揺れる湖に寄せて

 バギーは、日の沈みかけた空の下を走っています。

 周囲は背の高い木々で覆われており、視界を覆う緑色が今の時間を超えた暗さを演出していました。


 この暗さで、運転に支障は出ていないのでしょうか。少し心配になって運転席の方を覗くと、座っている青年は心底眠たそうに目元をこすっていました。


「……トイ、今日は早めに休息を取りましょうか」

「あー……それで頼む先生。どこか、休めるところがあれば──」


 少し間の開いた、疲れたような声でトイは返しました。ううん、これは間違いなく重傷です。場合によっては、私が運転を代わるところまで考えてる必要があるかも知れません。

 どうしましょうか、そんな風に考えを広げようとして。それよりさきに、ぱっと視界が開けました。


 広々とした空間を贅沢に使って、湖が1つその水面を揺らしていました。

 囲むように、いくつかの焚き火跡。丁寧に消された物から、燃えかすをほぼそのまま置き去りにしたような物まで多種多様です。

 前の国では、こんな場所が近くにあるとは聞いていませんが。森の奥ですしあまり知られていない場所なのでしょうか。


「では、ここで。ぱぱっと用意してしまいましょうか」

「ふぁい……」


 休めると聞いてかどっと眠たそうな声を発するトイ、そんな彼の背中を軽く叩きながら、私たちは用意を始めます。

 火起こしと、水の用意。火付け用の道具やろ過装置も、旅の中でいいのを用意できたのもありますが。最初の頃と比べて随分手際が良くなったなぁ、と時々感慨深くなります。


「薪に話聞いたけど、最近は人の出入りがないんだと」

「おや、それは助かりますね。もちろん油断してはいけませんが」


 旅に出始めた頃と違うことが、もう1つ。トイのおかげで、野営地に最近人が入ったかを確認できることがあります。

 人が頻繁に入る場所は、土地としては安全かも知れませんが。頻繁に出入りしている人の中には危険な人もいる可能性があります。私だって道に死体があれば軽く漁るくらいのことはしますから、死体を作るところから始める人も、きっと。


 水は沸騰させた後、トイがどこかで買った葉っぱで色をつけます。

 味が良くなる──とのことで、味覚の方はよくわかりませんが。なんとなく食欲をそそるようなにおいがするのはわかって、それがちょっとうれしい。


「……あれ、前のとにおい、また変わりました?」

「あー、なんだっけ、あの……そう、グルメの国で買ったやつだ」

「ああ、あそこですか……納得です、道理でいいにおいだと」


 何があったか思い出しやすくするために、行った国には勝手に名前をつけています。

 グルメな国は料理が盛んで、国中至る所からいいにおいが漂っていました。外の人に食べ比べをしてもらって公平に優劣をつける風習もあり、私とトイもいくつか食べさせられたものです。


「あの国、私1人で行ってたら追い出されていたでしょうね」

「……ネタにしにくいからやめてくれ」


 携帯食料をかじりながら話す私に、彼は苦笑いで返します。

 旅人からはあまり好まれていないこの携帯食料、栄養と腹持ちはいいけれど、味がどうしようもないとのことで。の私にとっては、あんまり他の物と大差は無いのですが。


「別に誰彼構わず振るわけではないですし、トイにならいいですけどね」

「親しき仲にも、ってやつだろ。それに恩義もある」

「そういうものですか」


 そういうもんだよ。と返しながら、彼は不満げな顔でかじります。食感、いいと思うんですけどね。


「寝る順番は……俺が先でいいか?」

「ええ、もちろん。そのために休憩を取ったのですから」

「じゃあお言葉に甘えて」


 言うが早いが、彼はすぐに眠りにつきました。

 夜の世界が、取り残された私を見つめています。前までは、この時間が──1人で食事をして、寝るまでの時間がとても不安でしたが、今は少しだけ楽になりました。


 ふと、眠っている彼のことを見ます。安らかな寝顔です、私の寝顔とは大違いですね、苦しそうって言われてしまいましたし。

 ……こうしてみると、なにも変なところはありません。ですが、私は知っています。彼が自分で見ることのできない、背中の方。普通に生きていてはつかないような、傷があることを。


「……あなたが故郷に戻った時、そこでなにかがあった時は」


 絶対に、私が守って上げますからね、と。

 静かに眠る彼に向けて、私は小さく呟くのでした。

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