第10話 織田勝義

野球を始めたのは8歳の頃だ。

最後の大会だからと、親に連れられて10歳離れている兄貴の応援に行った。そこで、初めて生の試合を観て、飲み込まれた。

勝とうとする強い意志が、1つ1つのプレーから伝わってきて、他にも、嬉しさとか、悔しさとか・・・

しかも、グラウンドの中だけじゃなくて、ベンチ、スタンド、いろんなものが球場全体に溢れてた。引っ張られるように、俺も手に汗握って、興奮してた。

もっと早く観に行けばって、ちょっとだけ後悔したな。

その試合は投手戦だった。

試合後半まで、両チーム得点なし。1つのミスが致命的になるような緊迫した場面が続いてた。

どうやったら流れを変えられえるか、1点をもぎ取れるか、俺も選手になったみたいに考えてたっけな。野球のことなんか何も知らないのにな。

そのうちに、兄貴が代打で出てきた。背番号は2桁だったし、レギュラーってわけじゃなかったけど、選手交代が告げられた時のスタンドの盛り上がり具合は半端じゃなかった。それで、あぁ、兄貴って凄い選手なんだなって思った。

0対0で進んできた試合の終盤、しかも、1アウト2塁っていう大事な局面で任されるっていうのは、こいつなら打ってくれるっていう強い期待がある証拠だから。

遠目から見てても、尋常ないくらい気迫がみなぎってたことが分かったし、これ以上ないってくらいの集中力だった。・・・いや、声なんかかけられなかったよ。邪魔になるって思ったからな。

その打席のことは今でも覚えてる。相手もピッチャーを変えてきてさ。先発が捕まり始めてたし、ピンチだったから、そこで止めなきゃやばいって考えたんだと思う。

ただ、そのピッチャーも凄かった。球は早いし、コントロールも正確で、正直打てないんじゃないかって思ってた。

でも、兄貴も全然負けてなかった。鋭いスイングで、どんな球にもくらいついてって、めちゃくちゃ粘ってた。絶対に死なない、何が何でも打つって、そんな声が聞こえてきたよ。

息をするのも忘れるくらい張りつめてた。当たり前だけど、グラウンド上はもっと緊迫してたんだろうな。 一瞬でも集中力を欠いたらられる。小学生ながらに、それが理解できた。

最終的に、兄貴は打ち取られて、その試合は負けて終わったよ。悔しかったような気もするけど、あんま覚えてない。ただ、その日の夜は眠れなかったことと、野球がしたいって気持ちで胸がいっぱいだったことだけは覚えてる。



「次の日には、びっくりするくらい早く起きてて、庭で俺のバットを振ってたらしい。そんで、野球がしたいって、それだけ言われたんだってさ。そんな風に、誰かに影響を与えられたんだって感じて嬉しかったな」

監督は照れ臭そうに笑ってた。

「あいつの希望ポジションがピッチャーだって聞いたときは、ちょっとがっかりしたな。あ、俺に憧れたわけじゃねぇんだってさ。でも、才能があった。正直、羨ましかったよ」

一般に、速い球を投げるには才能が必要と言われている。ただ、時代とともに科学が発達し、速さのメカニズムが分かってくると、それに応じて様々なトレーニング が生み出されていった。スピードガンが導入されてから、プロ・アマを通じて、平均球速はどんどん上がってきている。

ただ、スピード表示がないだけで、昔の人の方が球は速かったと言っているのを聞いたことがある。

いずれにしても、関節とか骨格とか、どうしようもできないものも確かに存在しているし、それがスポーツに大きく関わってくることも珍しくない。

「呑み込みの早さというか、自分のイメージに体がついていってるような、そんな感じだった。球は速かったし、時折、俺でも驚くような発想が生まれることも多かった。それに、何より貪欲だったよ。あそこまで熱心に練習できるような小学生も珍しい。ただ、今と違うのは、表情だな。昔は、ただ楽しくて仕方がないって感じで、いつも笑ってた」

あんなにムスッとしているやつも、子どもの頃は無邪気だったと聞くと、少し切なくなるな。でも、今でも十分熱心な気はしますが?

