夢見
「織田作!」
手を包むぬるりとした感触。不気味な温かさ。
何度も見た夢。消えない悪夢。
居ない友の亡骸を抱き締める。もう一度だけ顔を見ようと、身体を離す。
「───!」
その顔は、愛しい人。
濃紺の髪に、流れるような睫毛。女性特有の厚く薄紅の下唇。
「卯羅……?卯羅!」
夢だ。此れは夢だから。現実ではない。どうやれば醒める?腕の中の体温は徐々に喪われる。零れるように投げ出された左手を手に取る。煌めきを喪わない指輪。喪いたくないから、喪う理由を無くしたいから、此れを送ったのに。だのに、どうして。
彼女が好きな御伽噺。其れに倣って口付ける。夢ならば、此れで凡て終わる筈だ。彼女は目覚め、瑠璃の眼で私を捉える筈だ。
触れた唇は冷たかった。
「どうして?どうして私ばかり!」
何故私の欲した者は凡て取り上げられる?私が何をしたと云うのだ。ただ、ただ気の置けない友人と、愛した女性と、共に居たかっただけだ。
抱き締める身体は氷の様に冷たい。それなのにまだ髪ははらはらと顔に掛かる。それを掻き上げて、顔をまじまじと眺める。変わらず愛しい顔。
「ただ、愛しただけなのにな……」
私は携えていた拳銃を自らの頭に突き付けた。
「はっ………ぁあ!」
「ゆっくり呼吸して……吸って……吐いて……大丈夫だよ、私は居るから……」
夢か……いや、そうだ。あれは夢だ。私を抱く身体に手を回す。肌が直に触れ合い、呼吸をする度に、彼女の匂いが心を落ち着かせる。
「一回起きて」
支えられながら身を起こす。パチッと明かりを付けられる。眩しくて目が若干眩んだ。掌を確認する。少し血の気が引いた手に包帯。血色は悪いがいつも通りだ。卯羅が陶器杯に白湯を淹れてきてくれた。それを少しずつ口に含む。寒くないようにと、半纏を肩に掛けてくれた。
「凄く魘されてたよ」
「うん……まあ、だろうね」
時折あの出来事が夢に出てくる。今回のは尚更質が悪い。後半のは初めてだ。何時もなら、事実通りに彼が脱出口を示してくれる。
卯羅は、ただただ私の背を撫でる。手に伝わる陶器杯の温度が熱い。また寝たら同じ夢を見てしまう気がしてならない。正直、怖い。
「今日はこのまま起きてようか」
「え?」
思いがけない提案だった。彼女は私なんかよりも疲れている筈。日中は家事に仕事。夜は──つい先程まで私の欲を充たすための相手。起きたらまた同じ繰り返し。
「だって、寝付けないでしょ?無理に寝ようとすると治さん、決まって怖い夢見るんだもの」
私の癖を見抜いている。その通りだ。基本的に眠りが浅い私は、一度深い眠りに落ちると今回のような縁起でもない夢を見る。子供みたいな話だが。
「うとうとするだけでも善いの。お薬はあまり使って欲しくない」
「なんで?」
「何仕出かすか解らないんだもの。私に寄り掛かりたかったら、寄り掛かって善いよ」
布団をずらして、壁に付ける。ついでに寝間着を着て。
「ねえ、なんか、お泊まりみたい」
「お泊まり?」
「だって、恋人ってこうやってお泊まりして、夜が明けるまでお喋りして、ってするんだって。ナオミちゃんから聞いたの」
「へえ。若いうちの特権だろうね」
「何を云ってるの。私たち、まだ二十二だよ?」
まだ二十二。確かにそうか。私の分と自分の分、二つの温かい焙じ茶。それと菓子を少し。盆に載せて、床に置く。
「治さんのとこ入る」
私の掛け布団に入ってくる。肩と腕、頭と肩、それぞれが触れる。この感覚が、好きだ。
「卯羅お茶取って」
「はい」
湯呑みを持たない手で、妻の手を握る。何も云わないで、私に寄り掛かる。
「好き」
「急にどうしたんだい?」
「いつまでもこうしていたいなって」
「何故?」
「だって、今までこんなに二人でのんびりするなんて事、無かったじゃない?切欠はあれだけど、こうやって治さんと二人でのんびり、穏やかにしてられるのが幸せなの」
私を見上げながら、今が幸せと笑う。寄り掛かる頭を撫でる。
「卯羅」
「んー?」
「居なくならないで」
うん、と頷いて頬を撫でられる。湯飲みを置いて、見失いたくない身体を抱き締める。
「昔よりも臆病になったと思う?」
「思う。けれど、優しくなったよ。優しい事と弱いことは一緒じゃないと思うし、臆病は弱さじゃないと思うよ。臆病なら、安全策を取るでしょう?治さんは昔から、最少の犠牲で乗り切る人だけど、次に誰かが犠牲になったら、貴方が折れちゃう」
「一番怖いのは……」
云ってしまえば、善いのだろうか。
「無理に云わなくて善いよ。私達は、夫婦だもの」
何と無く伝わる、と肩を竦める。
「治さんが居て、って云う限り居るよ?それは昔から変わり無い、私の意志だから」
「卯羅、あのね」
「なあに」
「最期まで居て」
この事に言及する度に私は弱くなる。
卯羅には生きていて欲しい。私なんかから離れて、幸せに。だが、彼女が離れる事を私自身が許さない。永遠に私の傍に居て欲しい。
「最期までお付き合いしますとも。私も、治さんが居なきゃ、生きられない」
彼女の指がそっと私の頬に伸びる。それから拭うように動いた。
「言い出しっぺが泣くんじゃありません」
「欠伸だよ欠伸」
「浪漫が無い人」
額を合わせる。僅かに鼻が触れ、目を閉じる。睫毛が絡みそうな距離で存在を確かめる。
「卯羅」
「んー?」
「愛してる」
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