第2話 内乱の鏑矢
戦場ヶ原高校野球部がその姿を変えたのは、昨年5月のことである。
✖️✖️
ことは、2年生に上がってから初めての中間テスト前に起こった。普通科に通う多くの高校生は進級時に、いくつかの科目選択をする必要がある。我が校では2年に上がるタイミングで、理科の分野を地学と物理のどちらかに決めなければならない。
僕は地学を選択した。物理はなんだか難しそうだったからというだけの理由だった。本来であれば、どちらがより簡単なのかを選択の動機にすべきではないのだが、現状、勉学に対してはそこまでの熱意を持ち合わせてはいない。高校に入ってしまえば大概はこんなものだ。
「物理の教師がやばい」
そう言った友人の口角は上がり気味だった。どっちのやばい?聞くまでもないけど
「悪い方のやばい」
その割には楽しそうだな
「そのおかげで中間なくなったからな」
何したの?無くなるってことは警察沙汰とか?
「消えたんだってさ。机も片付けずに」
それ素直に喜べる?
「奇行が目立ってたからな。消えても納得って感じ」
聞くところによると、授業中に昔ながらのレコードを持ち出して大音量でクラシックを流したり、生徒にラリアットする(しかも職員室前で)というような行動が目立っていたらしい。なるほど、行方不明もそんな奇行の一種なわけか。
「ってわけで、中間のテスト一個消えて、その分ゲーム出来る!おまけに、物理の勉強時間もゲームに当てられじゃん?最高かよ!」
そこで一つの問題が生じた。実はその件の教師が、どうやら、昨年度でいなくなった教師の代わりに、我が野球部の顧問を引き受けていたようである。
ウチの野球部は外部のコーチが主体となっているため、顧問の存在感は非常に薄い。それが証拠に、大抵の部員は僕と同じような驚きを見せていた。
その後の詳しい経緯は分からないが、最終的にこの織田信勝なる教師が新しい顧問と…いや、監督となったのである。そう、監督。
監督はいわば実戦における指揮官である。試合のメンバー、打順を決めるのは勿論、そのために選手個々人の特徴やプレイスタイルを把握したり、チーム全体のバランスやチーム方針等、様々なことを考えなければならない。それを1人で、しかも教員の仕事をしながらというのは無理がある。
そこで、多くの学校では、卒業生や外部関係者からコーチを招く。我が校も例外ではなく、
このコーチとの契約は、僕らが入学するかなり前に結ばれたらしいが、正直好かない。他の部員も同じように思っているようで、彼の乗る白の軽自動車が駐車される度、部内のどこかから、必ずため息が聞こえてくる。
そいつがよく思われない理由は、自分が一番偉いと思っていることにある。要するに、プライドが高いのだ。だから、顧問がいなくなったことで、このコーチが監督になってしまう可能性が出てきたのだ。
ちなみに、高校野球の監督になるのに教員である必要はないらしい。そのため、甲子園に行くような強豪を始めとした一部の私立は職業監督を雇うことがある。
無論、一介の公立高校にはそこまでの金銭的余裕はないので、高校のOBだったり、学校関係者、または古くから繋がりのある人を招聘するのが一般的だ。
ただ、実際に契約を結ぶのは学校側であり、僕たちはそこに口を挟めない。もし万が一、大畑が監督になってしまったら…考えたら嫌な気分になった。幸いなことに、織田先生が監督に就任するという話になった。いや、そのはずだった。
事もあろうに、大畑が監督になると言い始めたのである。そこから、主権争いに勃発。そうして、大畑派と織田派に分かれて試合を行うことになった。
無論、勝った方がチームの実権を握る、すなわち監督となるという条件付きで。いや、校長とか理事長と話をしてくれ。
そんなこんなで、中間テストが終わり、2週間の練習期間を経て、試合当日、グラウンドでは空気が二分されていた。比較的和やかな空気と、重苦しくピンと張り詰めた空気。僕は、今までこんな空気感を味わったことはない。
ただ単に僕自身、高校に上がってから初めてのスタメンということで緊張しているだけかもしれない。
しかし、こちらのベンチに座っている3年生レギュラーの武田先輩ですら、本番さながらの緊張感をもっている。
昨年の夏の大会では、2年生ながら4番を務めた強打者で、織田派についた時は、他の3年生から驚きと不満の声が上がっていた。だが本人は、それがさも当然であるかのように平然としていた。一体何を考えているんだろう……
「何考えてんの?」
声をかけたのは、同じく3年生の
「……別に」
素っ気ない返事だが、
「そうだね。今はそんなことどうでもいいか」
と、何かを理解したようだった。そんな上杉先輩も、穏やかな表情の中に緊張を宿している。ベンチ内の空気は、この2人に拠るところが大きいのかもしれない。
キイィ……ガシャン
と、古びた金網の音がした。どうやら、誰かが裏から入ってきたようである。音を立てた主が、はぁはぁと息を切らしながらベンチに姿を現した。
「おざます」
そこに居たのは、我が軍の
「おいっす〜」
武田先輩が会釈をし、上杉先輩が軽快に返事をする。僕らより先に来ていた1年生も「おはようございます!」と挨拶した。すると、
「アップ終わってんの?」
1年生に緊張が走る。沈黙。お互いに顔を見合わせながら、状況を確認する。おそらく、そんなこと言われてないよね?ということだろう。
「何?試合に出る気がないってこと?」
若干怒っているようでもあった。はあ、と深い溜息をついて、「情けな」と呟いた。それを聞いた1年生の1人が「アップしろって言われてないので」と反応した。その彼と、織田君の目が合う。明らかにやってしまったという表情。こちらからは一年生の顔しか見えないが、その様子から、十中八九、地雷を踏んだのだろう。僕は、あ〜あと思いながら、織田君の怒号を聞いていた。
「お前ら何しに来てんの?試合なんだから言われなくても準備しろよ!」
ほぼ初対面の人間にこんなことを言われてすんなり受け入れられるはずもなく、その声は宙を漂うばかりであった。ちっ、と舌打ちを鳴らし、彼はストレッチを始めた。
「いいよ、キャッチボールとかしてて。素振りでもいいし、自分に必要なことをして」
上杉先輩が、戸惑う1年生に声をかける。
「はい!」と返事をしてすぐに動き出す者と周りの反応を確かめながら動く者とに分かれ、前者は2人、後者は残りの5人だった。内気な人が多いのかな?同じ立場だったら、おそらく僕も後者側だろう。
そんなことを考えながら、自分も防具の準備を始めた。そのうちに、他の2年生が姿を見せ始めた。
明らかに雰囲気が違うことに気付き、困惑していたので、僕が自分達でアップをするように促した。各々がアップをし始めてから程なくして、織田先生と大畑がグラウンドに姿を見せた。
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