のヨダレが大量に垂れてきて、エイイチは素っ頓狂な声を上げ、よろめきぐらつき狼狽する。


「な、うわっ、え? ええっ!?」


 ヨダレは魔王の口から流れ続け、アンティークなテーブルの上にみるみるピンクの水たまりが広がっていく。机の端から溢れたそれはねっとりと糸を引きながら流れ落ち、絨毯を汚していく。


「ぇ、なんすか? え、ぁの、え、なにしてんすか?」


「潤滑油や潤滑油」


 魔王は答えた。彼はエイイチの指先からカプセルを強引に引ったくると、テーブルの上でくるくる転がして、まんべんなくヨダレに絡めていく。


「ちょ、何して……?」


「コレ普通に飲むとか無理やろ、デカすぎて。せやから潤滑油や」


「いやでも……」


 それ思い切りヨダレやないですか、と言いかけてエイイチは口ごもった。魔王につられ関西弁でのツッコミであったが、相手が相手であり口には出せず、カプセルを失った手持ち無沙汰な姿勢のまま、体をこわばらせることしかできなかった。


「よっしゃ! これでええやろ!」


 そんなエイイチの右手を魔王はぐっとつかみ、ぐるりと回転させる。魔王はもう片方の手でカプセルをつまんでエイイチの掌に戻すと、口の裂けた笑顔で言った。


「あぁ大丈夫や、ワイのヨダレは毒やないで。知らんけど」


 エイイチの手元に戻ってきたカプセルはほんのり生暖く、ヌルヌルであった。

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