老兵は死なず 4

 オフィスで暇を持て余すようにビリヤードをしている上司の姿というのは、部下のやる気を削ぐものだろうか、鼓舞するものだろうか? とにかく、俺の上司はいつもそうだった。見慣れた光景なので、もはや何も感じない。

「で、自殺を幇助したその共犯者は、見つかりそうなの?」

 市ヶ谷枢機官は、キューで白い手球を撞いてからそう言った。長い黒髪がわずかに揺れた。三番の的玉が弾かれ、コーナーポケットに吸い込まれた。ごとん、と虚ろに音が響いた。

「いえ、いまのところは、大した手がかりも有力な証言もありません。気配を殺して潜伏しているようです」

「じゃあ、待ってみようか。どうせ、また人が死ぬよ。事件を起こす。その件は、システムのお達しによれば、かばねの影が濃厚だからね。黒い水脈が背後にある」

「そんな……。わかっているなら、なんとかなりませんか? 人が死ぬ前に」

「じゃあ、張り込みでもすれば? 怪しいんでしょ、老人だらけのそのコロニー。病葉くんにコールがあるまで、見張っといてよ。亡者パトロールくらいなら、他でも対処できるから。運がよければ、死を止められるかもね。好きなだけ近くで待てばいい」

「待つったって……なにをです?」

「なにかを」

 スーツ姿の市ヶ谷枢機官は、キューを斜めに持ち、タップにチョークを塗りながら、関心も薄そうにそんな指示を下した。この女性は、やる気があるんだろうか。屍をせっせと始末するという任務に対して。

 祭壇のように鎮座するビリヤード台から目を離し、俺は人気のないオフィスを見まわした。見事に閑古鳥が鳴いている。泣く子も黙る死体犯罪課も、人手不足には勝てない。不足しすぎだ。泣く子が黙るのも無理はない。呆れているのだ。そのみすぼらしさに。

「市ヶ谷枢機官、そんなに呑気でいいんですか? いつになったら、追加の人員は来るんですか。もはやこの署で、屍を制圧可能な骸は病葉だけですよ。『死にたる者にその死にたる者を葬らせよ』。それが神聖なる掟でしょ? 内海は殺されちまったし。どうすりゃいいんですか。この地区で屍が大量発生したらアウト、一発アウトですよ。病葉がしゃかりきになって始末に励んでもどうしようもない。すぐにパンクです。デッドエンドですよ」

「まあまあまあ。瀬田くん、そんなに焦んなくたって、大丈夫だよ。いま、調整中だから。死体の犯罪はそんなに多くない。生きた人間のおびただしい犯罪件数に比べたらね。応援を呼ぶことだって可能だし。心配しなくても、そんなに簡単に屍の大量発生なんて起きないよ。そんな事態は万に一つもない」

「その万に一つが起きたらどうするんですか」

「死ぬだけだね。君も私も死体も市民も。甦ったら、悪い夢だな」

「枢機官は死なないでしょう。俺たちと違って、特権階級だから」

「どうだかね……。そんな事態になれば、私の首も飛ぶだろうからね。所詮は末端。吹けば飛ぶよな権威の駒に、ってね」

「なんですそれ?」

「まあ、いいじゃない。すべてはシステムの采配だから。死ぬとしても、意味のある死だよ。使命のある死は、恩寵と紙一重だから。内海くんは、輝けるいしずえとして職務に殉じた。清く正しい立派な死体だった。システムの無謬むびゅうを瀬田くんは信じないの?」

「……そりゃあ、信じますが」

「でしょう? なら、焦らずじっくり気ままに死体殺しに励みなさい。正義に加担できる職場なんて、そうそうないんだから。働け、システムの走狗たる若人よ」

 そう言って、市ヶ谷枢機官はビリヤード台に近づきキューを構え、ひとりナインボールを再開した。地獄の蓋が開いて死者がおびただしくあふれたとしても、この人は玉突きをやめなさそうだ。

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