偶発と不条理のお姫様

「安吾、これだけは知っておいてくれ」

「何でしょう。珍しく改まって」

 馴染みの酒場へ、久しぶりに呼び出されたと思ったら、変に深刻そうな昔の友。

「卯羅に就いてだよ」

「卯羅さん、ですか」

 太宰くんの奥方。元ポートマフィア幹部秘書、旧姓 尾崎卯羅。僕も知った人物ではある。

「ですが、僕は彼女の経歴洗浄も担当しました。今更知るような事は……」

「なら、何故卯羅がマフィア幹部の娘なのか、知っているかい?何故私が卯羅を妻にする程愛しているか、知っているかい?」

 答えは否だ。彼女の経歴には不審な点があった。だがそれが有ろうが、無かろうが、浄化される部分は決まっていた。

「卯羅はね、私を常に魅了する女性なんだよ」


 そう。卯羅は私の持ちえない、満たすことの出来ない部分を満たしてくれる。

 幸せな家庭に産まれた女の子が、異能力を持った事で棄てられる。こんな理不尽が世の中には罷り通るのだよ、安吾。

 ふふ、そうだよ。卯羅は棄てられたんだ。いや、元両親は意図していなかったかもしれない。ただ、身体検査の為に預けた。そのつもりだったろうね。森さんに依ると、そう月が経たない内に、連絡を寄越したらしいから。

 まあ、この『卯羅』という愛らしい名前も、本名じゃあない。少々語弊はあるが、或る時点で改名した。余儀なくね。

 この時点で何かに気付かないかい?これぐらいの子は無数に居るだろうけどね。あの組織には。うん、続けようか。

 卯羅の異能、あるだろ?あれ、凄く勝手が善いんだ。卯羅が森さんに預けられたのは、あれの所為。その後マフィアに引き取られたのもね。そうだよ。マフィアに引き取られたんだ。

 森さんに預けられた夜、卯羅は自分の身の上に絶望し、自ら異能を振る舞った。まるで眠り姫が糸車で指を刺すようにね。森さんから聞いた話だと、とても可憐な花冠を被って倒れていたそうだよ。可憐な花冠で、自分に忘却の呪いをかけたんだ。忘れたのは、森さんに預けられる迄の記憶だ。つまり、自分が何者かすら解らないが、それ以外の人物については判別が可能、という不可解な状態に陥る。十歳を少し過ぎた女の子に付け入るなんて簡単な事さ。記憶喪失の混乱も相まって、素直に姐さんが母であることを受け入れた。


「ということは、卯羅さんの物として存在する経歴、いや戸籍の方が適切か……それが二つ存在するという事ですね?」

「そ。龍頭の時に、死体が発見されず、遺留品だけ処理をした女の子が居ただろ?」

「居ました。確か名前は……」

 記憶の引き出しを漁る。「池部、雫……」

「流石は参事官補佐だ。大当たり。あの遺留品もね、でっち上げだよ」

 僕に古びた名刺入れと、花のブローチを遺留品として私に差し出した太宰くん。『池部雫。最下級構成員らしい。死体は酷い有り様だったよ』そう云って、南無、と手を合わせた。よく覚えている。


 森さんはね、雫ちゃんを殺したかったんだ。行方不明届けを出され、連れ戻される可能性を排除するためにね。あの抗争の後、元父親から連絡が来たのだけど、何と説明したと思う?

「抗争により診療所が襲われて、彼女も亡くなった。剰りにも無惨な姿だから、御遺体は渡せない」

 だって。死亡診断書を送り付け、死亡届が提出される。これで池部雫は死んだ。

 卯羅はそんな事実を知らない。名前も素性も知らない他人が死んだ。それだけ。森さんの意地の悪い所が、その電話のやりとりを彼女に聞かせたんだ。無論彼女の名前は出していない。けれどね、記憶の奥底の、無意識の区分域には未だ雫ちゃんは生きている。よく云うだろ?臓器はその提供者の記憶を宿しているって。血相変えて執務室に戻ってきた時は何かと思ったよ。すぐに合点がいった。それで私は、森さんから預かっていた、雫ちゃん──卯羅の経歴書を渡した。失った十二年のね。錯乱しそうな卯羅に云ってやったんだ。「君は尾崎紅葉の娘で、私の世話人だろ」って。そしたら少し落ち着いて、頷いて、事実を受け入れた。その経歴は他人の物であるというね。

