二話

 出席番号順で自己紹介をしていく。

 その光景を少し緊張しながら見ていて、あれ? と思ってしまったのだった。



 家からそんなに遠くない県立高校に、私は進学したのだった。

 一年三組が私の新しいクラスだ。

 一クラス四十人が、全部で九クラス。そこそこに大きい学校だ。


 あの卒業式の日、私は結局告白どころか凛と話をすることさえも出来なかった。

 タイミングが掴めなかったのと、凛の周りにはいつも誰かがいて近づけなかったのだ。男友達は一緒に写真を撮っていたけれど。写真は後で送ってもらった。


 すごすごと家に帰ってインスタのアカウントを探しても見つからず、私の初恋は終わったんだなとしみじみと思ったのである。



 じゃあ高校で誰か好きになれる人を見つけて、新しい恋をして、凛のことは過ぎた思い出にしようと決心して、今日の入学式。

 クラスの男子を見て、私は失礼ながらも「凛より格好良くない」という感想を抱いたのだった。

 やっぱり私の一番はまだ凛だったらしかった。


 まだ、全然、諦められていない。

 そんな事実が私の胸に重くのしかかってきた。


 甘くて苦くて切なかったはずの恋情は、いつからか私を縛る呪いのようなものになっていたみたいだ。

 付き合いたいなんて思いはとっくに消え失せた、早く、早く諦めたいという思いだけがしこりのように残っている。

 でももう、諦めますと宣言して諦められるような生易しいものではなくなってしまった。今更すぎるのだ。


 諦める機会は、きっと沢山あった。

 あの小学校の卒業式の時だって、諦めようと思えば諦められたのだ。中学二年生でるりちゃんの心根に触れた時だって、諦めればよかったのだ。るりちゃんと凛が付き合って別れたという噂を聞いたときに、それなら私には絶対無理だと信じ込めばよかったのだ。

 そしたら、こんな醜い感情で苦しむこともなかったのに。


 そして思うのが、私は本当に凛のことが好きなのかということだった。

 一年は話していないのに、そこに好きも何もあるものだろうか。

 もしかしたら私は、自分で作り上げた幻影に恋をしているだけなんじゃないだろうか。所謂偶像崇拝だ。

 凛の偶像を脳内で作り出したことはなかっただろうか。

 自分に問い掛ける。答えは然り。

 凛の行動を勝手に解釈して、私の都合の良いように仕立て上げていたことなんて、幾らでもある。その解釈は間違っていないかもしれない。でも、それは凛という一個人を否定したということになりはしないだろうか。

 

 ああそうだ、甘くて苦くて切なかったはずの愛はいつしか執着に変わっていたのだ。


 どうにかして、早急に諦めたいと思う。





 四月二十四日の夕方だった。


 ラインの通知にスマホを開いて、クラスメイトからのメッセージに簡単に返答した後、手癖でそのままインスタを開いた。


 他人のストーリーを一通り流し見て、半ば無意識的にインスタグラム内の検索画面に移動する。

 佐々木凛で検索、ヒットなし。いつものことだ。

 rinでも検索してみる。@rin__1027というアカウントが一番上に出てきた。

 凛の誕生日って十月じゃなかったっけ? 

 とりあえずタップすると、知り合いのフォロワーが表示される。中一の時のクラスメイトの名前や小中一緒だった男子のアカウントが、そこにはあった。


 見つけた!!!


