老兵は死なず 5

 投げやりな上司に命じられるがままに、俺と病葉は張り込みをすることになった。人死にのあったコロニー近くのマンションの一室で、またしても俺は死体と顔を合わせていた。

「ここからなら、ある程度は見張れますよ。まあ、三棟すべてを厳密にチェックするとなると、多少の困難はありますが。ここが張り込みに適切なポイントかどうかは、なにを目的とするかによりますね」

「実は、目的の定まっていない張込みなんだが。大丈夫だろうか?」

 自分で言っていて情けなくなった。なんと地に足の着いていない捜査だろう。大学生の自分探しくらいにふわふわしている。

 俺の前にいる死体は、苦笑すらしてくれない。蒼白い顔色の仏頂面で、そうですか、と呟くだけだ。

「なにが目的か定まらないなら、なにが失敗かも定まりませんよ。けっこうなことですね。負けのない勝負ってわけです。思う存分コロニー見物を楽しんでください。特に見応えのある場所でもないですが」

 そう口にする彼は紛うかたなき生きる死体で、縦横無尽に張り巡らされたわれらがシステムの監視網を支える、街のそこかしこに点在する「アンテナ」型の骸だ。「キラー」型の病葉とは違い、荒事向きではない。屍を殺す能力は期待されていないが、大小さまざまのサポートをしてくれる、俺たちにとってもありがたい人材だ。たまに近隣住民から屍や亡者と誤認されて、通報されるという苦労もあるようだが。しかしもちろん屍者であり、俺の背後の相棒もまた屍者であり、照明も点けず暗いままの殺風景なマンションの一室に生きた人間は俺ひとりであり、なんとも索漠たる職場だと言えた。いまさらではあるが。

 部屋は暗く外も暗い。すっかり夜だった。電子機器のランプの光が蒼白い骸ふたりの顔をぼんやりと照らし、死体嫌いが悲鳴をあげそうな冷気の漂う光景を呈してはいたが、あいにく俺はもう慣れてしまっているので、それに関してはなにも感じない。なにか感じた方が健全なのだろうか? 死体に囲まれる職場において、健全の尺度はどう定めればいいのか。悩ましいところだ。

 閉じたカーテンの隙間から、単眼鏡を覗き込み、向かいに見えるコロニーを観察する。三棟からなる戦傷病者収容施設。どこか無機質な印象を受けるが、無機質ではない集合住宅なんて見たことがない。俺たちがいるこのマンションだって当然のように無機質だ。コロニーは変哲もなく、夜の静けさを湛えている。

「見張るったって……なにを待てばいいんだか」

「ふたつ考えられますね」

 俺のぼやきに、病葉が律儀に反応した。コートを脱ぎもせず、直立不動で立ったままだ。生きた死体は疲れることがないようだ。眠ることもない。永遠の眠りを拒否して、果てのない覚醒に置かれている。その感覚は、想像してもしきれない。

「ふたつって?」

「屍が現れる。だれかが死ぬ。そのどちらかの兆しです。システムがそう見なしたのなら、あそこには屍の気配があるのでしょう」

「いかがわしいな……そこまでわかっていて、待つだけなのか」

「システムがそれを望んでいるようですから」

「システムの御心みこころは測りがたいな」

「これ、どうぞ」

 アンテナ型の骸である彼が、ご丁寧にも俺に缶コーヒーを手渡してくれた。

「あ、どうも。……悪いね、俺だけ」

「お気になさらず。死体は飲み食いを必要としませんから」

 澄ました表情のまま彼は言う。

「とはいえ、亡者や屍は、人を食い殺すことだってあるじゃないか」

「それがわれわれと彼らの違いですね。品性を失った、憐れな屍者たちです。でも、理解はしていますよ。その衝動は、食欲とは関係ありません。食べたいわけではなく、死を広げたいだけなんです」

「俺にはよくわからんね」

「そうでしょうね。あなたは死体ではありませんから」

 嘲るように彼はそう言った。生きた死体たちは、たまにこういった物言いをする。まだ死んでいない人間を蔑むような、憐れむような目線。

「あなたのパートナーなら、よく知っているはずですよ」

 彼は病葉の方をじっと見て言った。死体同士の連帯ってやつか。死を紐帯とした仲間意識。

「そうなのか、仁? わかるか、彼の言ってること」

「わかるとも言えますし、わからないとも言えますね」

「どっちなんだよ」

「どっちでもいいということです。理解しようが、しまいがね。すべてはシステムの導きですから」

 病葉は切って捨てるようにそう言った。アンテナ型の彼は、興味を失ったように病葉から視線を外した。俺は缶コーヒーの蓋を開けた。

「長い夜になりそうだな。ところであんた、名前は?」

 コーヒーを飲みながら俺は彼にそう訊いた。

「名前? どうでもいいでしょう、そんなこと」

「どうでもよくはないだろう」

「どうでもいいですよ。末端のひとりです。使い捨ての死体のひとりです。それだけです」

「そうか。俺は瀬田真司だ。こいつは病葉仁だ。で、あんたの名前は?」

「どうでもいいことにこだわるんですね。……如月きさらぎです」

「よろしく、如月」

 そんなわけで、俺と病葉と如月は、一晩中コロニーを見張ることとなった。


「真司……真司」

 うつらうつらと眠りかけていた俺は、病葉の呼びかける声にはっとなった。

「ああ、悪い。ついうとうとしちまって……」

「見てください、あれ」

 そう言って、病葉は向かいのコロニーを指差す。如月も神妙な顔つきで、同じ方向を見ている。こいつらは、裸眼でも充分に遥か遠くまで見通せるらしい。

 俺は慌てて単眼鏡を覗き込む。

「どれ?」

「あれです」

「だからどれ?」

鈴蘭すずらんコロニーの屋上です」

 言われたとおり、俺は三棟からなる施設の一角、鈴蘭コロニーと呼ばれているらしい建物の屋上を見た。

 二人の人影がそこにはあった。なにやら話し込んでいたようだが、どうやらそれを終えると、連れ立ってゆっくりと屋上の端の方へ歩いていく。

「……おい、まさか」

「ここからではもう間に合いませんね」

 嫌な予感は的中した。二人のうちの片方は、もうひとりの手を借りながら柵を越えて、ためらうこともなくそのまま飛び降りた。夜も更けた闇のなか、老人らしき人影が現実感のない呆気なさで落下していくのを、俺たちは遠くから見守った。

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