 彼女は自分自身を否定した。それ以降、卯羅はその事に関して言及したり、探ろうとする事は無かった。

 でもね。この間、それが崩れた。


「福沢社長から報告は受けています」

「あの後、私は卯羅が知ってしまった物を肯定した。一時的に。その三秒後には"捨てろ"と諭してあげたけどね」

 何故太宰くんが、そこまで卯羅さんが空白を埋めようとする事を拒むのか、理解できない。

「君の疑問に答えてあげよう。卯羅はね、不条理に愛されているからだよ」


 仮に、私が雫ちゃんを肯定してやったらどうなる?私は最大の嘘吐きになる。それは別に善いんだ。大した問題じゃあない。一番の問題はね、姐さんの娘という立場が崩れる事だよ。対外的には崩れはしないさ。養子という形だしね。卯羅の中でだよ。また彼女は「私は誰?」という自責を始める。

 澁澤という男が居たろ、君たちが飼い慣らされてた。彼は過去を求めて歩くうちに身を滅ぼした。空白の向こう側、それは死だった。不思議な事に、卯羅の異能力も、大量殺戮が可能な能力だ。そうなると特務課は卯羅を始末するだろ?それを避けたいのが第一。

 次にだ。その満たされない欲求が、何かしらの形で満たされた時、人はどうなると思う?新たな欲望の現れだよ。それにね、その満たされ方が、意図にそぐわない場合、拒絶し、それは負の力に変わる。

 彼女が、自分の出生は嘘で塗り固められ、一番の大嘘吐きは私だと知った時。楽しみじゃないか。私を殺すのか、私への不信感を抱かせた周囲を殺すのか。ふふ、素敵だろ?


「偶然、異能力が発現し、偶然、父親が先の大戦に従軍していて、偶然、森さんと知り合っていた。どうだい?まるで神が卯羅を、偶発の象徴にでもしたがっている様じゃないか」

「太宰くんが神に対して言及するなど、珍しいですね」

 捲し立てるように語った彼は、蒸留酒を一気に煽ると、静かに、居ない筈の旧知の人の席を眺めていた。

「不条理と偶発でこの世は成り立っている。彼がそう教えてくれたよ」


 あの一件から、立案した作戦に幾分かの余裕を持たせるようになった。前よりも顕著にね。

 甲という現象に対して、次が丙になるか、乙になるか。それは、誰がどう動き、何が干渉し、渦中の人物がどう考え、思うかに依る。

 私はそれを織田作と卯羅から教わった。

 世話人として私の治療と助手を押し付けられ、連れ添いながら、その男に肩を入れてしまった。実らないかもしれない想いを抱え続け、要求に応える。

 自分で云うのもあれだけどね、彼女は私が有事の時は命を擲つよ。

 私は卯羅が無事で、傍に居てくれればなんだって善いのだけどね。

 話が逸れたね。卯羅は、「太宰ならどうするか」「何が太宰の望みか」を考えて動く。けれど私の予測通りにはならない。結果的にはなるけれど。


「という訳だ。どうだい?私のお姫様は」

 この太宰という男は。

 あの事件の後、僕は彼を含めた首謀者三人を『異星人』と称した。我々とは全く異なる頭脳を持つ、という意味で。

 常勤逸している。

 それが素直な感想だった。確かに昔から哲学者めいた苦悩と、思考の鋭さは見せていた。だが、それとは異なる。

 一人の女性を自分に執着させているのではない。

 "一人の女性を自分の好みの駒に育て上げた。"

 その表現が正しいように思える。

「安吾、考えすぎだよ。卯羅が私に惚れて尽くしてくれたのも偶然。私がどんなに秀麗な男だとしても、素行は悪行の極みだ。好いた女性に汚泥にまみれた部分まで見ろ、何て云えるかい?」

「……彼女を抱いたのも、太宰くんの気紛れだと云うのですか?」

「あれはね。卯羅が私を求めたから。私は止めたよ?でも泣きながら懇願するんだ、無下に出来ないじゃないか。女性が求めてくれって云う勇気はね、汲んでやらないと」

 行きずりの婚姻。

 そう聞こえる。

「その後は誤算だったよ。私も卯羅が欲しくて堪らなくなった。そして気付いたら、この世で彼女と一番深い関係になっていた。今じゃ、こんな宝飾品に束縛される程に愛してしまった」

 あの時はしていなかった指輪が、橙色の灯に照らされて輝く。

「卯羅を取り巻く偶発性は、私にとっては新鮮だ。私が最も苦手とするものと云っても善いだろうね。緻密に策を講じれば、それだけ偶発性には弱くなる」

 言葉が出なかった。何と返せば善いのか、探るにも探れない。彼の異常性とも云える性質に冷や汗が出た。

「話してたら卯羅に会いたくなった。私は先に行くよ。今日の話は、君だけの中に収めておいてくれ」

「しませんよ。いえ、出来ません。思考の処理が追い付きません」

 なら善い、と片手を振って、出口への階段を上がる。その背中を眺めながら、十年程前から緻密に組み上げられた、まるで彼の"紫の上"を作り上げる計画を、どう整理すべきかぼんやりと考えた。

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