第8話 雨降って
新チームが発足した次の日は、生憎の雨だった。靴に浸透してきたせいでぐしゃぐしゃに濡れた靴下に不快感を覚えながら、今年は例年よりも早い梅雨入りだとニュースで言っていたことを思い出しげんなりしていた。
今日は月曜日のため、練習はない。しかし、昨日の熱が残っているのか、練習をしたいと体がうずうずしているような気がした。とはいえ、自主練習ではやれることはあまりない。幸いなことに、今降っている雨は、午前中のうちに止むという予報だった。
「羽柴、今日の放課後自主練しないか?」
体育館か武道場辺りでバットでも振ろうかと考えていると、同じクラスの前田が声をかけてきた。同じことを考えているのは僕だけじゃないようだ。
「多分グラウンド状況は良くないから、室内でシャトル打ちか、筋トレか・・・」
出来ることを考えてみたが、驚くほど思い浮かばなかった。今、自分たちに何が足りないのか、そのために何をするかが分かっていない証拠だ。ただ、それが課題だとも言えるので、まずはそこを考えていくべきであろう。
「他にも声かけてみるか」
3人寄れば文殊の知恵ってやつ?でも、多分同じような案しか出ないと思うぞ。
「そうかもしれないが、ダメで元々だ」
とはいえ、じゃあ誰を誘おうか。昨日の試合で影響を受けたやつ・・・
そこでふと思い出した。織田君だ。彼が途中で降板した理由は聞けずじまいだったから、話を聞きに行かなくちゃ。それに、彼ならきっと頭を使っていそうな気がする。熱意もあるし、いい人選なんじゃないだろうか。
「そうかもしれない。クラス分かる?」
見たことないから、多分下のクラスだろう。
話がまとまり始めたところで、チャイムが鳴った。
さて、今日返されるであろう数学Bのテストだが、手応え的には40点前後といったところであろう。ちなみに、赤点ラインは30点である。なんと良心的なことか。
そして、放課後。
華麗に赤点を回避し、晴れやかな気持ちで帰ろうとしていると、ポケットの携帯が震えた。画面を見ると、そこに表示されていたのは、2年生に対し、1塁側のベンチに集まるようにというメッセージだった。
「よう、22点」
声の主は
失礼なやつめ。僕の点数は32点だ。赤点じゃない。そもそもなんで点数を知っている。
「タローから聞いた」
あいつか。そういえば仲良かったな。タローというのは
ところで、人のことを馬鹿にできるほどなのか?
「残念、俺43点でした~」
「変わんねぇじゃん」
「俺72点だけど」
「勝った、76点」
「は?じゃあ、英コミュ何点だよ。俺87点」
「気持ち悪。日本人じゃねぇじゃん」
「馬鹿め、時代はグローバルだ」
「アメリカかぶれ乙」
「いや、ワイルドスピードは馬鹿にするな」
「今年はメッツとどこだっけ」
「それはワイルドカード」
ベンチで集まって、2年生の部員が談笑を始めた。今までと変わらない会話。関係悪化を懸念していたが、紅白戦は、少なくとも2年生にはそこまで影響がなかったのだろうか。
「で、集まってもらった理由なんだけど」
と、長田。
部活にしろクラスにしろ、人が集まると、自然とグループが出来上がる。長田は、篠川、松崎、池﨑の4人組の中心核の人物だ。そんな彼が、2年に召集をかけた理由を話し始めた。
「全員で部活辞めね?」
言っていることを何度か頭の中で繰り返し、ようやくその意味を理解することが出来た。つまり、2年生全員に、入部ならぬ退部の勧誘をしてるってこと?
「覚えてるっしょ?紅白戦に負けたやつは試合に出さないって」
「そうは言ってなくね」
「直接は言ってないけど、絶対そう考えてるでしょ」
「さすがにないでしょ」
「でも、俺地学の時、準備のために職員室に入ったら、キャプテン変えるって話してた」
「聞き間違いじゃね」
「絶対言ってた」
「3年の話じゃないの?」
「学年関係ないでしょ」
一気に不穏な空気が流れ始めた。紅白戦の後、織田監督の言っていた、勝とうとしないやつは使わないという言葉を、負けたやつは使わないという意味で解釈したらしい。
だが、真意が分からない以上、その真偽を確かめる術はない。ならいっそ、監督本人に聞きに行ったらいいんじゃないか。
「当たり障りのないこと言うに決まってんじゃん。所詮教師だし」
「それはある」
「いやなくね?」
「そんなの分かんないじゃん」
「口では何とでも言えるし」
「勝ったやつはいいよな。試合に出れるし」
「お前らが負けたのが悪いんだろ!」
「それ先輩に言えよ!」
「文句言ってるのお前らだろ!?」
どんどんボルテージが上がっていく。
意見するもの、沈黙を貫くもの、考え込んでいるもの、話を聞いていないもの、様々な思いがあるが、取りまとめるものがいない。まさに烏合の衆といった感じだった。こういう時、カリスマがある人間がいればと考え始めたとき、そいつは現れた。
「何してんの?」
織田君だった。ジャージ姿で、その手にはグローブを持っており、これから練習をするつもりのようだった。
全員の視線が彼に集まる。だが、その多くは冷たいものだった。
「部外者には関係ないから」
「あっそ」
さすがにカチンときた。確かに、入部して2か月も経っていないけど、もしこれから、今いる2年生が中心になって活動していくことになったらと思うと、看過できない発言だった。
だが、まさにその問題でこうしていがみ合い、もとい話し合いを行っているわけだから、そのことに関しては何も言わないでいた。
ただ、こうして話していても埒が明かないので、気分転換も兼ねて、昨日の異変について聞いてみることにした。
「関係ない」
一蹴されてしまった。
同じチームでやっていこうというのに、協調性がないというかなんというかいうか。
「使っていいボールどれ」
比較的きれいなボールとそうでないボールがあり、通常の練習では後者のボールを使うように言われている。それを伝えると
「肩壊れてんなら練習しないほうがいいんじゃね?」
と、からかうような声が聞こえてきた。長田だ。それにつられて何人かも笑う。
気分が悪かった。だが、僕が睨み返すよりも前に、織田君が反論する。
「辞めたいなら1人で辞めれば?ていうか辞めてくれ。居ても使い物にならないから」
冷静な口調だった。いや冷静というよりも、呆れとか軽蔑とか、そういう類の感情のようだった。
「お前よりは使えるっつーの。痛くて投げられましぇーんってっやってるへなちょこじゃねぇんだし」
「・・・言ったな?打席立て。どっちが使えないか証明してやるよ」
なるほど、勝負ごとになると熱くなる性格のようだった。
でも、からかうわけじゃないけど、本当に故障しているなら投げないほうがいいなじゃないか?
「キャッチボールして」
まだまだ信頼関係を築くのには時間がかかりそうだった。
織田君の挑発を受けて、長田が打席に立つ準備を始めた。
空は雨が上がってすっきりと晴れており、グラウンドも1年生が昼休みの間に整備をしていたおかげで水たまりはなくなっていた。だが、まだぬかるんだ状態だった。
そこで、比較的雨の影響は少なかった屋根付きのブルペンで勝負することになった。
「俺が勝ったら辞めろ」
「お前も負けたら辞めろよ。で、土下座して謝れ」
昨日と似たような状況になった。
きっと僕たちの代は、この先もずっとこんな感じなのだろう。そして、その中心にいるのは彼なんだと、自分のミットに投げ込まれるボールが教えてくれていた。
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