老兵は死なず 7
「あのコロニーは、きな臭い。率直にいえば、住人たちが屍に協力しているふしがある」
仮眠をとってからオフィスに顔を出した俺に、市ヶ谷枢機官はそう言い放った。あいかわらずビリヤード台の前でキューを構えながら。
「たしかに、事件はどちらも自殺のようですから、屍が直接だれかを殺したとはいえないし、あそこになおも潜伏しているとしたら、住人が匿っているのかもしれませんね。そういえば、仁も言っていました。この屍には、殺意が稀薄だと……」
「へえ、病葉くんが」
かつん、と市ヶ谷枢機官はキューで白球を撞き、景気よく球の集合をばらけさせた。いくつかの球がポケットに吸い込まれて姿を消した。
「つまり、あそこは反乱分子の巣窟ってわけですか?」
「さあね、そこまでいえるのかどうか……。ただ、いまのところあのコロニーの外に被害は出ていない。だったら無理に介入せず、少しだけ様子を見てみようか。ま、恐れ多くもシステムを代弁するとしたら、そんなところでしょうね」
「泳がせるってわけですか。自殺とはいえ、屍が関与して人が死んでいるのに。自殺の理由もいまのところ不明です」
「あそこの住人たちがよからぬことを考えているなら、警戒していないあなたたち二人にあの場で捜査を続けさせるのは、少々危険なことだったかもしれない。罠の可能性もあるからね。だからさ、不完全燃焼で撤退させたからって、そんなにふてくされなくてもいいじゃない。機嫌なおしなよ、大人なんだから」
「別にふてくされてなんかいませんが……」
「あ、そう。じゃあ、また張り込みお願い。ただし、今度はもう少し近くからね。以前のポイントからは、アンテナに引き続きコロニーを見張らせている。それ以外にも、付近に何人かアンテナを配置しているから。ま、あくまで監視要員だけど。なにかあったとき、現場で対処するのはあなたたちだから。捨て石の誉れね。喜んで泥をかぶりなさい」
「了解しました」
市ヶ谷枢機官は、キューの感触を確かめるように掌に打ちつけて、いたずらっぽく微笑んだ。
「なにが様子を見るだよ、捨て石だよ、ふざけんなよ、クソったれめ。了解できるかよ、タコが」
「タコ? 市ヶ谷枢機官のことでしょうか。軟体動物に似ているとは思えませんが」
車内で俺が毒づくと、そのいいかげんで場当たり的な愚痴に、助手席の病葉が生真面目に答えた。
「枢機官のことじゃねーよ。その背後の、システムの摩訶不思議で珍妙なる指揮系統と、そこから繰り出される命令のことごとくが、ぐにゃぐにゃでうにょうにょでねちょねちょで、気持ちの悪い八本足なんかよりもよほどこんがらがっていてわけがわからないってことを言ってんだよ。タコが。タコどもが。タコシステムが」
「盛大なる不敬な罵倒ですね」
「悪いか? 文句あるか? 上に報告するのか?」
「別に……。結局は指示どおり動いているわけですから。システムの導きがなにほどか阻害されたわけでもない。駒が無口だろうが減らず口を叩こうが、大した差はありません。どう動くか、それだけです」
「なるほど……。撤収を拒むのとはわけが違うってか。俺はちょっとばかり愚痴っぽいかもしれないが、どうあがいても、都合がよくて使い勝手のいい駒にすぎないってわけだ」
「そのとおりです」
「タコが。タコどもが。おまえもタコだ。タコの死体だ。冷えきったシーフードカレーの具材みたいな冷血漢だ。胸くそ悪い……」
病葉のいうとおり、俺たちは殊勝な心掛けの駒として、言われたとおりに張り込みに励んでいる最中だった。以前のマンションよりもコロニーに近い場所で、停車した車の中から様子をうかがいながら、時おりぶつくさと文句を言っているだけだった。
「しかし……本当にこれでいいのか? この期に及んでも待つだけなのか? 人が死ぬかもしれないのに」
「秩序の守り手は受け身にならざるを得ませんから。われわれはあくまで、なにかが起こった後に動くことしかできません。待つのが基本ですよ。それにね、あそこには戦傷病者しかいません。コロニーはシステムにとっては重荷なんですよ。戦争経験者たちの声を、システムは忌避する傾向がありますから。あそこの人間がどれだけ死んでも、システムにとっては痛くも痒くもない。勝手に自滅してくれるなら、むしろ好都合でもある。この機会に、屍の騒ぎに便乗して、片づけられるだけ片づけておこう。そう考えていても、不思議ではないですね」