 右手の人差し指の画面の上で震わせながら、青いボタンをゆっくり押した。「フォローをする」の文字が「リクエスト済み」に変わる。高揚感と緊迫感で浅い息を吐く。


 どうか、フォロバが来ますように。



 まだシャワーの水気を含んだ髪で、スマホを手に取った。

 俗に言う依存症じみたものであることは、正直自覚している。それでも、気になってしまうのだ。フォロリク来てるといいなあ。

 いや普段はドライヤーの方が先だし。今日は事が事だからスマホ開いちゃうだけだし。一回確認したらすぐに閉じるし。


 自分に言い訳をしながら、そっとスマホの画面をつける。ロック画面に浮かび上がる幾つかの通知。ツイッターと、ラインと、それからインスタグラム。

 鼓動が早くなるのを感じながら、ロックを解除した。

 凛からの通知でありますようにと願いながら、そっとインスタを開く。


 @rin__1027があなたのフォローリクエストを承認しました

 @rin__1027をフォローしました

 @rin__1027があなたにフォローリクエストを送りました


「は」

 張りつめていた何かが溶けて、呼吸音が口から漏れ出た。

 別にインスタ繋がったからって何かある訳じゃないけれど、ただ単に嬉しい。これで、学校が違ったって凛のことを見失わずに済むのだ。


 だけど、喜ぶ私の反対からそっと呟く私がいる。

 ――そんなんじゃもっと未練が募るんじゃないの。諦めたいんじゃなかったの。


 喜んでいる私は未だ夢の最中にいるだけなんだって、分かっている。

 凛に何か特別な考えがあってフォロバした訳じゃないって、分かり切っている。


 それでも、決して叶うことのない憧れをまだ手放すことができないのだ。そんな私こそが、この恋に諦めがつかない最大の原因なのだ。

 だからやっぱり、この感情は全て執着なのだ。




 ふと、一つの単語が目についた。

 フォローしています、の横にある「メッセージ」の文字。



「『振ってください』ってメッセージを送って、凛のことが好きな人はいるんだよって凛に伝える」



 いつか語った自分の思い付きが、どうも名案のように思えてならなかった。


 でもそれって、私が勝手に抱いた感情を勝手に相手にぶつけて、更には受け止めるなとまで言う、すごく身勝手な行為なんじゃないだろうか。

 自分の感情の整理の為に初恋の相手を使うなんて道徳的にどうなんだ。凛に失礼ではないのか。


 そんなことをそっと囁くのは、凛のことを聖者のように扱っている私、もしくは単純に傷つきたくない怯弱な私だった。




 その時、ふいに思ってしまった。

 恋なんて全て、そういうものじゃなかっただろうか。


 始まりから全部私のエゴだったのに、今更無責任になっちゃいけないなんて可笑しいでしょ。

 もう十分に苦しんだ私の脳内からは、そんな結論が出た。


 だって、告白されて嬉しくない人間なんている? いないでしょ。好きって言われたら普通に嬉しいでしょ。喜ぶでしょ?

 喜ばれない程に私は凛に嫌われてる? 絶対そんなことはない、だって最後に話した中二の時は全然普通だったもん。そこから一切の関わりがないから、好きにも嫌いにもなりようがないでしょう? 

 そもそも、嫌いだったらインスタのフォロリク通さないだろうし。


 それにそれに、沢山噂話をした小六の時でさえ、私は凛が誰かを嫌いと称したところを見たことがないもの。

 そういう彼だから、好きでいたんだもの。



 時刻は二十三時七分。

 妙に落ち着いている心で、そっと文字を打ちこんだ。一周回って冷静になってきたのかもしれない。もうどうでもなれ。


「ねねね、凛で合ってるよね?」

「ちょっとお願いがあるんだけど聞いてもらえる?」


 もうどうにでもなれ。


 何もログのないDM画面に表示されるその文字にちょっとだけ寂しさを感じつつ、羞恥心がメッセージの送信を取り消す前にインスタを閉じて、そのままスマホも充電器に差し込んで画面を閉じた。


 ドライヤーしよう。それで、そのまま寝よう。





 四月二十五日の朝は、歯磨きをしながらスマホを眺めるのを辞めた。

 もしDMの返信が来てたら嫌だから。見たくないから。夢見がちな私の微かな抵抗だ。


 朝ご飯を食べて、髪の毛を整えて、リュックを背負って家を出た。最寄り駅に着いて、電車を待つ時間に今日初めてスマホを開く。

 ラインの公式アカウントからのメッセージ、友達からのリプライ、それと凛からの返信。

 どれを一番に開くかちょっと悩んで、インスタからの通知をタップした。心臓がドキドキしてきた。

 そこにはたった二言。


「いいよ、どしたん?」


 ただの返事が、耳の奥で再生された。そうだ、凛はこういう喋り方をしていた。ああ、そうだ。

 忘れかけていたものが、瞬く間に鮮明になって色が付いた。

 イメージでしかなかった脳内の凛に、実体が伴ったのだ。


 好きだなあと思ってしまった。

 正確には、純粋な好意だけで好きだった時の気持ちが蘇ってしまった。

 砕けた、軽い話し方。

 私はこの口調で話しかけられるのが大好きだったし、凛がこの口調で話しているのを聞いている時が何よりも楽しかったし、この口調の凛と会話する時が一番、先輩や先生や親と話す時よりも緊張したのだ。

 好きだなあ、大好きだったなあ。

 私、あなたの彼女になりたかったんだよ。

 でも凛はそうじゃないから、だから、私言わなきゃいけないね。諦めなくちゃいけないね。



 じわりと熱くなる目頭に力を入れる。

「今から告白するから振ってくれませんんか?」

 七時三十九分。電車がホームに入る音を聞きながらそんな文章を送った。

 恋の終わりは、きっともう近い。






「あ」

 押し間違えて、思わず声が漏れる。

「え、何?」

 隣に立った萌花が怪訝そうに聞き返した。



 中二の時同じクラスだった萌花とは、高校も一緒だった。私は三組で萌花は七組。


 仮入部期間の今日は、二人で一緒に吹奏楽部の見学に行った。

 中学も吹部だった萌花は勝手を分かり切って楽器に触れていたけど、合唱部だった私は吹奏楽の作法なんて何も分からず、ただボーっとクラリネットパートの先輩の説明を聞いていた。息を吹き込む時のイメージとか、正しい姿勢の感覚とか。


