生まれた日
「ねえ、買い物行こうよ」
治さんから珍しいお誘い。何着ようかな。箪笥を上から開けて。あった。一回も着てない少しくすんだ赤のワンピース。
首輪みたいに高襟になって、胸元から肩への黒いレヱス。襟元を肩まで落として、袖はふんわり。胸下のベルトで少しは細く見えるかしら。そこから広がる裾は、左側がレヱスの切り替え。膝下まで長めの丈だから品良く纏まってる。
「あとは……」
アイシャドウはキラキラした紅色を。星屑は私と彼の思い出。香水はお気に入りの椿。
治さんは支度出来たかな。「治さ……ん……」
何?と振り返った姿に息が止まりそう。赤の襟衣に、黒のネクタイ。燕尾服の様な上下は私のに似たくすんだ赤と緑のストライプ。
「何泣いて居るの?派手すぎたかなあ」
「格好、良すぎ、て……なんか、涙出てきた……」
「卯羅もとても可愛らしい。色気と愛らしさを併せ持っている」
抱き締めてくれただけで泣き止んで。自分でも単純だなって思う。
スッと出してくれた腕に手を添えて、光輝く街を歩く。「恥ずかしいのかい?もっと寄りなよ」少し離れてたら笑って、手を引かれる。
「却説、何を見る?」
「考えてたんじゃないの?」
「君の装飾品を見て、君の肌を健やかに保つ物を探して、後は、君を彩る素敵な何かを探そうかなぁって」
「私のばかりじゃない。治さんのも探しましょ?」
これからも素敵な治さんをずっと見ていたい。だから、素敵な貴方に似合う贈り物を。
「昔は君に連れられて歩くばかりだったのに」
「そうよ、治さんったら白黒でばかり居るのだもの」
少しずつ色を重ねて。今はこんなに鮮やかに。
「このワンピース……」
「卯羅は本当にそれが好きだねぇ」
「だって楽なのよ?一枚すとんっ!それで凡て決まるの」
「たまには少し変わったのも見たいのだけど」
「例えば?」
「あれなんてどう?」
指さしたのは、治さんが普段着ている襟衣に似た、でも袖口に可愛いリボンが付いている。「あれにふんわりとしたスカートなんて、可愛いだろうね」
言葉に誘われて、お店に入って、試着して。
「どう?」
「矢張、私の見立ては正しいね。最高だよ」
くるり一回転。スカートが広がるのが楽しい。
「大きさも丁度善さそうだ。私と揃い、どう?」
「治さんとお揃い……」
今までやったことなかった。お揃いのお洋服でお出かけなんて。前職のあれは結局仕事着だし。「これ、欲しい。絶対これ着て治さんとお出かけする!」
「解った」
紙袋を店員さんから受け取ろうとしたら、治さんに取り上げられた。
「今日は私が君の荷物係」
ウィンクする男性ってこの世に存在するんだぁ……しかもそれが、怖いぐらいに似合うの。
「この先に、君が贔屓にしている肌化粧品の店があった」
「寄っても善い?」
「無論」
花の香りが広がる店内。男性の姿は治さんだけ。さっきのお店は恋人連れとか居たのに。
「直ぐ済ませてくるからね、待ってて」
「私は君の下着を選びに行く男だよ?」
そういえばそうですね……貴方はそういう男でした。
「この椿の香り、本当に君に合っているよ。奥ゆかしくて、艶っぽくて。ただそれだけではなく、君の背景まで察せられるような……」
「そこまで?そこまで滲み出る?」
「私にしか解らない」
選んでおいで、と髪を撫でられる。香水の香りを考察する彼のどこか憂いた顔。この香りはやめた方が善いのかな。ずっと使っている匂いだけど。治さんの辛い顔は見たくない。
金木犀も甘くて好き。桜と薔薇もある。芍薬の香りも素敵。
お花は好き。前はあまり好きでは無かったけど、治さんが好きって云ってくれて、求めてくれたから。昔よりも綺麗に咲かせられるようになった。
「妻がね、ここの香水を愛用していてね。あ、この香りだ。彼女の魅力をより引き出してくれる香り」
店員さんと話す治さん。何故かそれだけなのに、胸がきゅっと。傍に寄って、腕をぎゅっと掴む。
「やあ卯羅。この保湿剤、君の好きな香りだよ」
「治さんが塗ってくれる?」
なんでこうも切羽詰まると、はしたないお願いしか出来ないんだろう。
「たっぷりと塗ってあげるよ」
保湿剤と、香水、口紅。贈呈用に包んでくれた。
「卯羅はお強請り上手だなあ。つい買ってあげてしまう」
「でもね、そうやってお願いするの、あんまり、苦手で……」
「愛らしくて善いと思うけど?私、卯羅の我儘聞くの大好き」
「そんなこと云うと、もっと云うよ?」
「善いよ?凡て叶えてあげる」
繋いだ手に、口付け。唇が離れるまで、眼が離せない。美人だな、格好好いな、素敵だなって、何度も何度も。
「嗚呼、こんな可愛い女性を見惚れさせる私はなんて罪深い」
「本当。何度だって惚れ直しちゃう」
大袈裟に嘆く治さん。そう自覚のあるところも狡い。
「そろそろお腹空かない?」
「お買い物夢中で、あんまり考えてなかった……」
「そういうところも愛らしい」
予約してあるんだ、と手を引かれ、お店へ向かう。何だろう。和食かな、中華かな、洋食……仏蘭西料理、とか?何だろうな、治さんと食べれるなら、なんでも美味しいけど。
「なかなか新しい処って行かないだろう?だから、依頼人に訊いたんだ」
「なんて?」
「可愛い嫁の誕生日祝いに相応しい店はないかって」
「あー……」
依頼人と話しているところへお茶を出そうとすると、待って、と手で合図された。
葡萄酒の美味しいお店だった。治さんが葡萄酒なんて珍しいなって。
「君の生まれ年のがあると聞いてね。流石に二十も超えると古酒に部類されるらしい。成熟した旨味、というわけだ」
目の前の葡萄酒杯に注がれる透明な琥珀がかった葡萄酒。香ばしくも上品な香り。
「仏蘭西産の葡萄酒でございます。焼き林檎や桃の果実味と、種実のような芳ばしさを伴いながら、花の香りも漂うのが特徴です。上品な甘さが広がり、酸の余韻がすっきりと仕上げます」
ありがとう、と治さんが云うと、葡萄酒給仕人は一礼して下がった。箸付けの生薫豚と乾酪。葡萄酒の風味を引き立てる。
「卯羅、あの日、凡てを手放さないでくれてありがとう」
「私は何も手放してないよ?母様も、姉さんも、森先生も、まだ私の家族だし、何より治さんがこうやって、目の前に居るもの」
「そうか……そうだね。却説、乾杯しようか」
「何に?」
「私の可愛い世話人──」ふっと柔らかく微笑んだ。細められた眼が僅かに滲む。「私の愛しいお嫁さん、卯羅が生まれた日に」
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