第2話 熱がある人は転生できません
「熱のある人はこちらでーす」
サーモグラフィーを通過したエイイチは鬼の係員にそう言われた。こちらというのは『転移 Transfer』と書かれた矢印の方で、やっぱこれ空港じゃん、と彼は思った。
エイイチが魔法陣を介し転移してきたのは、白を基調とした広大な空間であった。コンコースと呼ぶべき長い通路に人がひしめき、そこらじゅうに矢印や窓口、案内掲示板がある一大ターミナルである。
異世界というのは転移してすぐ王様がいるようなベーシックなものだとエイイチは考えていた。パスポートの時点で嫌な予感はしていたが、まさかここまでとは思わなかった。引き続きスーツ姿の鬼に指示され進む彼は不安でいっぱいだったが、続けざま、さらなる混乱へと叩き落される。
大きな自動ドアを抜けてたどり着いたのは、これまた空港と同じ、コンベアと金属探知機が立ち並ぶ保安検査場である。
「スマホ、タブレット類は捨ててくださーい」「この機械は金属以外も探知できますからねー」「違反者は地獄行きですよー」
そんなふうに大声で呼びかけている鬼に、集まった人々がざわめいていた。というのも、入口近くに『世界観を壊す物品の持ち込みは禁止されています』との巨大な看板が掲示されているのである。
看板には日本円や電子機器など、世界観に合わぬ物品の具体例が図示されており、若者たちが呪詛を吐きながら所定の箱にスマホなり財布なりを投げ捨てていた。エイイチはそれを見て、うっわー、と思った。人質代わりにと荷物一式を女神に預かられたのは、ある意味ラッキーかもしれなかった。
こんなとこ、さっさと抜けよう。
不平不満でピリつく場のムードに居ても立ってもいられず、彼はそわそわと一番空いている列に並んだ。列は順調に流れていったが、エイイチの前に並んでいる女子が探知機に入ったところで、けたたましいブザーが鳴り響いた。
「ちょっとキミ、ブランドものはダメって言ったでしょ!」
彼女はブランドロゴがデカデカと印字された上着を着ていた。
「ダメ脱いで。あ、この靴もダメ。ん? キミもしかしてわかってやってる? ちょっと別室行こうか」
彼女が悲鳴を上げ、鬼二人がかりで引きずり出されると、エイイチの全身から汗が噴き出してくる。
俺の服もコレ、大丈夫なの?
と、ビビりまくるエイイチであったが、幸い探知機は反応しなかった。どうやら彼が身につけている高校時代の学校指定ジャージや、穴の開いたスニーカーは世界観的に問題ないようだった。続く念入りなボディチェックでも何も言われず、少しほっとするエイイチであったが、その次こそが一番の難関なのであった。
保安検査場の先には『
彼はこれまで一度も海外に行ったことがなかった。ゆえに、その作法をまったく知らなかったのだ。
これってなんかパスポート見られて色々聞かれるやつだよね? でもこれ何聞かれんの? どう言えばいいの? え、ちょっとみんな余裕すぎない??
ここも列の流れが速く、異世界転移を目指す冒険者たちがみるみる捌かれていく。エイイチは前方の人々の動きを必死に探ろうとするも、パスポートとチケットをカウンターに提出すること以外よくわからない。
えっ、マジで何したらいいかわかんないんだけど。渡航の目的とか、そういうの答えるだけだよね? てか言葉通じる魔法かけといたとか女神が言ってたけど、それも大丈夫なの? 英語とか無理なんだけど……
渡航の目的といわれても、彼は勇者として異世界へ転移し、荷物を持ち帰れとしか言われていなかった。勇者っていうのは普通、魔王を倒すのが目的だよな、などとエイイチはありえそうな質問に対する返答をシミュレーションしてみるも、スローライフ的な方向性のやつもあるのか、などと雑念が浮かび、いまいちうまくまとまらない。
そもそも転生と転移と違いってのもよくわかんないし。つか最近の流行りって何? パーティから追放されて見返すために転移してきましたとか言ったら、あきらか不自然じゃない?
と、思考はどんどん逸れていき、最悪な感じにテンパったところで、ついにエイイチの番が来てしまう。
おずおずと、彼はパスポートとチケットをカウンターに差し出した。ムスっとした表情の鬼のおっさんがそれを雑につかみ取り、これまた雑な感じで聞いてくる。
「異世界は初めて?」「はい」「ひとり?」「はい」「目的は?」「えーっと、魔王退治ですかね」「へぇ。じゃここに親指当てて」「はい」「OK。行って」「あ、はい。ども」
そんな調子でゲートを抜けた瞬間、あれ? とエイイチは思った。拍子抜けするほどあっけなく、彼は審査を突破できていた。ふわふわと現実感のないまま角を曲がり、ふうっと息をつくと、あーこれなんとかなるんじゃね、と思えてきた。
やっぱ荷物って、大したもんじゃないんだ。
そんな考えが確信に変わる。女神によると、それは武器や麻薬、生き物などではない極めて安全なモノらしい。ついさっきまで、エイイチにはいまいち信じられないでいたが、パスポートもチケットも問題なかったし、このセキュリティでは危険物など持ち帰れないのは明白だった。
荷物は、腕時計や指輪みたいなアクセサリー、そうか手紙や書類みたいなものなんだろうな。いやそうじゃなかったら、俺みたいな奴に任せようとしないでしょ。
そうして、エイイチはバカでかい出発案内板の前へとたどり着いた。
えーっと、……あった。第4ターミナルのQ52か。
案内板は結構な人だかりであったが、目的地である異世界『ベルナンケイア』行きの魔法陣がどこにあるか、彼は簡単に見つけることができた。案内板の前でチケット片手に立ちつくす人々を尻目に、エイイチは下りのエスカレーターに軽やかに飛び乗った。
いまや彼は、周囲の人間を観察する余裕すら生まれていた。
あのボサボサ頭はたぶん引きこもりのニートだろう。血だらけの服を着てやけに顔色の悪いあいつは、サーモで『転生 Reincarnation』に連れて行かれたやつだろう。
こいつらと違って俺はすぐに帰れるんだ。
ふふん、とエイイチは心のなかで笑う。王様に「世界を救ってくれ」と言われたら、「世界を救ったらいくら貰えるんですか?」と答え、荷物をもらってそれで終わりだ。魔王を倒す必要なんてない、楽勝だ。
そうやって長いエスカレーターを下り、ターミナル間を繋ぐメトロへと乗り込むと、メトロには人間以外の種族が多数乗車していた。
もはや見慣れた鬼の職員以外にも、リアルなケモミミ少女に、エルフにオーク、ドワーフなど、車内は多様な種族で溢れていた。旅行なのか仕事なのか、転移なのか転生なのか、異世界を股にかける彼らを見て、違う世界にやってきた、そんな実感をエイイチはようやく意識した。こんな状況でなければ感動していたかもしれなかった。
メトロが第4ターミナルに到着する。
ここも空港そのものである。どのようにして支払うのか、コンコースには土産物屋が立ち並び、これまたどこに税金がかかるのか、免税を謳う店まである。フードコートだってある。けれど全面ガラス張りの建物の外はおぼろげな光で満たされていて、ゲートの先にあるのは飛行機ではなく、女神のマンションと同じような魔法陣であった。
動く歩道を何本も乗り継いで、いよいよQ52ゲートへとたどり着くと、エイイチの他にベルナンケイアへ行く者はいない。もちろん待ち時間もなく、鬼がチケットとパスポートを確認すると、荒っぽくゲートが開く。
促されるまま魔法陣の中央に立つと、エイイチの全身をまばゆい光が取り囲んだ。
あとはもう、異世界だった。
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