 萌花の付き添いで来ただけで、入部するつもりなんて一ミリもないのに仮入部しちゃって、ちょっと申し訳ない気持ちが生まれた。

 こんなド初心者の私にも丁寧に説明してくれた先輩にお礼を言って、今は萌花と二人、帰りの電車に揺られているのだった。



 会話のネタも尽きて、どちらからともなくスマホをいじり出した。

 そして私は、間違えて凛からのDM通知をタップしてしまうのだった。


 朝に私が送った文への返信はたった一言。

「わかりました」

 物分かり良すぎでは? とツッコミたくなって、もしかして私の気持ちに気付いてた説ある? と不安になって、そこで私は自分が既読を付けてしまったことに気付いた。


 遅れて声が出たのだった。

「あ」


 訝し気に尋ねる萌花には「ちょっと間違えちゃって」と適当に濁す。

 いやでもこれどうしよう。既読しちゃったら返信するしかないよね? 返信ってつまり、告白だよね。


 体中の血液のめぐりが急に早くなるのを感じる。

 待ってまだ告白する覚悟ない。

 でも既読無視は流石に人間としてまずい。

 あああ送らなきゃ、告白しなきゃ。


 隣の萌花に分からないようにそっと深呼吸して、告白の定型文を打った。


「ずっと前から好きでした」


 あれ、でもこれじゃあ上手に振れなくない? ただ私が気持ち伝えてるだけじゃん。私は振られたいのに。


「ずっと前から好きでした。付き合ってください」


 緊張で分泌された唾を飲みこむ。

 紙飛行機みたいな送信マークを押す。


 ずっと言えなかった感情は、案外簡単に吐き出せたのだった。



 最寄り駅の改札を抜けたら、家までダッシュしよう。

 歩いて十分ちょっとの道のりを全力で走って、ちょっと頭を空っぽにしたいのだ。

 だってそうしなきゃやってらんない。

 全部が終わったら、男友達にDMのスクショを撮って送ろう。それでカラオケに付き合ってもらう。ヤケカラオケだ。

 車窓風景を見ながら、私はそんなことを一人思うのだった。





 疲れた体を部屋のベッドに転がして休ませる。

 スマホがヴヴヴと鳴った。

 瞬時に手を伸ばす。やっぱり、凛からの新着メッセージだった。

 通知欄から見える、たった一言。


「ごめんなさい」

「…………」


 最後の夢が、砕けた音がした。

 どこかで密かに願っていた、身勝手な身勝手な夢。凛が私の思っているよりクズで、別に私のことなんて大して好きじゃないのに彼女にしてくれちゃうような、愚かで救いようのない夢。


 やっぱり凛は私が思った通り、カッコいい人だったね。

 熱くなる瞼から涙が零れ落ちないように、返信をした。


「だよね! ありがとう!!」


 自分でも分かるくらいの空元気。でもだって、これは私が望んだことだもん。自分で振ってくださいって言ったんだもん。それなのに私が泣くなんて意味が分からないじゃない。

 唇を噛んで、大声で泣き出したい衝動を必死に堪える。


 やがてメッセージに既読がついた。


「こちらこそありがとう」

「めっちゃ嬉しかった」


 送られてきたその文を見て、私のしたことは間違いではなかったのだと悟る。

 そうだよね、誰だって好きって言われたら嬉しいよね。お世辞とかじゃないよね。「めちゃめちゃ」だもんね、私、凛のこと少しでも幸せな気持ちに出来たんだね。

 そんな気持ちを込めて返信する。


「それなら本望です!」

 一分と待たずに付く既読。


 きっとこれで会話は終わりだろうなと思っていると、入力中と表示された。

 なんか嬉しい。


「いっこだけ聞いていい?」

「なんでこんな俺なんかのこと好きになったの?笑」


 連投されたメッセージ。

 ――なんだ、やっぱり凛、自分のことそんな好きじゃないんじゃん。

 私、当たってたじゃん。

 思わず笑ってしまう。

 全然勘違いじゃなかった。私ちゃんと凛のこと見てたんだ。偶像を創り出してなんかなかった。急に、心が落ち着いた。


「なんか頭が良くて面白いところ?優しいところとか?」

「結構前だから覚えてないや笑」


 まさか牛乳パックに話しかけてたから好きになりましたなんて言えないので、適当に誤魔化す。

 嘘ついた訳じゃないし。

 賢い凛とテストの点を競い合うのすごく楽しかったし。抜群のユーモアセンスでいつも笑わせてくる凛が好きだったし。男友達が風邪で休みのとき、私がぼっちになってたら話しかけてくれた優しい凛には確かに助けられたし。

 ずっと心臓に仕舞い込んでいた思い出が溢れて、そっと消えていく。


「そんな前から好きだったんか笑笑」

「ありがとうまじで嬉しい」


 ちょっと返事に迷う。

 もっと会話を続けたい。そんな純粋な煩悩塗れの欲が膨らむ前に、一番伝えておきたいことを言っておくべきだと思った。


「よかった~幸せになりたまえよ!」


 素面で言うのは流石に恥ずかしいから、ちょっとふざけてるみたいな口調で。


「もちろん!」

「幸せになりまっせ!!」


 彼の返事に、私の見る目は間違ってなかったんだなと確信した。

 凛みたいなひとを好きになれてよかったと思う。やっぱり、なんで凛がモテないのか分からないや。

 幸せになってね、私の好きだったひと。

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