老兵は死なず 3

「それで、そのコロニーに出た屍者っていうのは?」

 助手席の病葉の指示するままに車を走らせながら、俺はそう訊ねた。

「損壊が激しい亡者とのことでして。足を負傷して、這いずりながら呻いているようです」

「そりゃ哀れだ。雨に打たれる子犬のように哀れだ。早いとこ保護して殺さないと」

「僕が殺りますよ」

「へえ、ご親切だね。俺の殺しは信用できない? 足を負傷した亡者なんて、目をつぶったままでも撃ち殺せるけどな。いい的だ」

「ご老体を傷つけるのは、真司は苦手かと思いまして」

 信号が赤になり、俺は車を停めた。

「……老人の屍者なのか?」

「戦傷病者はおおむね高齢ですから。コロニーの住人の大半は、縁者のいない独居老人です」

「……だから、どうだっていうんだ。いつものことだろ。男だろうが女だろうが老人だろうが関係ない。死体を殺すだけだ。死にぞこなった死者に死を告知するだけだ。カイザルの物はカイザルに、神の物は神に。死にたる者は死に。なにが悪い?」

「気分の問題ですよ。最近の真司は、気が昂っているようですから」

「余計なお世話だ」

 信号が青になったが、少し進んだところで、また赤信号につかまった。ついてない。

「しかし、戦争か……。生まれる前の出来事だからな。システムは、戦後にその土台が確立されたんだろ?」

「戦前は、政府と呼ばれていたものが、それにもっとも近いですかね」

「政府ね。旧世代はいまでもそう呼ぶことが多いな。そういえば、じいちゃんばあちゃんからは、戦争の話ってあまり聞かなかったなあ」

「語る人は少ないですよ」

「痛ましい過去の傷ってわけか。だが、政府とシステムは同義じゃないだろう。思考の上層を再定義し、未熟な社会意志を統御する。それがシステムの役割だ。唯一無二の概念だ。そうだろ?」

「それに、死の管理も」

「そうだ。死はシステムの専有物だ。いかなる死も、その権威を侵してはならない」

「肝に銘じていますよ。僕たちむくろは特にね」

「死体が言うと、説得力があるな」

「そうですか?」

 信号が青になり、ふたたび車を走らせる。目的地は、それほど遠くはなかった。


 その高層集合住宅は、合わせて三つ、少しの距離を置いて、墓石の寄合い所帯みたいな様子で建っていた。わにの下歯みたいにも見える。コロニーの風景というのは、どこか索漠とした印象を人に与えるようだ。

「現場はここか。三棟あるけど……」

 車から降りて、高齢者の療養には不適切としか思えない、背の高い無機質な建物を見上げながら、俺はなにかしらうすら寒いものを感じていた。

「このコロニーは三つの区画に分かれていて、それぞれに花の名が冠されています。梔子くちなしコロニー、紫陽花あじさいコロニー、鈴蘭すずらんコロニー。梔子コロニーは中央に見える棟の区画です」

「亡者さんは、おとなしくしてくれているかな」

「遠出はしていないはずですよ」

「そりゃそうだろうな。足をやられているんじゃあな」

 門を抜けて、俺たちは敷地内に足を踏み入れた。

 梔子コロニーに近づくと、建物の玄関から一人の老人が出てきた。屍者ではない、普通の生きた老人だ。片腕がなかった。正確には、右腕の肘から先がなかった。おそらく戦時中に失ったのだろう。

「ああ……あなたたちですね、死体のおまわりさんは」

 犬のおまわりさんみたいな言い草である。まあ、間違ってはいない。この老人は一般市民にしては珍しく、病葉の方を訝しげに見たり、異臭に顔をしかめたりはしなかった。

「すると、あなたが通報してくれたのですか?」

「ええ。血まみれの死体が這いずりまわっているので……。どう処置すべきか、私にはわかりません」

「きちんと死にきってもらうしかないでしょう。その屍者は、どちらに?」

「こちらです」

 そう言って、通報者の老人は、建物の裏手へと歩いていく。俺と病葉はおとなしくついていった。案内された裏手の一角に、ゆっくりと這いずりまわる人影が見えた。苦界になおもこびりつく、妄執に憑かれた哀れな亡者だ。しかも、ひどく年老いた。

