一話
「君たちは今日で中学校を卒業し、四月には高校生となります」
体育館に響く校長先生の話を聞きながら、小学校の卒業式の方が楽しかったことを思い出した。
「受験勉強をしながら、高校生活を何度も夢見たことでしょう。しかし、その高校生活はもう義務ではない。君たちは、働くという選択もありながら、勉学の道に進むことを選んだのです」
皆が皆、同じ制服を着て真面目なフリをしている。本当はただ長いだけの話なんか誰も聞いていない。
こんなのなら、堂々と聞いてなかった小学生の頃の方が何倍も楽しい。隣のクラスのヒカリとユリカはそれで先生に怒られていたっけ。
ユリカは知らないけど、ヒカリは確か五組だったはず……と、二組の私は後ろの後ろの後ろに並ぶ五組に耳を澄ましてみる。
勿論だけれど、話し声なんか聞こえない。つまらないなあと思う。
でも、真面目なフリが上手くなったのは私だって同じだ。
小学校の卒業式を思い出す。
私は六年三組だった。私の学年は五クラスあったから、三組の席は丁度体育館の真ん中辺りだった。
一列六人のまとまりで並べられた椅子に座る。前日に五年生が用意してくれるパイプ椅子だ。私も五年の時に前日準備でやった。
私は身長が高かったから、一番後ろの列だった。クラスの人数の関係上で、普通は六人なのに一番後ろの列だけ四人だったのを覚えている。
左隣りに座っていたのは一樹で、その左はゆづ。それで、右隣は凛。
凛――佐々木凛は私の「すきなひと」だった。頭がよくて運動神経もよくて、ユーモアセンスもあって顔もまあいい男の子。でも不思議なことにあんまりモテてなかった。おそらく。
私は、そんな彼に恋をしていた。嘘、今もしてる。現在進行形。
初めて彼と同じクラスになったのは六年生の時だった。まあ、凛は学年の有名ポジにいたから私が一方的に名前を知っていたみたいなところはあるんだけど。
好きになったのは多分六年生の秋。詳しい日付とかは何も覚えてない。ただ、九月後半の修学旅行より後だった気がする。それで、冬の頃にはもう好きだったはず。
その時、私達の席は前後で、給食の時間に凛が何か面白いことを言ったのだった。でも私はそれが上手く聞き取れなくて、なんて言ったのか尋ねたかったけど笑ってる皆の雰囲気を崩すのが申し訳なくて、でも笑っていないと空気読めない奴みたいに思われちゃうかなと思って、作り笑いをしていたのだ。
私には、よくこういうことがあった。間が悪いのだ。更には、あんまりテレビとかを見ない家庭だったからそういう話題にも疎かった。テレビのネタで笑いをとられると、いつも笑っているフリをしていた。
もしかしたら、フリはこの時から得意だったのかもしれない。
ともあれ、その「フリ」が気付かれることは今までなかった。いやもしかしたら気付いていたのかもしれないけど、面と向かって何か言われることはなかった。
でもその時、凛は、「慰めてくれてるの?」と尋ねたのだった。
いや、私にじゃない。牛乳パックに印刷された牛のイラストにだ。意図が分からなさすぎる。
でも、私はその言葉に動揺した。結構戸惑った。
気付かれていたの? と思って。じゃあ今度こそ話の通じない空気を読めない奴だと思われてしまう? と思って。
思わず心臓が詰まってしまうかと思ったのだ。
私への言葉じゃなかったからそんなことはないんだけれど。全くなかったんだけど。
それでも、その言葉は私が勘違いするのに十分なものだった。あれもしかして私のこと見透かしてたの? って思ったし考えた。
そんなに私のこと見てたの? って。
凛に別に好きな人がいるっていうのはその時既に知っていたし、彼が三年生の時からるりちゃんのことが好きっていうのは学年の周知の事実だったけど、愚かにも小六の私は愚かな勘違いをして、愚かな恋をしてしまったのだ。
そんなことは分かっていても、日々は普通に楽しかった。るりちゃんは違うクラスだったし、凛も男子の中では話す方だったし、なんかまあ簡単に言えば私は勘違いの上に更に勘違いを重ねていたのだった。
卒業式の練習の時もそうだった。
凛も、真面目なフリをするのが上手かった。
一番後ろの列なのをいいことに、二人で色んな話をした。卒業式で歌う歌を替え歌してみたり、卒業証書授与をされている人の噂話をしてみたり。
その時が、私はすごく楽しかったのだ。もう少しで楽しいたのしい六年生は終わって、中学生になればきっと、凛や他の友達とクラスが変わってしまうって分かっていても、私は卒業式の練習を楽しみとしていたのだ。
私の友達の藍は、凛と仲が良かった。五年生の時から同じクラスだったらしい。
藍はるりちゃんとも仲が良かった。
私はいつも藍のことを羨ましいと思っていた。
あんな気兼ねなくに凛に話しかけることが出来て、あんなに仲良く会話できるのに、絶対に勘違いできないポジションにいるのはなんてズルいんだろうって思っていた。
卒業式の席では、凛と藍は離れていた。
私は、少し嬉しいなと思ったのだった。
友達としての藍は好きだったし、藍と凛が話している時なら私も凛と自然に会話ができたのだけれど、どうしても羨ましさが拭えなかったのだ。
無様な嫉妬だ。
でもだから、卒業式の練習の時は藍を介さなくても会話ができることが、すごく嬉しかった。浮かれていたのだ。
しかし私は、本来の臆病な性格が影響して、あまり自分からは話しかけられなかった。
だって、変な事言って変な雰囲気になりたくないじゃない。ただのクラスメイトと話している訳じゃないんだから。世界で一番に好かれたい相手と話している訳なんだから。
凛は私に何度も会話を振ってくれていたけれど、私から凛に話しかけることが出来たのは、なんだかんだで卒業式の本番中だった。
よく、憶えている。
卒業証書授与にかかる時間が、思っていたより長かったのだ。
ずっとじっと座っているのは苦痛だったし、皆うんざりした顔をしていた。私も、凛だって例外じゃなかった。
証書を貰うまではまだ我慢できるのだ。誰が証書を受け取ったら席を立つのかとか、証書はどっちの手から貰うんだっけとか、考えることがあるから。
貰った後が本当にすることも何もなくて退屈なのだ。
私は三組の最後から三人目だったけれど、次のクラスの四組が終わるころにはもう動きたくて動きたくて仕方なかった。
それはきっと凛も同じで、だから私は凛に言ったのだ。凛の方を向いて小声で、「もうすぐ五組なるね」って。
これはただの感想として言ったんじゃない。
当時、卒業間近の私達の間では恋バナが流行っていた。誰かが誰かを好きらしい、誰かが誰かにバレンタインチョコで告白したらしい。そんな話題が溢れかえっていた。
そして聞こえてくる、凛はまだるりちゃんのことがすきらしい、のセリフ。
誰が言ったとも分からないその言葉に傷つきながらも、話題がそれしか思いつかなかったし、からかいの意味を込めて私は「五組」のワードを出したのだった。小学生のからかいなんてこんなものだ。
憶えている。
私の言葉に凛は「やった、もうすぐで証書授与が終わる!」と喜んだのだ。
でも私は上手くはぐらかされたのが悔しくて、追及してしまったのだ。
るりちゃんのいる五組だよ、と。
そうしたら凛は黙っちゃって、心なしか顔は赤くて、そのまま会話は終了した。
そして、私は痛感した。凛は本当にるりちゃんのことが好きなのだと。どこか現実味のない文章だったものが、一気に鮮明な事実として現れたのだ。
どんなに私の横で楽しそうに替え歌を作っていても、意気揚々と誰かの噂を教えてくれていても、凛は私の事が好きなんじゃないかって勘違いしてはいけないのだと知った。
そりゃそうだ、私のことが好きだったらそんな噂はもう流行らないだろう。
凛が否定をしなければ噂はずっと流れ続ける。私は、凛がそのことについて否定をしているのを見たことがなかったし、中三の今現在でも見たことがない。
とにかく、私は自らの言葉によって、自分の恋が叶うことはないと気付かされてしまったのだ。
だって、私の知っている凛は、好きな人がいるのに他の誰かと付き合ったりするような男の子じゃないし、簡単に好きな人が変わるような男の子じゃないもの。
「君たちのこれからの人生が、幸せで満ちていることを祈り、私の話は終わりとしたいと思います」
長く続いていた校長先生の話も、ようやく終わったようだった。
私は一昨日行ったばかりの卒業式の予行練習を思い出す。朝配られた卒業式のプリントも同時に思い出す。ステージ横に貼られたプログラムは視力が悪いから見えない。
校長先生の話の次はなんだっけ。
眼鏡は教室のカバンの中に置いてきたのだった。だって、眼鏡をかけてない方が私、可愛く見える。いつ凛の視界に入るかなんて分からないからこそ、いつでも最高最強の状態でいたいじゃん?
いやまじ、眼鏡なんて誤差とか言わないでもろて。
校長先生が席に着いたと思ったら、女子生徒が一人歩いてきた。この顔は知ってる。一つ下の学年の、現役の生徒会長の子だ。
そしてそっかと思い出す。
次は在校生の言葉、所謂送辞だ。
春の風が吹いたとか日差しが心地よいだとか、当たり障りのない時候の挨拶で、彼女の送辞は始まった。声は悪くないし、演説も上手だから割と聞きやすい。多分、校長先生よりも。
普通に真面目な女のフリをしていてもいいのだけれど、自分の中の醜い部分が囁いた。
私、彼女のこと嫌いなんだよなあ。
生徒会選挙は、毎年十月に行われていた。体育祭が九月後半にあって、その前後に候補者が発表されて、十月半ばで投票、がいつもの流れだった。
体育祭前の話題はみんな、どこのクラスのリレーが強いらしいとか、何組に陸上部が固まっててズルいとか、陸部以外で走るのが早いのは何組のアイツだとか、そんな体育祭関連のものだった。
けれども、体育祭が終わった途端に話題は生徒会の選挙に染めあげられるのだった。
生徒会長候補の公約は誰某の方が魅力的だ、とか。アイツの公約は毎年言われててそのくせ実行されてないやつだから信用しない方がいい、とか。体育館にクーラー設置するって言ってるやつは貧乏公立中学校の現状が何も分かってないアホ、とか。
私たちは今年三年で、次の生徒会の運営にはあんまり関与しないから正直生徒会とか誰でも良いみたいなところはあったんだけど、誰になっても構わないからこそ盛り上がっている反面もあった。
だんだんと忍び寄る「高校受験」から目を逸らしたかったのもある。
去年の生徒会選挙は、びっくりするくらい大盛り上がりだった。生徒会長、副会長、書記、会計。全ての役職に定員より一人多く立候補していた。
その生徒会長候補のうちの一人が、彼女、亀谷祐奈だったのである。
私の中学校は、主に二つの小学校の卒業生を迎えていた。
私と同じ小学校の出身の生徒は校門を背に左側、もう一つの小学校を卒業した生徒は右側に住んでいるのが普通だった。
亀谷祐奈は、私と同じ小学校の出だったからいつも左側から登下校をしていた。私も同じく左側の道を登下校に使っていたし、私の小学校からの友達も皆そうだったし、凛もそうだった。
それは、去年の十月上旬のことだった。
友達と別れた後、私が家に向かって一人で歩いていると、前に女子が一人立ち止まっているのが見えたのだ。
中学校からちょっと離れた、十字路の角だった。
近づくにつれ、顔がはっきりと見え始める。
そこにいたのは亀谷祐奈だった。
その時は時間帯もあって車は全然通ってなかった。
どうして立ち止まっているんだろうとは思ったけれど、別に話した事がある訳じゃないし私が一方的に顔を知っているだけだったから、そのまま通りすぎた。
私が通り過ぎた少し後に、後ろから話し声が聞こえた。一つは女子の声で、あとは男子の声。
私はその時、自分の結構後ろ、話し声がギリ聞こえるくらいの距離に凛がいることを知っていた。今更関わりなんてなかったから話しかけることも何もなかったけれど、凛と友達との会話を密かに聞いていた。ストーカーとかじゃないですまじでこれは流石に偶然。
声が聞こえて、私はそっと後ろを向いてみたのだった。耳に届いた男子の声はきっと、凛のものだろうから、気になってしまったのだ。
瞬間、飛び込んできたのは「今度の生徒会選挙、私に票を入れてくれませんか?」と言っていた亀谷祐奈の姿だった。
私はそっと怒りが湧くのを、腹の奥で感じた。
それを言った相手が凛だったからとかじゃなくて、八百長じみた行為に嫌悪が募った訳でもなくて、私は彼女が人を選んだことが許せなかったのだ。
凛の前には私だって彼女の前を通り過ぎていた。ちゃんと中学の制服を着ていた。それなのに彼女は話しかけずに、パッと見イケメンな凛たちにだけ声をかけたのだ。
それがどうしても許せないから、私は彼女のことを好きになれないのだ。
もう一人の生徒会長候補の子は、前の生徒会にも会計として所属していた男の子だった。
キャリアのある彼を差し置いて、ぽっと出の亀谷祐奈が生徒会長になれてしまう世界線も許せなかった。
仮に彼女が今までの生徒会の在り方を否定して、そのために立候補したならきっと許せたと思うのだ。でも、彼女はそういうアクションを一切起こさなかった。
だからやっぱり、私は彼女が許せない。
まあ、彼女が声をかけた相手が凛じゃなかったら、私のこの気持ちはどうなっていたのか分からないけども。
タカタカタカという足音で我に返る。気付けば、亀谷祐奈は自分の席に戻るところだった。
また話を聞いていなかったけれど、まあいいかと思う。多分大して重要な話でもないんだろうし。今日で卒業するし。
送辞の後は答辞だ。これは流石に分かる。
後ろから男子生徒が一人歩いてきた。生徒会長をやってた人だ。
一度も同じクラスになったことが無くて、一年の時に軽く話したくらいしか接点がないのに、私のインスタをフォローしてきた人だ。
私は同じクラスの人でもフォローするのに勇気が必要になっちゃうから、彼の積極性を密かに尊敬していたのだった。そもそも生徒会長なる辺り行動力やばい。
元生徒会長はおもむろに白い封筒を取り出した。
中の手紙を取り出して、音読し始める。
「桜が満開だったあの四月から、三年が経とうとしています」
「少し大きい制服に身を包み、ここ体育館で僕らは初めて出会いました。小学校とは大きく違う中学校の雰囲気に戸惑いと期待を覚えました」
ああ、と溜息が漏れそうになる。
懐かしいなと思ってしまった。
校門前で配られていたクラス表を見た時のあの感情を、思い出しそうになってしまったのだ。
私の名前は一年四組の欄にあって、六年の時一番仲良くて登下校も一緒にしてた七穂は一年五組で、一番仲の良い友達の菜月は中学受験しちゃってて、ちょっと悲しくなりながら同じクラスの人を確認したら、「佐々木凛」の四文字を見つけた感慨が蘇りそうになってしまったのだ。あれはほんとにうれしかった。六年三組から一年四組になった人は私と凛しかいなかったから、これは流石に話しかけても大丈夫だろって思ったのだ。ほんとにほんとに嬉しかった。
あと、気の合う男友達とも同じクラスだったから、それもすごく嬉しかった。
「少し、僕たちの中学校生活を思い返してみようと思います」
彼の答辞は続く。
「一年生の六月に、林間学校がありました。長野県での二泊三日、きっと、入学当初は分からなかったクラスメイトの一面を見ることが出来た機会だったと思います」
本当に懐かしいしか言葉が出てこない。懐かしいなあ。
この頃はまだ女子のグループとかできてなくて、仲の良い女の子がいなかった私はバスの座席でぼっちになったんだった、苦い思い出だ。
今なら例の男友達にも、普通にペア組もうとか言えるけど、中一の時はまだ気恥ずかしかったのと変な噂立てられても嫌だなってので言えなかったんだよな。まあ勇気が出たとしても、その友達、既に凛とバス席隣になってたしな。ずる。
でもその男友達のお陰で、林間学校中は凛と結構会話できたからまじ感謝しかない。存在ほんとに有難かった。流石にサシで話すのは緊張しちゃうからね。
「秋の体育祭と合唱祭では、協力することの大切さを学びました。体育祭で見た、自分たちを引っ張っていってくれる先輩方の姿は、やがて目指すものへと変わっていきました。また、合唱祭で感じたクラスが一つになる感覚は、とても忘れがたいものとなったはずです」
彼の口に出す思い出が、一つずつ胸に染みこんでいく。どれも全部、懐かしい。この頃には私にもちゃんと友達が出来てたっけ。
体育祭での凛はすごくカッコよかった。運動神経良いから普通に活躍してたし。運動神経の無い私は、友達にバレないようにこっそりガン見してたんだよな。
合唱祭は正直あんまり好きじゃなかったし今でも好きじゃないし、進学先も合唱イベントのないところにした。
多分凛も合唱祭ガチ勢ではなかったから、親近感が湧いた覚えある。
だからきっと、彼も真面目ではないんだろうなと思う。
頭が良くて先生からの評価も高いけど、ふざけてる時とか手を抜いている時の方が楽そうだったから。きっとそっちが本当なんだろうなって思うから。
…………いや、ううん。きっと私がそう思いたいだけだね。
「二年生になって、僕たちには後輩が出来ました」
元生徒会長の声は体育館によく響く。皆静かに聞いているのだ。
それもそうか。今年になって赴任してきた校長先生の話より、大して関わりのない後輩女子の話より、同じ時間を過ごした同級生の話の方が耳を傾けたいと思うものだろうから。
目を瞑ると、元生徒会長の言葉に導かれて、一年前の春がありありと思い出せた。
凛とクラスが離れた。男友達とも違うクラスになった。中一の時に友達になった瑠奈は凛と同じクラスだった。七穂ともまた違うクラスだったけど、相変わらず登下校は一緒だった。
同じクラスだったのは、小学五年生の時クラスメイトだった萌花と、るりちゃん。
中二の頃にも、まだ凛はるりちゃんが好きだという噂があった。
それ故、クラス名簿を見た時は一人で勝手に気まずくなったのだった。
今更どんな顔して接したらいいんだろうって結構悩んだ。
私とるりちゃんがそれまで同じクラスになったのは小学二年生の時だけで、以来関わりはほぼゼロ。家が近かったから、たまに道で会った時に手を振る程度だ。
好きな人の好きな人とどう接すればいいの?
って思ったけれど、そんな私の思いは露知らず、るりちゃんは顔をふにゃって笑顔にしていつも話しかけてくれた。
そして私は、るりちゃんを好きになる凛の心情を理解してしまったのである。凛の見る目は良いんだなと半ば諦めた脳で思った。
るりちゃんは表裏のない、ただただ優しい子なのだ。
ならもういっそ、早く付き合って諦めさせてほしいと本気で思った。るりちゃんも凛のこと好きになればいいのに。そしたら私、泣いて泣いて心の底から祝福するのに。
私は自分とるりちゃんとの乖離に気付いたのだった。凛の恋愛対象にはなれないことに確信を得てしまったのだ。
いっそのこと、るりちゃんが顔が可愛いだけの女の子だったらよかったのにと思う。もしそうだったなら思いっきり憎んで思いっきり嫉妬したのに、るりちゃんは私の何倍も性格が良くて何倍も可愛いんだもの。
運動音痴な私とは違ってるりちゃんは陸上部だし、きっとそういう面でもバスケ部の凛と話が合ったんだろう。
でも中学二年生、そんなに悪いものではなかった。凛と委員会一緒だったし。
私は一年生の頃から、例の男友達と一緒に図書委員会に入っていたのだ。図書室の管理を仕事とする委員会だ。
そして私たちは、クラスが違うから接点が欲しくて、二年生になっても共に図書委員会に入った。
何事もなく終わった前期の委員会。私も男友達も継続して、そして後期の最初の図書委員会の集まりで、私はそこに凛の姿を見るのだった。
正直、夢かと思った。
私は一年生の頃から委員会の仕事を熱心にしていた方だった。
そして、それは凛も知っていたはずだった。席が近い時に図書室の話をしたことがあるし、私が図書室で借りた本を興味深げに眺める凛だってそこにはいた。
じゃあ凛は図書委員会を選ぶ時に、私が委員会のメンバーにいるかもしれないと思ったのではないだろうか。私がいることは問題ないと思ったうえで、委員となったのではないだろうか。
それはつまり、私が凛に嫌われていないという証明になりはしないだろうか。
好きになってもらわなくてもいい。ただ、嫌われたくない。
愛されたいという恋情は、いつしかそんな臆病なものに変わっていた。
凛にとって、私のこの気持ちはどういったものなんだろうかと、考えることがよくあった。
気持ち悪いものだろうか。気まずいものだろうか。
それとも、嬉しいと思ってくれるだろうか。
その問いを考える時、私の心の中は希望より不安でいっぱいになった。ウザがられたらやだな、嫌われたらやだな。
凛に嫌われないようにしようと思っていたし、自分の恋慕が伝わらないようにしなきゃと思っていた。
大して会話するような関係でもないけれど、凛がきっと私に対して思っている「元クラスメイト」という認識を壊したくなかったのだ。
そして、何より私が嫌だったのだ。
単純な私のプライドの問題だった。私から好きになったことが、どうしようもなく恥ずかしかったのだ。
しかも、絶対に叶わないようなみじめな恋愛をしていることなんて、絶対に知られたくなかったのだ。
私は凛のことが好きなのだと人に言ったことがほぼなかった。中学二年生の当時で、そのことを知っていたのは七穂だけだったと思う。
そんな自尊心強めな私が凛にアプローチすることなど、到底あり得ない話だった。
話しかけるのでさえ緊張したのだから、委員会での会話なんて事務的なものばっかりだったし、凛も私より件の男友達によく話しかけていた。
でも私は、それでも委員会の日をすごく待ち遠しく思っていたのだった。
時が経って今思うのは、周りの目なんか気にせずもっと会話をしておけば良かったということだった。
その頃の私には、十二月の委員会の日から今日に至るまで、一切の会話が存在しなかったなんてことを知る由も術もなかったのだけれど。
「修学旅行で、僕らは京都と奈良へ行きました。古都の雰囲気を堪能し、仲間と過ごした三日間は何にも代えがたい経験となりました」
再び、元生徒会長の声が耳に届いた。
私がボーっとしている間に、話題は中三に移り変わっていたようだった。
修学旅行は、確かに楽しかった。
中三で私はまた男友達と同じクラスになって、今度こそぼっちになりたくなかった私は、彼を誘って一緒に神社や寺を巡ったのだった。
「付き合ってるの?」とか言われても否定すればいいやと思っていたし、他人の目を気にした結果私がぼっちになるなんて馬鹿らしいなと思ったのだ。
どうして他人の行動によって私の行動が制限されなくちゃいけない?
そんな感情が生まれたのは、私の臆病さ加減が弱まったからかもしれないし、単純に傲慢になっただけかもしれなかった。
でも、好意を素直に伝えられるようになったのは、少なくとも進歩であると思っている。
清水寺近くのレストランで、オムライスを食べながら私は遂に言ったのだった。「ずっと言ってなかったんだけど、っていうか言う機会が分かんなかったんだけど、実は凛のことが好きなんだ」男友達はトンカツを口に運びながら、そうなんじゃないかと思ってた、と笑った。
どうやら、昔学年のイケメンについて話していた時に私がやけに凛を推すからバレていたらしいのだ。恥ずかしい。
そして男友達は、その雰囲気のまま隣のクラスの女子のことが好きなのだと言った。私は、前に学年の美少女について話した時、男友達がやけに彼女の名前を出していたことを思い出した。
そこからの修学旅行が、一番楽しかった。
足を運んだ先々で、観光は勿論、それぞれの好きな人を探すのにも全力を尽くした。
「あそこ凛の仲良い人がいるよ、ワンチャン凛もいるんじゃない?」
「三組の人見かけたから、探せばお前の好きな人も見つかりそう」
ストーカーみたいだし、せっかく京都まで来たのにこんなのでいいのかって思うけど、それでも私たちは確かに楽しんでいた。
きっとお互い、隠し事の罪悪感から解放されたことが嬉しかったのだ。
修学旅行の後は、もうほとんど受験の色が濃くなっていた。塾の模試の結果がどうだとか、ちょっと遠い私立高校の文化祭に行ってきただとか、サッカー部の部長は推薦を取って県外の高校に行くつもりらしいとか。
かく言う私も、土曜日の部活を休んで高校の文化祭を見に行ったりした。
少しずつ少しずつ、ピリピリした雰囲気が蔓延していく中、私は一つの噂を耳にしたのである。
「凛、るりちゃんと付き合って別れたんだって」
ある日の放課後、男友達がクラスの男子から聞いたんだけど、と切り出したのだ。
複雑な気持ちがした。
るりちゃんと凛が付き合えば全てが上手くいくと思っていたのだ。凛はきっとそれで幸せなんだろうし、私だってるりちゃんなら潔く諦められる。
きっとこれが、付き合ったんだってという噂ならきれいさっぱり諦められたはずだ。るりちゃん相手だったら勝ち目がない。
でも、現実はそうじゃないから、私は諦めることができなかった。
るりちゃんでダメなら、もう誰だってダメじゃない。それなら皆一緒なんだから、私にだって希望はあるじゃん。
よく分からない理論を導きだして、希望があることを見出そうとした。
そしてその一方で、事実を冷静に受け止めようようとする私もいた。
中三になってから彼らが付き合いだしたのだとすると、私が最後に凛と話した中二の十二月はまだ、凛がるりちゃんのことを好きだったってことになるのではないだろうか。
じゃあ私と会話したのなんて、凛は全然覚えてない可能性の方が高くない? ていうか全然大した会話じゃないから忘れてるの一択じゃない?
考えれば考えるほど、深みに落ちていった。
それでも私は、凛の事が好きだった。
とりあえず、彼の視界に沢山映ろうと思った。沢山会話した中一や小六の日々を思い出してほしかったのだ。
彼氏になって欲しいし、彼女にして欲しい。
あの楽しかった日々を思い出してくれたら、私のことを少しでもいいなって思ってくれるんじゃないかなって、淡い願いを抱いたのだ。
そうやって夢を見る私の横に、もう一人私がいた。その私は言うのだ。彼女になんてなれっこない、私の初恋はずうっとみじめなままなのだ、と。
叶う訳がないと言い聞かせることで、いつか本当に叶わなかった時の予防線を張っている節もあった。やっぱり、心根は臆病なままだった。
いつだったか、私のこの気持ちが凛の励ましになればいいのにと思ったことがある。
「誰だって、好きって言われたら嬉しいじゃん。だから、なんかラインとかインスタとかで繋がって、DMで『告白するから振ってください』みたいなことを言ったらいいんじゃないかな」
そんな思い付きを、男友達に話したことがある。そしたら私は諦められるし、凛も自信がついて一石二鳥じゃん、って。
男友達は困ったように笑っていた。
でも私は、ただ凛に「自分は誰からも好かれないような人間なのだ」とは絶対に思って欲しくなかっただけなのだ。
凛はきっと私と似ているからすぐにそういう思考に陥りそうだし、あんまり悩みとかを他人に相談しないタイプだと思うから。
そう、気付いたことがあるのだ。私と凛は、きっと似ている。
それぞれ長女と長男で、妹がいて、頭がそんなに悪くないからきっと親から期待されている。ポテンシャルがそれなりにあって、割と頑張らなくても色々こなせた。だから、頑張ることを、心のどこかでダサいって思っているはずなのだ。努力する姿は決して他人に見せたくない、と。それ故に、頑張らなきゃいけなくなった時はふざけた態度をとって、本気ではないっていうアピールをするのだ。
よく、似ているのだ。
でも決定的に違うのが、私は自分と似ている凛を好きになったけれど、凛は自身と全然違うるりちゃんと好きになったということだ。
もしかしたら私が好きなのは私だったのかもしれないと思ってしまって、怖くなって考えるのをやめた。
「この中学校で過ごした年月を、僕らは決して忘れません。この三年間の日々は、いつまでも僕たちのことを励ましてくれることでしょう」
元生徒会長による答辞は、締めの言葉に入っている。
もう少しで卒業式は終わってしまって、私は中学生を卒業するのだなという事実を、ふいに実感した。
これでもう、皆離れ離れになるのだ。そりゃ進学先が同じ人はいるし、駅が途中まで一緒の子なんて沢山いるけれど、きっと簡単に会う事も出来なくなるはずだ。
通学路ですれ違って会話してそのまま一緒に下校とか、そんなことはもう夢のまた夢になってしまう。
寂しいと思った。
そんなに学校が大好きだった訳でもないけれど、当たり前だったことがなくなるのは悲しい。なにかどこか喪失感がある。
もう、校内で凛を見つけることなんてできないのだ。すれ違った時の胸の高鳴りを感じることはもうないのだ。
そう気付いたら、普通に泣きそうになった。私が思っている以上に、私の中の凛への恋慕は大きいものになっている。
昨日、思ったことがあった。
今日が最後かもしれないから、それなら告白した方がいいんじゃないかなって思ったのだ。
男友達は、既に好きだった人に告白して振られていた。彼を見習って、潔く諦めにいった方がいいのではないだろうか。
卒業式が終わったら、校庭で皆で写真を撮って、流れ解散だ。
その時間に凛と話すことができなかったら、ラインもインスタも知らない私は本当にお別れになってしまうのだ。
怖いけど、すごく怖いけど、機会があったらいいなと思ってしまう。
だって、これで最後なんて嫌すぎる。
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