第4話 兵 ―つわもの―
✖️✖️
「……」
「話は聞いた。推薦、無くなったんだってな」
「……」
「父さん達は何て?」
「……別に野球じゃなくてもいいだろ、って」
「そうか……まぁ、ゆっくり考えればいいさ。良い機会だから、たっぷり休ませてやれ。体も心も」
「……」
「ただ、勉強はすること。もうすぐ受験だろ?選択肢は広げておけよ」
「……あぁ」
「何かあったら、連絡しろよ。じゃあな」
「……どうしろってんだよ!」
✖️✖️
一回裏
さて、我らがエースの立ち上がりはどうなるか。
前日の練習、そして今日の投球練習で受けた感じだと、球は速い。こんな平凡な公立高校にいるのが不思議なくらいに。
あとはコントロール。どんなに球が速くても、ストライクが取れなければ意味はない。
しかも、ブルペンで投げるのと実際にバッターに投げるのとではまったくの別物で、そのギャップには、おそらくほぼ全てのピッチャーが悩まされることだろう。
だから、まずはそれを教えてもらおう。
そう思って、僕は外角のストレートを要求したのだが、
「……」
首を横に振られた。
ある程度予想は出来ていたとはいえ、ちょっとびっくり。そんなに悩むような展開でもあるまいに。
何が気に食わなかったのだろうか。えっと、じゃあストレートじゃなくてこっちかな?
投げたい球種が違うのかと思い、変化球のサインを出すも、同じ様に首を振られた。
残る選択肢はコースだけだ。
どうやら当たりだったようだ。
内角のストレートでサインを出したところで、首を縦に振る。初球から
不安になりながら、僕はミットを内角に構えた。
そして投じられた1球目
「ボール!」
ストライクゾーンを外れたところで、僕のキャッチャーミットに収まっていた。
初球からボールはいただけないが、当たらなくて良かったと心底思った。
「死ね」
彼の投げたボールから、そんな意思が伝わってきた。実際に、彼がそう言ったと錯覚するくらいにハッキリと。
そして、きっとそう感じたのは他でもない、チーム大畑の先頭バッターである鵜飼先輩だろう。
避けられなければ間違いなく左腕に当たって、最悪骨折という事態にすらなっていただろう。
勢いよくバッターボックスから飛び出た先輩の顔には恐怖が浮かんでいた。
無理もない。あの球速がいきなり迫ってきたらそうなるだろう。
捕手の僕ですら、練習の時と勢いが違い過ぎて、怖いと思ってしまったくらいだ。
とはいえ、元々速いことは分かっていたので、練習と試合の差異を埋めてしまえばおそらく大丈夫だろう。問題は、この球速をどう活かすかだ。
間一髪で避けたということもあってか、立ち位置がベースから少し遠ざかった。
決め球となる速いストレートやキレのある変化球が1つあるだけで、こうやってバッターを心理的に圧倒できる。あとは使い方次第で、そこはキャッチャーの腕の見せ所でもある。
バッターボックスから遠ざかったということは、インコースを警戒した証拠。こうなればアウトコースのボールには腰が引けてしまい、そこに投げればバットは届かないだろう。仮に届いたとしても、力強い打球が打てるはずはない。
そう考え、アウトコースのストレートを要求したのだが、またも首を横に振られてしまった。
最初からこうもサインが決まらないと、お互いにストレスになりプレーに影響が出かねない。
もう一度打ち合わせをするため、僕はタイムをかけることにした。審判のコールを聞くのと同時にマウンドに向かう。
「なんだよ、文句でも言いに来たのか」
文句じゃなくて、配球の確認に来ただけ。
「初めに言っただろ。俺がねじ伏せるって。だからインコースのまっすぐを中心に攻める」
インコースである必要はなくないか?バッターの状態を見れば、アウトコースの方が確実だよ。
「インコース攻めは俺の武器だ。中途半端な攻め方になるくらいなら当てた方がマシ」
なるほど、自分なりの考えあってのことね。
それが分かっただけでもタイムの価値はあった。
僕は最後に、時折変化球を混ぜることだけ伝えてキャッチャーボックスに戻った。
マスクを被ってチラリとバッターの足元を見た。今のタイムで多少落ち着いたようだが、やはりホームベースから遠ざかったままである。
インコース狙いではなく、死球回避のための立ち位置だと考えると、確かに、そこまで警戒する程のことでもなかった。
そして、2球目もインコースにストレートのサインを出し、これにはすんなりと頷いた。
本当のバッテリーになるには、まだまだ時間がかかりそうだ。
0S1B《ノートライクワンボール》から放られた2球目は、しっかりとストライクゾーンを通過してきた。バッターはそれを見逃し、これで1S1Bの並行カウントとなる。
「出ろ、先頭!」
「振らなきゃ当たんねぇぞ!」
「ナイスボール!」
「押してけ押してけ!」
「狙い球絞ってこー!」
様々な声援が聞こえてくる。
だが、彼の耳には何も届いていないようだった。おそらく、その意識はバッターにのみ向かい、敵を仕留めることで頭がいっぱいなのだろう。
軽く肩を回してからプレートに足をかけ、やや体を斜めにした前傾姿勢でこちらのサインを見る。そして、セットポジションからミット目掛けて全力で投げ込んでくる。
打てるものなら打ってみろ。
そう言わんばかりの球が、今度は先程のコースよりも真ん中に入ってきた。
甘い球だったが、バッターは空振りし、2Sと追い込んだ。ボールの下を振るということは、打席で見ると余程伸びてくるのだろう。
こちらも気を引き締めなければ、あっさりと後逸してしまう、というか顔面に当たりそうだ。マスクをしているとはいえ、当たれば痛いし、何より彼が黙ってはいまい。これが亭主関白というやつなのだろうか。
そして、次も似たようなコースだったが、これも同じように空振って三振し、アウトカウントが1つ増えた。
先頭を切れたことは大きい。緊張感は保ってはいるが、程よく力が抜けたような気がした。
しかし、三振を奪った本人は険しい顔のままで、なんというか、余裕を感じなかった。
一度タイムをかけようかと思ったのだが、今の勢いを殺すことになることを危惧し、様子を見ることにした。
そんな僕の心配を他所に、2番、3番を呆気なく切伏せ、相手の攻撃を3人で終わらせた。
「ナイスピッチ」
「やるじゃん、勝義!」
「ナイピッチです」
「相手ビビってたな!」
ピッチャーへの労いと称賛、そして、厳しい指摘。
「球数が多い。ペース配分がなってない」
声の主は、兄であり、指揮官の織田信勝先生だった。
「3者凡退」
チラリと見て、そう短く返しただけで、それ以上は何も言わず、会話も続かなかった。兄弟仲が悪いのだろうか。それとも、指揮官だからか?