「まさか……いくらなんでも、そんなことあるか?」
「さあ、どうでしょう。あくまで僕の憶測ですから」
「おまえの憶測に根拠はあるのか?」
「死体の勘です」
「勘、か。俺にはなにもわかんねえよ。なにが正しいのか……」
「だれにもわかりませんよ。システムの
「測りがたい、だろ。まったく、胸くそ悪い話ばかりだな」
こんこん、と車の窓がノックされた。話に夢中で、近づいてきた人影に気づかなかったのだ。
「え……菊地さん?」
「どうも」
車の窓を開けると、片腕のない老人、菊地憲貴はこちらに向かって小さく会釈した。
「お仕事ご苦労さまです。私たちのコロニーを見張っているのでしょう? これ、差し入れです」
そう言って、菊地さんは左手に提げた袋をこちらに差し出した。
「おはぎです。お口に合うかはわかりませんが。本当は、お茶と一緒にお出ししようと思っていたのですが、いかんせん先日はばたばたしていて、そんな暇もなくて」
菊地さんは申し訳なさそうな表情でそう言った。どうも、本気で後悔しているような口振りだった。
「……あー、えーと、お気遣いなく。そういうのはちょっと、われわれは受け取るわけにはいかないといいますか……」
見かけは実直で親切そうな人柄にしか見えないが、屍に協力している疑いもある。まさか、毒入りのおはぎってわけでもないだろうが……。
「そうですか。それは残念」
菊地さんは、粘ることもなくあっさりと引き下がった。袋を持った左手を下げて、車の傍らに立ったまま、じっと俺と病葉を見つめている。
「……あの、用件はそれだけですか? まだ、なにか?」
妙な間の悪さを感じて、おれはそう訊いた。そもそも、張り込みの対象であるコロニーの住人に、こんなにも筒抜けであるというのはどうなのだろうか。近くで張り込みしろと命じたのはシステムの方だから、責められる謂れはないとは思うが。
「あなたたちは、殺し合いには向いていませんね」
菊地さんは、草を食む小動物でも眺めているようなしみじみとした目つきで、そんなことを呟いた。
「は?」
「私が持ってきたこれが、爆発物だったとしたら、どうするんですか? 私が武器を隠し持っていたとしたら、どうするんですか? あなた方は、システムが誇る殺し屋集団の精鋭なのでしょう? それにしては、ずいぶん隙だらけで素人っぽいところがありますね。練度が高いようにはとても見えない」
淡々と、菊地さんは言葉を継いでいく。口調がひたすらに穏やかなので、すぐには理解がおよばなかったが――どうも、俺たちは手ひどくこき下ろされているらしい。
「……えーと。菊地さんは、俺たちをどうにかする気で来たんですか?」
「いえ、例え話ですよ。ほんの冗談です。なんだか危なっかしく見えたのでね。他意はありません。気分を害したなら申し訳ない。あなた方は、平和の申し子です。それはやはり、羨むべきことなのでしょうね」
菊地さんはもういちど会釈した。それはなにか、清潔な身振りに思えた。
「おはぎ、食べてもらいたかったんですが。仕方がないですね」
そう言って、振り返りもせずに、菊地さんはコロニーの方へと去っていった。
「……なんだったんだ、あの人は」
「話してみたかったのではないでしょうか。われわれと」
「話す? まあ、老人はみんなそうなのかもしれないな」
「大雑把な見解ですね」
「違うってのか?」
「いえ。多くの老人が、語るべきなにかを抱えたままだというなら、そのとおりだと思いますよ。もっとも、それでも黙ったまま去る人が、大半でしょうがね」
「死体がぺちゃくちゃ喋りだす時代に、それはずいぶんと謙虚な話だな」
ほどなくして、アンテナから連絡が入った。片腕のない老人が、
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