。珍しいってことは、他にはいないってことで、つまりは1人ってことだろ?同じくらい勝ちたいって思う奴が周りにいなかったのさ」

なんとなく想像ができる。スポーツにしろなんにしろ、楽しみ方は人それぞれあるし、尊重されるべきものだ。ただ、真剣にやりたい人と面白おかしくやりたい人の嚙み合わせはこの上なく悪い。

おまけに、一生懸命、泥臭くやる人を馬鹿にする風潮がある上に、多数派が正義のように扱われるから、熱心にやる人は中々増えない。

「しかも、あいつの求めるもののレベルが高いからなのか、いい加減にやってるのが許せないみたいでな。周りにもちゃんとやるように言うもんだから衝突も多かったらしい。俺も忙しくて、その時はあんまり喋らなかったからよく知らないんだが、中学に上がってからが、精神的にキツそうだったな」

目に浮かぶようだった。彼はきっと、苦しいまま、それでも、自分の追い求める理想の為に力いっぱいやっているんだろう。

じゃあ、高校に入学してからすぐに部活に入らなかったのも、そのメンタルのせいですか?

「まぁそれもあるにはあるが、直接的な理由じゃない。中学生になってからは、部活じゃなくてシニアに入った。その方が、勝ちに対する意識は強いからやりやすくなるし、その分楽しくやれるだろうと。ただ、2年の秋ごろからエースになって、そこからだな、勝ちに対するこだわりが強くなったのは」

エースとしての責任。打たれなければ、点を取られなければ負けることはない。味方がエラーをすることだってあるし、そもそも打てずに点を取れないこともある。その全てを背負ってしまった。

エースのピッチングで味方チームに勢いを。

バットに掠らせることが出来ないような、圧倒的なピッチングを。

「気づけば、楽しいから、勝ちたい、勝たなければって、自分を追い込んでいった。苦しくても、1人で戦って、弱音も吐けず、それでも辞めることは、投げ出すことはしなかった。そうやっているうちに、怪我をした」

張りつめて、酷使して、自分自身にさえ裏切られた。

「幸い、ボールを投げなければ治るっていう話ではあったけど、高校から来ていた推薦の話は無くなった。そこからは、怪我の治療に専念して、回復したらまたやろうってことにはなったんだけど、色々しんどかったみたいだな。高校に入って、何とか通いは出来てたが1年の間は完全にふさぎ込んでた」

そして、2年生になって完治し、野球自体はできるようになった。しかし、本人は、最初はあまりやろうとはしていなかったらしい。

「そういう選択もありだとは思ってた。だが、このまま何もせず、中途半端な状態でいることの方がマズイんじゃないかと感じてな。少し強引に野球部に入ってもらうことにしたんだ」

とはいえ、まだまだチームの一員にはなれていないようだがな、と織田監督。

でも、本当に完治したんですか?

「そのはずだ。知り合いの医師に診てもらって、とりあえずはなんともないってことらしい。ただ、ちゃんと検査しないと分からないし、もしかしたら別のところかもしれないが・・・あぁ、昨日の途中交代の時か。あれは、メンタルによるところが大きいって話だったな。いわゆるイップスだ」

イップスとは、緊張や不安などにより、それまでスムーズにできていた動作が思い通りに出来なくなる運動障害のことだ。

でも、さっきは普通に投げられてましたよ?

「あくまで可能性の話だ。それに、だとしてもどういう条件下で発症するのかが分からない。だから、まだ様子見の段階だ」

だから、支えてやってくれ

その声は、今まで聞いたどの音よりも優しかった。

兄として、弟の無事を。

教師として 、1人の生徒の成長を。

誰よりも案じていることが、願っていることが、柔らかく、力強く伝わってきた。

僕なんかに何が出来るだろうか。

聞いた話を何度も思い返し、考え、悩んだ。

そして僕は・・・

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