17話「奴隷を購入するみたい」



「姫殿は、何か新しい料理を作っておられるのですかな?」



 姫が美味なる白パンを求めて試行錯誤している最中、もう幾度目となる商業ギルドへのポーション納品の折、ギルドマスターであるヘンドラーに言われた言葉だ。



 いきなりの問い掛けに何事かと彼を問い詰めたところ、どうやらいい匂いが漂ってくる家があるという噂が出ており、詳しく調べたところ姫が住み始めた家だということがわかったらしい。



「いえいえ、普通に料理をしているだけですが?」


「……そうですか」



 以前のような険悪なムードはなく、お互いが敬意を払った態度に戻っている。受付嬢のパメラとの一件で、姫という女性がポーション作り以外にも才覚があることを知ったヘンドラーは、彼女がただの料理だと宣うものが本当にただの料理ではないということに気付いていた。



 だからこそ、彼が次に言い放つ言葉は決まっており、将棋や囲碁であれば定石ともいえるものであった。



「もし姫殿さえよろしければ、その料理を食べさせていただきたいのですが?」


(まあ、普通そう来るわなー)



 己の迂闊さを悔いる姫だったが、起こってしまったことは仕方がないと考え、次に打てる手を打つことに意識を切り替える。



 本を正せば、明るい時間帯に料理をしていた姫が悪いということになってしまう。そもそもの話に立ち返ると、なぜ姫が借家を借りるという行為に出たのかといえば、自分専用のキッチンが欲しかったからである。



 不特定多数の人間に、自分が作り出す料理の情報を知られないようにするためというのが一番の理由だったのだが、それは彼女が考えていたものとは異なる形で露見することになった。



 日々パン作りに邁進する姫だったが、彼女自身それが当たり前になってしまっていて気付いていなかったのだ。この世界においていい匂いのする料理自体が少なく、そういったものは露店などではかなりの人気店となり得るということに。



 連日料理のいい匂いが漂う家があれば、それだけで人を集めてしまう。増してや姫の家がある場所は、貴族街とスラム街のちょうど境目ということもあり、貴族からもスラムの住人からも注目されやすいのだ。



 その噂は瞬く間に広がり、ついには商業ギルドのギルドマスターの耳にまで入る事態にまでなってしまっていた。



「実はまだ自分で納得のいくものが出来ていなくて、とてもではありませんが他の方にお出しできるほどのものではないのです」


「では、いつ頃完成するかお分かりですかな?」


「それはなんとも言えませんね……」



 お互いに当り障りのない言葉を交わしているように見えるが、実際は相手から言質を取る取られまいという激しい攻防が水面下で繰り広げられていた。



 このまま膠着状態が続くと思われたが、先に動いたのはヘンドラーだった。



「ですが、このままではマズいことになるやもしれませんぞ?」


「というと?」


「すでに姫殿が何かしらの料理を作っているのは自明の理。であれば、どんなものを作っているのか知りたいと思うのは人の業です。姫殿の望む望まない関係なく、その正体を探ろうとするものが出てくるでしょうな。例えばそう……貴族様など」


「……」



 危惧していた可能性を指摘され、姫は内心で舌打ちする。何か新しいことを始める際、それが利益になる場合介入してくる存在がいる。それは言わずもがな権力者たちだ。



 王侯貴族と呼ばれる存在は、常に自分にとって利益になるものが目の前にあれば、それが例え他人の所有物であってもその権力で躊躇なく奪い取る。まさに某アニメのガキ大将を地で行く存在なのだ。



 だからこそ、そういった面倒事に巻き込まれないための最善は、自分が利益になるようなものを持っているということを知られないようにすることだ。そうすれば、わざわざ向こうから手を出してくることはない。



 だが今回の場合噂が広まってしまっているため、その真偽を確認する者が貴族だけではなくそれ以外の人間からも出てくるだろう。



「そこで姫殿に提案なのですが、お店を出されませんか?」


「店?」



 今後の対応をどうするべきか姫が模索する中、ヘンドラーが突飛な提案をしてくる。どういうことなのかと、姫が頭に疑問符を浮かべているのもお構いなく、ヘンドラーは話を続ける。



「そう難しいことではありません。噂になっている料理の正体を敢えて隠すことなく、公の場で発表するだけのことです」


「そして、その店を商業ギルド主体で運営していることを権力者たちに知らしめると?」


「話が早くて助かります」



 商業ギルドは独自の営業形態を展開しており、それは何者にも影響されない。たとえ王侯貴族だろうと、国家権力だろうともだ。



 逆に商業ギルドを敵に回せば、国内の商業ギルドすべてを敵に回す結果となってしまい、経済が立ち行かないことすらある。



 だからこそ、商業ギルドが主体となって行う事業に手を出さないという暗黙のルールのようなものが出来上がっており、そのルールはどの国に行っても共通のものとされている。



「申し訳ありませんが、お断りさせていただきます」


「なぜですか?」


「単純にその職種で儲けるつもりがないからですね。それにあたしがポーションを商業ギルドに納品していることは、少し調べればわかると思いますし、それだけでも貴族たちの牽制になるのでは?」



 姫の言葉は的を射ていた。以前姫が別の街でポーションを納品していた際、貴族に目を付けられたことがあったのだが、あれは商業ギルドを経由して納品していなかったことが原因だ。



 商業ギルドでは、取引の際に金額の15%の手数料が掛かってしまうのだが、その見返りとして貴族などの権力者から守ってもらえるというメリットも存在している。



 ギルド以外の店に直接商品を卸す方法は、手数料が取られない分一見するとメリットがあるように見えるが、権力者の目から見れば“自分はどこにも所属していないフリーの人間だ”と喧伝する行為に等しいのだ。



 この世界にやって来たばかりの姫がそんなことを知るわけもなく、まんまと貴族に目を付けられてしまい、逃げるように街を追われるしかなかったのである。



「そうですか。では、もし気が変わるようなことがあれば、お声掛けください」


「ありがとうございます。それとこれは相談なのですが、やはり女の一人暮らしはなにかと物騒なので、護衛を雇いたいのですが何かいい案はありますか?」


「でしたら、奴隷を購入されてはいかがでしょうか? 短期間であれば、冒険者ギルドで冒険者を雇うという手もありますが、今回は長期的なものに分類されますので、常に傍に置いておける奴隷が適任だと思います」



 その後、ポーション納品の代金を受け取り、ヘンドラーから奴隷商宛ての紹介状を書いてもらい、ギルドを出た。






        ( ̄д ̄)( ̄д ̄)( ̄д ̄)( ̄д ̄)( ̄д ̄)






 確認のため一度家に戻ることにした姫だったが、戻った時に少し違和感を覚えた。気のせいだろうかとも考えたが、こういった悪い予感がよく当たるということを周知していた姫だったので、念のためくまなく家を見て回った。



「ない、ここにあった瓶が無くなってる」



 いろいろと家を見て回った結果、白パンを作るために必要な酵母菌の入った瓶が無くなっていることに気付いた。幸いなことに元種の方は手持ちのアイテム袋に収納していたのでそちらは無事だが、家の中から物が無くなるという事実に彼女は驚きを隠せなかった。



 それに伴い、家から忽然と物がなくなる心当たりを考えたが、その答えは一つしかなかった。そう、誰かが家に侵入したということだ。



「まあ、こんなこともあろうかと貴重品は全て手持ちで管理してるし、取られて困るものは精々ギルドに買ってもらった家具とタンスに入れてある衣類くらいなんだけど、これはマズいことになってるな」



 ヘンドラーから聞いた、自分自身の現在状況の危うさを理解した矢先に起こった出来事だったため、目の前の家の状態に姫は顔を歪ませる。



 彼女の実力ならば泥棒の一人や二人どうとでもなるが、できるだけ早く奴隷を購入しておいた方がいいという判断をするに至る十分な出来事が起こってしまったということもあって、家の戸締りを確認後その足で奴隷を扱っている店へと向かった。