いずれにせよ、接し方には困りそうだ。やはり、距離が近いと色々面倒だな。
まぁでも、確かにペース配分は気になる。3人のバッターに対して投じた球数は14球。ここからペースが落ちていくと考えると、6イニング時点で100球近く放ることになる。
だが、そのことに関しては彼は気にしていなさそうだった。打ち取れれば球数はどうでもいい、とそう言いたげだ。
自信の表れと同時に、それがひどく歪なもののように感じられた。
「瑞穂」
バッティングの準備をしていると先生に呼ばれた。僕が近づくと、他の人には聞こえない声量でこう言った。
「あいつを頼む」
たった一言だった。それは、兄としての言葉なのか、指揮官としての指示なのか、あるいはその両方か。
分かるのは、そこに確かな想いが存在しているということ。そしてそれが、僕の胸の奥をくすぐったということだ。
しかし、具体的にどうすればいいかは分からない。分からないが、ともかくこの試合に勝たなければならない。
そのためには、1点でも多く取って援護し、楽に投げさせることだ。
初回の攻防で、流れは完全にこっちに引き寄せることに成功した。今のうちにもう1、2点取れれば、相手にプレッシャーをかけられる。打ち崩すべきピッチャーが強力であればあるほど、1点が重いものになり、ビハインド、つまり負けている方はそれ以上離されてはいけないと思い始めるからだ。
点を取るためには先頭バッターが出塁することが重要である。つまりは僕だ。
まだ2回ということもあってか、相手チームの雰囲気はあまり変わっていない。ただ、初回のこちらの攻撃が積極的であっただけに、少しは慎重になるかもしれない。となれば、初球から打ちにいくよりは様子を見たほうがいいか。
予想通り、初球から変化球を投じてきた。これは低めに外れてボール。その判定を受け、ピッチャーのわずかに顔をしかめた。ストライクを取りたかったのだから当然なのだが、それをバッターに悟られてはいけない。
その表情を見て、僕は完全に見ていくことを決めた。結果は、1球もストライクが入らずフォアボール。
そこからは完全にリズムを崩し、ボールが先行、守備側にストレスが溜まる投球内容となっていった。
さらにランナーを出し、3人目にヒットを打たれてもう1点失ったところで一度タイムをかけた。この辺りから、チーム大畑の空気が変わり始めた。
ノーアウトランナー2塁の状態から、1番バッターにフォアボールを出したが、これはおそらく併殺狙いのための作戦によるものだろう。相手の思惑通り、続く2番バッターの打球は、当たりは良かったもののセカンドの正面に飛んでしまい、4-6-3の併殺打となってしまった。
後続もセンターフライに打ち取られ、攻撃は終了。
3点をリードした2回の裏、相手チームの攻撃は4番の仲島先輩。
その初球が甘く入り、センター前に運ばれてしまった。さすがに見逃してはくれない。
そこからだった。明らかに織田君の様子が変わり始めたのは。
荒々しいピッチングをするものだから、打たれたらグローブでも投げつけるのかもしれないという僕の想像とは裏腹に、彼の仕草は落ち着いていた。いや、落ち着きすぎていた。呼吸が深くなり、先程よりもゆっくりな動き。
無意識のうちに、僕は小学5年生の時の担任の先生を思い出していた。誰かが悪いことをした日の帰りの会は、驚くほど静まりかえっていた。長い沈黙の後、先生が淡々と話し始め、そして・・・爆ぜた。
なぜそんなことを思い出したのかといえば、彼の様子がそんな先生の雰囲気と酷似していたからだ。
だから、サインを出してミットを構えた僕は、全神経を集中させた。うっかりすると死ぬ。そんな気さえしていた。
ランナーを背負ってからの彼の投球は、まさに目の前の敵をなぎ倒していく戦士のようであった。
ストレートは初回以上に伸びてきており、変化球も凄まじいキレを見せていた。ほとんどが直球にも関わらず、バットに当たる気配がなかった。
結局、ランナーは1塁残塁で2回を終えた。そこからは、一転して試合状況は膠着していった。3回、4回とも得点に動きはなく、こちらに来ていた流れも完全に落ち着いたように感じられた。
しかし、異変は突如として現れた。
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