第20話 背番号2
揺られること約1時間。
僕ら、戦場ヶ原高校野球部一行を乗せたバスが停車した。球場に到着した。
時刻は7時5分。
ここから荷物をベンチに運び、用意を済ませてすぐにアップを始めなければならない。
日程の関係上、スケジュールが詰まっているため、迅速な行動が鉄則だ。
僕らはその日の1試合目のため、ベンチ入りを待つ必要がないから、ある程度は余裕があるが、それでものんびりはしていられない。
移動は駆け足で行い、普段のストレッチも必要最小限に、足りないところは各自で時間を見つけて伸ばす。
キャッチボールも5~10分程度しか時間がないため、短い距離から体を使って投げ、肩と同時に全身を動かし、眠たい体を強引に起こしていく。
その後、試合前のシートノックが行われる。
「シートノックは何のためにするか分かっているか」
移動中のバスの中、織田監督が全員に問いかけていた。
「体を動かすため?」
「それなら普通のアップで良くね?」
「確かに」
「感覚を掴むためですか」
「状態の確認」
「グラウンド状況を把握するためでしょ」
様々な意見が飛び交う。
徐々に騒がしくなり始めたところで、それを制するように「オーケー」と監督が声を張る。
「良い答えがいくつか出たな。まず、グラウンド状況の確認。これは必ずするように。グラウンドにも癖があるからだ。地面が削れているところ、あるいは盛り上がっているところ、土の状態、芝生の具合にフェンスの跳ね返り具合、マウンド・・・今ざっと挙げただけでもこれだけチェックするポイントがある。これを短い時間でいかにやれるかが勝敗に大きく関わる」
シートノックは7分という短い時間の中で行われる。つまり、7分の間に、ノックを受けながらそれらを確かめなければならない。
「だが、グラウンドはアップをしながらでも確認できる。キャッチボールはもちろん、ストレッチや移動の時でも常に意識して状態を把握しておけ」
バスの中に緊張が走る。
グラウンドを駆け回っている姿を想像するだけで心拍が上がる。
胸に手を当てずとも、耳の奥に響いてくる鼓動の音でそれがはっきりとわかる。緊張しているという事実、そしてその度合いが。
ちらりと隣を見ると、張りつめた表情で織田が窓の外を見つめていた。
ある意味いつも通りではあるので、その横顔からは心境が分からない。試合だから特別緊張しているということもないのだろうか、あるいはその逆か。
僕が、雨が降りそうだね、と声をかける。
一瞥してから、そうだな、と素っ気なく返してくる。
少しでも状態を探ろうと思い会話を続けようと思ったが、何も話題が思いつかない。
身のない会話であればもう少しスムーズに言葉が出てくるものだけれど、明確な意図をもって話そうとすると、驚くほど何も出てこなくなる。
ストレートに聞こうとも思ったが、変に刺激してはいけないような気がして、やはり喉から上がってくることはなかった。
結局、バスの中では有効なコミュニケーションを取ることは出来なかった。
人と関わることはこんなにも難しいことなのかと、本当の意味でキャッチャーの大変さを思い知らされたような気がした。
同時に、甘えていたのだなと。
先輩と組むときや、三好を相手にする時は必要以上に気をもむことがなかった。
相手に任せっきりにしていればよかったし、それで何か不都合が起きることがなかったからだ。
加えて、自分はあくまで控えであり、その存在は、あっさりと取って代わられる程度のものでしかなかった。
それが、正捕手という肩書を背負ってしまったために、これまで通りではいられなくなってしまった。
失くしてから、そのものの大切さを知ることになる。
ありきたりで陳腐な言葉。
そのくせ、1度経験すると、これでもかというほど脳みそに響いてくる。
安定した、ぬるま湯のような立ち位置。
目立たないから、見られることはなく、だから視線を気にする必要がなかった。
でも今は違う。
背中に光る2という数字。
それが持つ意味は、たとえ自分には不相応だと思おうが、他人には全く関係がない。
レギュラーで、すなわちチームの中で1番のキャッチャーであるということを示す背番号。
背負ってしまった以上は恥ずかしいプレーは出来ない。
思えば、しっかりしなければ、なんていう気持ちになったことはこれまでになかった。
これが責任というものだ。
そんな声が聞こえてくるようだった。
ただの布切れが、まるで鉄のように重く、体を地面に固定しているようだった。
足が思うように動かない。
息も苦しい。
手足がしびれて、視界も狭くなってきた。
「おい」
気づけば、織田が目の前に立っていた。
「大丈夫かよ」
どうやら心配してくれているようだった。
僕は頷いたが、出したはずの声は喉元で止まってしまった。
「――ならいいけど。ボーっとしてんなよ。いい球投げてもこぼされたらたまんねぇからな」
きっと本心なのだろう。
彼はいつでも、自分が最高のボールを投げることだけを考えている。
相手をねじ伏せるために。
僕に出来るのは、その邪魔をしないことだけだろう。
そして、僕の予想通り――いや、その予想を遙かに上回る力を見せつけ、知らしめることになる。
織田信勝という、戦場ヶ原高校野球部史上、最も偉大な投手の存在を。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます