第5話 ひふみ神示の記号 覚醒と呼吸の話

 ひふみの中で様々記号が出てきます。

 ○、・、渦巻き、縦棒。

 または米印、〇に棒が付いた形です。


 それぞれの示すものは、これまでの考察を読んで来られらた方は、推察出来るものではないでしょうか。


 丸は、箱庭であり、鏡であり、壺です。

 点は、果実、珠、まが玉です。

 棒は、人であり十字架。

 渦巻きとは、蛇。

 米印は六芒星


 過去、人々は、様々に覚醒を比喩し、それを伝えてきました。

 人の覚醒とは、次元の上昇であります。

 世界の真実は、イデアです。松果体の覚醒とはそれを認識し知覚するものであります。


 覚醒に一つでも欠けてはいけません。

 ○だけでは、入れ物だけであり、・は果実だけです。それでは覚醒に至りません。○に・が入り、更にエネルギーの螺旋の上昇が必要なのです。


 覚醒には、ある程度の訓練が必要となるでしょう。

 それが、礼拝です。

 ですが、多くの方は、覚醒に至ることはできません。偶像の意味を知らないからです。

 さらに、意味を理解しても、実践は非常に困難です。

 なぜなら、礼拝者に、足りないものは、他にあるからです。

 それを理解していなくとも、厳しい修行の果てにその境地に至ることはできるかもしれません。しかし、多くの場合、その意味を理解し、実践しなくては、覚醒に至らないのです。

 その足りないものとは、


 呼吸です。

 覚醒には、呼吸が重要となります。


 呼吸を極め、天へと繋がることを実践することは、非常に困難なものです、ですが、それを実践し、その方法論を確立した教えがあります。


 ヨガです。

 ヨガの発生は、ヒンドゥーで、インドゥーとも言います、それらはインダス流域に住む人々の意味で、そこから発生しました。

 それは「牛馬にくびきをつけて車につなぐ」という意味の言葉から派生した名詞で、「結びつける」という意味です。

 つまり、牛馬を御するように心身を制御するということを示唆しており、「軛(くびき)」を意味する英語のヨークと同じであります。

 バラモン階級を中心に伝承された祭式や呪術を中心とした信仰であり、アーリア人が祭祀を行うことで目指したのは労働と休息、所有であります。

 ヨーガが発展し、心を三昧に結び付けるという「結合」「合一」を意味を成し。

 体や心、魂をつなげる呼吸法と共に、心を安定させ精神を研ぎ澄ますことで自分自身を超越した境地に至ることが目標となります。


 境地とはブラフマンであり、ブラフマンとは、全ての根源、原因です。

 そして、宇宙なのです。

 そのブラフマンと、自我であり魂のような存在であるアートマンを結びつけることで、その奥義に近づけるのです。


 すべての根源とは、宇宙そのもであり、たしかに、根源は神です。

 アートマンとは、元々「呼吸」の意味であり、生命、身体、自我、自我の本質、全ての根源に内在して個体を支配し統一する独立の永遠的な主体などを意味します。

 このことからアートマンとは、「我」であり、個人とも理解できます。


 無我へと近づける瞑想は元々「呼吸」であったが、そこが転じて、生命、自己、身体、自我、自我の本質、物一般の本質自性、全てのものの根源に内在して個体を支配し統一する独立の永遠的な主体などを意味しています。


 また、ヨガでは、人間の中心に一本の背骨、スシュムナー管があり、左右にビンガラ管とイダー管と呼ばれるプラーナの通り道の存在が、理解させています。

 スシュムナー管の上にチャクラが存在し、左右にビンガラ管とイダー管が存在しています。そして、プラーナは、下から上へと、左右交互に行き来しながら流れていくのです。

 また、スシュムナー管のその根元にある物がクンダリニーです。

 これにおいて、全身へ、プラーナを巡らせる呼吸法は、その重要な要素となっているのです。


 チャクラと上下と左右交互に移動する様は、まさに、以前説明しましたクリフォトの樹そのものであります。


 神や世界との繋がりは、接合、仲介者と解釈できるものであり、六芒星を思わせます、そしてまた、その目標は、クリフォトの樹の終着である神との繋がりである覚醒と一致します。

 また、アートマンの考えはイデアと一致し、イデアの知覚は、覚醒であり、神の世界のそれです。


 そして、ヨガとは、瞑想と呼吸であり、瞑想もまた呼吸。アートマンもまた呼吸です。

 瞑想の終着は神とのつながりであり、神もまた呼吸であると理解できるのです。

 神と息は、密接な関係があり、神を取り込むことは、息を吸うことでその繋がりをもつのです。


 神社参拝時の拍と礼は、呼吸とそのリズムであり。

 そして、阿吽の呼吸というように、阿吽は最初から最後であり、すべての根源であり、世界の理を現します。これも、呼吸です。

 寺院、神社、神の御前にあり、口元を塞ぐことは神に対して失礼なことでもあることからしても、呼吸の重要さが分かります。

 「呼吸」を言い換えると「息」です。その字は、自我の心という文字を構成し、これは、まさに精神や、自らの内側にあるものを指しているのです。


 神への祈りは、神との繋がりであり、神の呼吸法の実践。

 実践は、神へ至る道なのです。


 英語圏においても、例えば、くしゃみなどをした時に、その相手に、god bless youと言うことがあります。

 幸運がありますようにと、相手を気遣う表現であり、直訳すれば、これは神の息が貴方へとなります。

 くしゃみは、一定のリズムを刻んでいた呼吸、そのリズムの乱れた部分であり、息との繋がりがわかります。



 神の息。

 それは、神の呼吸法であり、覚醒です。

 阿吽あうんとは、ひらがなにおける「あ」から「ん」の意であり、五十音の最初の文字と最後の文字であり、「あ」から「ん」までのすべての発声音を表します。

 サンスクリット語においても初めから終わりの「ア」から「ン」でもあります。またそれが、起源ともいわれ、同じものであることが分かります。

 発声とは、吐く息であり、それはつまり、呼吸であり、プラーナの巡りです。

 キリスト教会にも同じものがあり、AΩと書かれた祭壇や、柱などを目にすることができます。

 ギリシャ語のアルファからオームを表す文字であり、ギリシャ語の最初の文字と、最後の文字です、その読みは、アオンと読むことが出来、まさに「ア」から「ン」。ギリシャ語の最初から最後までの息、呼吸です。

 これらのことから、呼吸は、神との繋がりであることがよくわかります。


 「あ」から「ん」の文字で表されるの呼吸の言葉は、言霊であり、息です。

 それら、ひらがなの言霊の羅列を示したものにフトマニがあり、カタカムナがあります。

 それらは、「渦巻き」で表され、その流れはまさにプラーナの巡りなのです。


 神の呼吸法を実践するヨガ、そのスシュムナー管の根元にあるクンダリニーとは、サンスクリットで「螺旋を有するもの」を意味するクンダリヌです。クンダリヌ は、「螺旋」「コイル」「巻き毛」「環」などを意味する クンダラから派生した言葉です。


 これはまさに、ヨガが螺旋のエネルギーの存在を意味するものであるのです。


 ひふみ神示において、

 記号で表される渦巻きとは、フトマニ。クリフォトの樹の蛇と対応し、内側の流れを現すのです。そして、渦巻きを通る縦棒の図と縦棒の図は、スシュムナー管だったのです。


 すべてのものは、イデアを有しており、八百万の神です。

 五六七の世は、イデアの顕在する世界であります。

 プラトンの説明する。イデアがエイドスに閉じ込められた物であるならば、物質世界もまた、イデアが閉じ込められているのではないかと、推測できます。

 世界が五六七へ向かうならば、世界もまた次元の上昇を果たすものであり、物質と、世そのものの覚醒があることになるのです。

 つまり、物質も世もまた、このエネルギーの上昇の適応ができると考えられるのです。

 それが、666の示す、地獄の門であり、異界との繋がりであるともとれるのです。

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