16話「美味しいパンを作るみたい」
パメラにペナルティを与える話し合いをしてから三日が経過し、ようやく商業ギルドから届く予定の家具が出揃った。
ベッドなどの寝具自体は話し合いの次の日には届いたので、実質的に借家に住み始めたのは一昨日からになる。
当初の予定からは些か狂ってしまったが、これでようやくマイキッチンと風呂が手に入った。
この数日間に家具が届くのを待っている間、パン作りのための準備を同時進行で行っており、必要なものがすべて揃ったため、ようやく再始動ということになったのだ。
「てなわけで、改めて……重御寺姫。これより酵母菌を使った白パン作りに着手する!!」
相変わらず誰に言っているのかわからない謎の宣言をし、白いパン作りのための準備に取り掛かる。
まずは、白くて柔らかいパンを作るための酵母菌を作るところから始めていく。
酵母菌自体の製造法は至って簡単で、煮沸消毒した瓶の中に果物と水と砂糖を入れ、瓶と同じように消毒した蓋で閉め、気温の低い場所で二、三日放置する。その後一日二回ほど蓋を開けて再び閉め、少々瓶を振って発酵を促す作業を繰り返せば、おおよそ三日から五日ほどで酵母菌が完成する。
使用する果物など場合によっては、水は一度沸騰させたものを冷ました湯冷まし水を使う場合もあるらしいが、今回はただの水を使用している。
「まずこのリンゴに似たアプールの実を小さく切ります。続いて生活魔法のヒートを使って煮沸消毒しておいた瓶にアプールの実をぶち込みます。さらにそこに水と砂糖を加え、消毒した蓋をして気温の低い場所で放置します。なんとあらかじめ放置しておいたものがここにあります……って、三分ク〇キングか!」
などと一人でノリツッコミを行いながらパン作りのための酵母菌作りを進めていく。
酵母菌の発酵には時間が掛かり、次の工程に移るまでさらに四日を要した。酵母菌完成の目安は、入れた果物から気泡が出ることなのだが、それが大体五日から七日程度掛かってしまう。
「次は元種作りに移行します」
酵母菌が完成し、次工程はパンを膨らませるのに使う元種作りだ。酵母菌の液を別の瓶に移し、そこに少量の小麦粉を投入する。理想としては強力粉を使用するのがベターなのだが、この世界に麦の種類は多くないので市場で売っていた小麦粉を使用する。
「まさか小麦粉がこんなに高いなんて、世も末だ。ああ、異世界だから別にいいのか?」
などと言いつつ、そのまま放置する。放置の目安は大体五時間から八時間辺りで、時間が経過する度に一対一の割合で水と小麦粉を足して発酵を促していく。
さらに二日後ようやく元種が完成し、ここまで来るのに九日も掛かっているが、美味しいパンを作るためには仕方がないのだ。そう、仕方がないのだ。
元種を作っている間はポーションを作って納品を繰り返しているため、徐々に所持金に潤いが出てきているため、生活に支障はない。
「よし、じゃあ本格的にパンを作りますか」
下準備がようやく整ったところで、実際にパン作りを進めていく。ここからの工程はさらに単純で、小麦粉に水と砂糖と塩を適量入れたものに元種の一部を混ぜ込み、捏ねて形を整えたら一次発酵と呼ばれる酵母菌の力によって生地を膨らませる工程を踏む。
一次発酵が完了する目安としては、時間でいえば三十分から九十分、見た目的には元の生地が二倍から三倍にまで膨れ上がるのを基準とする。発酵を促す最適温度は三十度から四十度、湿度70%から80%が望ましいとされ、酵母菌の量によっても発酵が完了する時間が変わってくる。
一次発酵が完了後、生地の中に溜まっているガスを抜くため少し捏ね、適度な大きさに切り分け形を整える。そのままオーブントレーに置き、最後の仕上げとして二次発酵を行う。
二次発酵の目的は、成形したパンを膨らませることによって風味を出したり、焼き上げた時にふっくらとしたパンにすることができる。
そして、二次発酵もまた発酵時の最適温度と湿度があり、具体的には三十五度から四十度、湿度は80%から85%となっている。二次発酵の時間は生地の状態によるが、大体三十分から四十分くらいだ。
湿度を保つため、できるだけ清潔な布を水で濡らしパンに被せ、木でできたボウルにお湯を入れその上にパンが乗ったオーブントレーを置き、二次発酵に必要な環境を整えておく。
「オッケー、あとは焼くだけだね。いやー、こんなこともあろうかと地球で手作りパンをやってて正解だったわー」
姫は異世界に飛ばされることを常日頃から頭の中で妄想しており、本当にそうなった時のため、ありとあらゆる地球の知識を蓄えていた。パン作りもその一つで、レーズンなどの様々な加工品や果物から酵母菌を生成し、それを使ったパン種でいろいろなパンを作って楽しんでいたのだ。
その他にも様々なことを勉強しており、今後の姫の異世界生活での助けとなってくれることだろう。
パン作りにおいて最後の工程となる焼きの作業は、160℃から200℃の温度で十五分から二十分くらいで、こんがりとした焼き色が付くまで様子を見ながら焼いていく。
「よっしゃあー、完成だあー!!」
出来上がったパンを見て姫は歓喜の叫び声を上げた。ここまで掛かった時間を考えれば仕方のないことだが、誰もいない家の中での絶叫は傍から見れば奇行のそれである。
焼きあがったパンは、この世界で食べられている黒パンとは違って小麦色に焼けており、中は当然白色である。
この世界に来てから初めて作った料理に感動を覚えつつ、さっそく食べてみることにする。日本人らしく手を合わせあの言葉を言うかと思いきや、そこは姫クオリティを発揮してきた。
「この世の全ての食べ物に感謝を込めて、いただきます……はむっ」
久しぶりの白いパンに辛抱たまらなくなった姫は、躊躇うことなく噛み千切りそして咀嚼する。真っ白なパンは彼女の歯に程よい抵抗感を与え、口の中で咀嚼される度にその旨味を吐き出していく。
「もぐ、もぐ、もぐ……」
ひと噛み、ふた噛みと咀嚼回数を重ねていくうちに、丸みを帯びていたパンのひとかけらは原形を留めていられなくなり、徐々にその形を不定形へと変貌させていく。
口の中の水気を奪われていく感覚を覚えながらも、その感覚がなんとも懐かしく、そして心地良い。
「もぐ、もぐ……んぐっ」
咀嚼回数が数十回を超えた頃、すべての旨味がパンから出尽くした頃合いを見計らい、姫は口内にあるすべての物を嚥下する。
「……」
目を閉じ、角度的には斜め四十五度の場所を見上げながら、腕を組み上げる。形はいいが些か控えめなCカップが潰れることも厭わず、何か物思いに耽っているらしく、その場にしばしの沈黙が流れる。
幾ばくかの時を経てその沈黙が彼女の一言によって破られるのだが、それは予想していたものと少しかけ離れたものであった。
「……微妙じゃね?」
あれだけ勿体ぶって噛みしめ味わっていたのにも関わらず、どうやら焼き上がったパンの出来は姫を満足させるには至らなかったようだ。
だがしかし、この世界にやって来てから食べ続けていた食事と比べれば、天と地ほどの差があることは言うに及ばず、かなりの改善が見受けられた。
それでもあらゆる文化において高水準を叩き出している地球出身の姫にとって、今回のパンはぎりぎり及第点を与えられるに留まった。
「これは改善の余地ありありですな。まあ一発で成功する方がおかしいから、今回はこれでよしとしておこうジャマイカ!」
などと言いつつも、その手は既に次のパンを握っており、彼女が咀嚼を再開するのは想像に難くなかった。
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