 姫の家から徒歩で数十分、たどり着いた店は表から見ても特に怪しい点はない普通の建物だ。だが、そこに掲げられている鎖の描かれた看板があり、この場所が奴隷を取り扱う店だということを示唆している。



 中に入ると、さっそく店員らしき中年の男性が出迎えてくれ、丁寧な口調で挨拶をしてくる。



「いらっしゃいませ、デュクス奴隷商店へようこそ。私はこの店の店主を務めますデュクスと申します。以後お見知りおきを」


「姫だ。今日は奴隷を買いに来た」


「……恐れ入りますが姫様、どなたかの紹介状などはお持ちでしょうか?」


「ん」



 奴隷商ということもあってあまりへりくだった態度を取ると足元を見られるかもしれないと考えた姫は、店主のデュクスに対し敢えて不遜な態度を取ることにした。



 紹介状の提示を求められたため、アイテム袋から取り出した紹介状を人差し指と中指で挟んだ状態で差し出した。



 そのやり取りに一瞬戸惑いを見せたデュクスだったが、そこは腐っても客を相手にするプロということもあってすぐに取り繕い、姫から紹介状を受け取り確認する。



「まさか、商業ギルドのギルドマスターの紹介とは……失礼しました。ではこちらへ」



 デュクスの案内で通されたのは応接室のようで、入室と同時にメイド服を着た給仕の女性がティーカップに入った紅茶を出してきた。出された紅茶で喉を潤した後、姫はすぐに本題に入る。



「護衛目的の戦闘特化の奴隷ですか?」


「そうだ。あと、できれば自分で見て回りたいのだが」


「畏まりました。それでは私がご案内させていただきます」



 デュクスの案内で奴隷を見て回ることになったのだが、彼の説明と姫自身の鑑定で奴隷の能力を確認していくもこれだという奴隷が見つからない。



 奴隷物色の最中、姫好みのイケメンもいたのだが値段を聞くと目が飛び出るほどの金額だったことと、その奴隷を買ったときに彼女自身いろんな欲望を抑えきれなくなってしまうかも知れないことを危惧し、泣く泣く断念した。



(さすがに男に七十万は出せんわー。今住んでる家の家賃四か月分以上とか高すぎる。でも、勿体ないなー。あたしにもっとお金があれば、このイケメン奴隷とのピンク色な生活が……おっと、いかんいかん。よだれが出てしまった。じゅる)



 イケメン奴隷との妄想に思いを馳せる中、他の奴隷も見て回る姫だが、やはり先ほどのイケメン奴隷以外で彼女の食指が動く奴隷は見つからない。



 奴隷は一人一人決まった大きさの檻に入れられており、その距離も一定の間隔が取られている。おそらく、同じ檻に入れると暴れたり協力して脱走しようとするため、それを未然に防ぐために一つの檻に一人しか入れないのだろう。



 一通り奴隷を見て回ったが、結局姫の御眼鏡に適う奴隷はいなかった。今回は無駄足に終わったかと姫が思ったその時、他のものとは様相の異なる扉が目に入った。



「あの部屋は?」


「ああ、あの部屋はですね。何と言いますか、その……」


「いわくつきの奴隷がいる部屋か?」


「……はい」



 余程後ろめたいことがあるのか、先ほどから歯切れの悪い言動を繰り返すデュクス。その正体がなんなのか大体の予想を姫が口にすると、返ってきたのは肯定の言葉だった。



「あたしは別に構わないからこのまま案内してくれるか?」


「ですが……さすがにそれは」


「この先でどんなことが行われていても、あたしは問題ない。早く案内してくれ」


「そこまでおっしゃるなら私としても構いませんが、見ていてあまり気持ちの良いものではありませんので、気分を害した時はすぐにおっしゃってくださいね?」



 デュクスは姫にそう前置きすると、ようやく歩き出し姫を扉の先へと案内した。

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