第9話 孤軍奮闘

「織田先生。ちょっといいですか」

「はい、なんでしょう」

「あの~、野球部のコーチしている、大畑さんいるでしょ?」

「ええ、はい」

「実は、今朝方電話があってね、文句を言ってきているんですよ」

「文句ですか?」

「なんでも、何の相談もなく、一方的にコーチ契約を解除すると言われたと」

「いえ、私は契約を解除するとは言っていません。ただ、チームの指揮権を譲ってもらうように言っただけです」

「それだけですか?」

「ええ、それだけです。ただ、紅白戦をして、それに勝ったらという条件付きではありました。もしかしたら、負けたことに納得がいっていないのかもしれませんね」

「あぁ、そういうことでしたか。えっと、状況は分かったんですけど、その~なんていうか、織田先生は今年赴任されてきたので知らないかもしれませんが、大畑さんは結構長い間コーチをやってくれていた人でしてね。まぁ、大人として、顔を立てると言いますか、出来れば波風立てないように、うまくこう、持ち上げてもらってですね」

「おっしゃりたいことは分かります。ただ、どう持ち上げていいか分からなかったですし、いい機会だと思いましたので」

「いい機会?」

「はい。部活の様子を見ていて、彼らが真剣ではないと感じました。もちろん、面白おかしく活動するというのが悪いわけではありません。しかし、それでは得るものが少ないまま終わってしまいます。なので、部活を通じて、真剣に取り組むことの大切さを学んでもらおうと考えていました」

「はぁ、なるほど」

「それに、やるからには勝ちたいですからね。大会も近いですし、やれるだけのことはやろうと思っています。まずは、今の形を崩すことから始めようと考えてます。おそらく主将も変えることになるでしょう」

「分かりました。ただ、あの、ほどほどにお願いしますね。最近は、ちょっとしたことで親御さんから電話がかかってきてしまうので」

「分かりました。気をつけます」



「もういい」

入念にしていたキャッチボールを終え、ブルペンから出るように言われた。

キャッチャーがいない代わりに、ホームベースの後ろにネットを設置し、これで準備は整った。

「長いキャッチボールだな。不安なら投げないほうがいいんじゃない?」

長田が挑発する。それを聞いた数人が笑っていた。

勝負の行く末を、大半の部員が余興として見ている。おそらくは長田自身も、簡単に打てると思っているようで、あまり緊張感は感じられない。

自信の表れ、と言えば聞こえはいいが、僕は、それを自惚れであると感じてしまう。昨日の試合で、彼の力は見ていたはずなのに、なぜ打てると確信しているのだろうか。

客観的に見て、織田君と長田の力の差は歴然である。まともに球を投げられさえすれば、多分バットに当てることさえできないだろう。そう、

もしも故障しているのなら、もちろん程度にもよるが、打たれてしまう可能性がある。

そうだとしたら、なんでこんな勝負を仕掛けたのだろう。自分の状態が分かっていないのか、それとも、怪我自体はそんなに大したものではないのだろうか。

後者なのかもしれない。キャッチボールをしていた感じでは、普通に投げられそうではあった。

ただ、仮にそうだとした場合、昨日の試合で起きた異変の謎が残ったままになってしまう。本人はあんな感じなので、機会を見つけて監督に聞いてみることにした。

「手加減してやろうか」

打席に立った長田が尚も挑発を繰り返す。だが、それに反論することはなく、その瞳は、真っ直ぐに前だけを見つめていた。きっと彼の視線の先には、キャッチャーが座っているに違いない。

この時点で、どちらが勝つかは火を見るよりも明らかだった。

1球目がネットに向かって投げ込まれた。コースは真ん中の高めだったが、

「ボール!」

長田が宣言する。

微妙ではあったが、ボールでもおかしくはないコースだった。

しかし、2球目は、高さは腰より少し低く、インコース寄りではあったが確実にストライクだった。

「はい、ボールツー!」

明らかに自分に都合のいい判定だった。

その直後にこちらに向けた視線は、同意を求めるものだった。そして、異を唱える者はいない。同調圧力。総勢12名の中で、1人違う声を上げるのには勇気が必要である。

そんな勇気を持てる人間はわずかしかいない。持てるものは特別だ。そう考えると、やはり自分は平凡な存在でしかないのだろう。

キャッチャーであるはずの僕が、ピッチャーである彼の力になれないのも、持っているものが違うからなのかもしれない。ということは、彼はずっと1人ということにならないか?熱意とか才能とか、彼と肩を並べられる人は、少なくともこの学校にはいないだろう。

彼自身も、そう感じているのかもしれなかった。

だが、1人であることに何の問題があるのだろう。独力で解決できるのなら、それでいいのではないか。

今も、不利な状況にも関わらず、誰かに助けを乞うでもなく、自分がすべきことを見定めている。

そして、彼は決断した。真っ向から勝負を挑み、実力差でねじ伏せることに。

全球ど真ん中直球勝負!

これならば、判定にケチの付けようもない。

リスクを背負い、逃げることなく、小細工さえも正面から受けて立つその姿は、なんとも堂々たるものだった。

ボールの勢いも、昨日とほぼ変わらず、最終的には、真ん中のボールにかすりもせず、織田君の勝利に終わった。

「はいはい、速い速い。分かったから次やるぞ」

長田だった。他の全員がぽかんとしている。

「誰も1打席だけとは言ってなくね?1打席は球筋見て、2打席目から打っていくスタイルだから俺」

完全に負け惜しみのセリフだが、本人に自覚はないのだろうか。ハッキリ言って恥ずかしい。

「はぁ・・・そんなんで勝てるわけねぇだろ」

「あ?」

「次があるって何、代打でも同じこと言うわけ?初めから打つ気がない奴が試合で何の役に立つ」

「んだとコラ!あんま調子乗んなよ!」

「勝義の言う通りだ」

そこに居たのは織田監督だった。タイミングが良すぎるので、きっといつからか見ていたのだろう。

「いいか、打席において次はないと思え。甘い球はそう何度も来ない。だから1球に対して、もっと集中力を高めないとあっさり打ち取られて終わりだぞ」

「でも、様子を見るのはありじゃないすか」

いかにも不満といった面持ちで反論する長田。指摘されたのが悔しかったらしい。

「様子を見るときも勝負に決まってるだろ。見逃すときも、どうやって見逃すかで駆け引きしていくものなんだよ。違うか?それに、お前のはただの負け惜しみだ。まずは、自分が負けたという事実を認識しろ」

ぐうの音も出ない様子だった。正論を言っているだけなので当然ではあるが。

「それから、勝義。何で同じコースに同じ球を続けた」

「審判が辛口だった」

「だとしても、もっと考えて投げろ。他にもやりようはあったはずだ」

2人の会話になるとより一層ピリピリする。

やっぱり兄弟仲は悪いのか。もしかしたら、怪我が原因かもしれない。

タイミングとしては最適だったので、彼について聞いてみることにした。

「そうだな・・・分かった。じゃあ、来てくれ、監督室で話そう。2人はブルペンをならしておくように。あと、面倒は起こさないこと。他の部員にも迷惑がかかる行為は慎めよ。いいな」

退部についての話し合いをそれ以上進めようとするものはなく、この後の予定を相談するもの、足早に帰路につくもの、素振りを始めるものとに分かれていった。


そして、僕は、グラウンドの裏にある監督室で話を聞くことになった。


1人の少年の、希望と挫折と、決意の話を

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