第25話 決戦前夜―朝倉穂高の場合―

「先輩、本当にこのままで大丈夫なんですか?」

朝倉は腕組みしながらその不安を口にした。

「何が?」

織田が淡々と聞き返す。

「まだ全然ちぐはぐですよ。そりゃ、ごたごたしてたようですからまとまりがないのはしょうがないと思いますけど、せめてバッテリーくらいは嚙み合ってないと」

新体制になってから、主に練習はコーチである朝倉が中心に立っていた。

監督である織田は、指導方針の伝達と調整、試合で指揮を取るのみで、練習の状況を詳しく把握しているわけではない。 それだけ信頼して任せているということだが、逆に言えば責任を伴っているということにもなる。

「穂高はどう感じてる?」

ノートに書き込みをしながら後輩指導者へ疑問を投げる。

「チームのことですか?う~ん……全員見ている方向がバラバラですね。でもそれは、チームとしてのまとまりがどうとかって抽象的な指示出しが多いからですよ」

「じゃあ、もっと具体的に言えばいいんじゃない」

指導すべき軸こそ伝えているものの、細かい部分までは関与していない。そのため、不安を抱えながらコーチをしているわけで、今その悩みを吐露しているのだからもう少し素直に答えてもいいじゃないかと内心愚痴をこぼす。

「簡単に言わないでくださいよ。あんまり言い過ぎると答えになっちゃうし、ヒントを出そうとしても中々気付いてくれないしでモヤモヤしてるんですから」

口を尖らせながら反論する後輩コーチに、織田は笑って返す。

「指導者って難しいだろう。でもな、きっと皆も悩んでる。そうやって、悩んで、苦しんで、徐々に成長していくもんだ。分かってるだろ?」

朝倉自身、そのことは身をもって知っている。

彼は高校時代、俊足巧打のリードオフマンとして期待されていた。だが、その期待が重くのしかかり、体を強張らせた。

練習試合では遺憾なく発揮されていた能力も、重要な場面では影を潜めた。

当時の苦しさは、今でもはっきりと思い出される。同時に、同じように悩んでいる選手がいれば、その力になってやろうと考え、今コーチという立場についている。

「確かに、苦しみましたけど、もう少し早く吹っ切れてたかったですよ。先輩だって、あれだけのバッティングがもっと早い段階で出来てれば、レギュラーだって狙えましたよ」

朝倉の不安を取り除いたのは、監督室で目の前に座っている二つ上の先輩だった。

いや、取り除いたわけではない。その不安と上手に付き合っていく方法を教えてもらったのだ。

「ミスをしてはいけないと思うから体に力が入る。多分頭では分かっているだろうけどな。だから、その思考を変えてあげればいい。ミスをしても、次取り返してやるんだっていう風に考えながらやってみるんだ。そうするだけで大分違うと思うぞ」

失敗をしてうつむいていたから、取り返すチャンスを見逃していた。そのことに気付けたのが、後の飛躍のきっかけになった。

大事なのは失敗しないことではなく、失敗した後にちゃんと起き上がること。

理屈として理解していても、それを自分のものにするには時間と労力がかかった。

しかし、一度手に入れてしまえば、それを土台にたくさんのチャレンジが出来た。その積み重ねが、今の朝倉穂高を作り上げていた。

朝倉は、織田に憧れていた。レギュラーではなかったが、彼が代打で出てくると、チームの全員が期待に胸をパンパンに膨らませた。

――あいつならきっと打つ。

――試合の流れを引き寄せてくれる。

そういう空気が流れる中で、その期待に応え続けてきた。

その姿を尊敬していたが、ならばどうしてスタメンで出さないのかとずっと疑問だった。

「俺は代打だったからこそ輝けたんだ。なんたって、次は無いからな。そのたった一度の打席で、試合の流れを大きく変えることが出来る。良い方にも、悪い方にも。その緊張感が、俺をあそこまで成長させてくれたんだと思ってる」

次がある、ということは失敗が出来るということ。そういう状況だからこそ、行動に大胆さが出たり、あるいは次に甘えて絶好のタイミングを逃したりと、人によって扱い方は違う。

朝倉は、次がある挑戦をした。

織田は、次がない挑戦をした。

意識が違えば成果も違う。対照的なこの二人は、それぞれの成功を積み重ねてきたのだ。そして、次なる成功のために挑戦を続けている。

「手を差し伸べるのは簡単だし、一時的な解決にはなるだろうからお互い満足するだろう。でも、それじゃあ、同じような状況に陥った時、それも一人だった時に果たして乗り越えられるのか?」

「ある程度出来るようになるまでは、もう少し助けがあっていいと思います」

「時には荒療治も必要だ」

書き上げたのか、ぱたんとノートを閉じた。

「これまで蒔いてきた種が、強敵との対戦という逆境の中で花とはいかないまでも、せめてつぼみまでつけてくれれば、あとは勝手に育つ」

「もし腐ってしまったら?」

「そうなったら、また種から育てればいい」

大きく伸びをして、明日の相手を思い浮かべる。

甲子園常連の強豪校にどこまで食らいつけるか。

おそらく負けるだろうが、大事なのは勝敗よりも、その過程で何が生まれるかだ。

指導者は、かつての自分たちがそうであったように、高校生の可能性を信じていた。

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