「なんというか……ひどい状態だな」

 俺は思わずそう呟いた。亡者は血だらけで、すでにボロボロだ。特に下半身の損壊が激しい。どうも、片足がないようだった。

「砲弾でも撃ち込まれたのか? 足が……」

「いえ、あの片足はもともとです。私の腕と同じ、戦時に失ったものです」

 俺の呟きに答えるように、隻腕の老人がそう言った。

「といっても、ひどい状態には変わりない。屋上から転落したようなのです。残った片足もオシャカになっている」

「ここの住人ですか?」

「ええ。彼のことはよく知っています。彼の名は伊豆丸英吉いずまるえいきち。陽気でお喋りな二等兵です」

「二等兵?」

「そういうあだ名ですよ。内輪向けの冗談です」

 どういう冗談なのかよくわからないが、特に説明する気はないようだった。

「あの亡者……あの屍者に襲われた人はいませんか?」

「いえ。おまわりさんたちが来てくれるまで、ちょっと観察していたんですが。ずっとあの辺りを、円を描くように這っては戻り、這っては戻り、というのを繰り返しているだけで。だれも近づいてはいないと思います」

 あの無惨な姿の、しかも知り合いである屍者が這いずりまわるのを、じっくり観察していたのか。どうすればいいのか戸惑っていたわりには、ずいぶん冷静な一面もあるようだ。

「まあ、それはありがたいことですね。慎み深い、謙虚な屍者で助かった。ここからはわれわれの仕事です。一旦、あちらに戻っていてください。みだりに市民に見せるものでもありませんから」

 そう勧告したが、通報者である隻腕の老人は、その場から動こうとしなかった。

「近くにいてもかまいませんか? 最期を見届けてやりたい」

「ですが……」

「二等兵とは長い付き合いでしたから。お願いしますよ」

 口調は穏やかだが、容易には譲りそうにない頑なさも認められた。以前に出会った、弟が屍者になった女性といい、この人といい、死体を見たがる人間は多数派なのか?

「……どう思う?」

「別に、いいのではないでしょうか」

 小声で病葉に訊いてみると、投げやりな答えが返ってきた。こいつもこいつでずいぶん適当だ。あの三文雑誌の言い草じゃないが、目撃者がシェルショックのような症状を呈したらどうするんだ。

「僕が殺りますよ」

 病葉はコートのポケットからメリケンサックを取り出して、拳に装着した。止める間もなく、機敏な足取りで這いずる屍者へと近づいた。

 それに反応するように、地べたを指でかきむしるようにしてぴくぴく動いていた亡者が、顔を上げた。血だらけで、皺だらけで、理性の光のない、朽ちる寸前の無骨な枯れ木のようなその表情。

「安かれ」

 病葉はそう言って、打ち下ろすように拳を振り抜いた。年老いた屍者の頭が見事に吹き飛び、脳漿を撒き散らした。むくろの馬鹿力による、超近接ヘッドショット。死んだ後も死にきれなかった死体は、ようやく静止した。

 俺は隻腕の老人に目を向けた。動じる気配もなく、無言でじっと、死を全うした死者を見つめていた。

「……ええと。屋上、って言いましたよね? なにか痕跡でもあったのですか?」

 質問するのが憚られる気もしたが、なぜか俺の方が死に呑まれそうな嫌な心地がしたので、ごまかすようにそう訊いた。

「ええ。普段は鍵が掛けられているのですが。どうやったのか、扉がこじ開けられていまして。殺風景な屋上に、彼の車椅子だけが残されていました」

 知り合いの死を見届けたばかりの老人は、嫌な顔ひとつせず、生真面目に答えてくれた。

「飛び降りた、ということですか?」

「おそらくは。ただ、どうにも不可解な点がありまして」

「なんです?」

「屋上の周りは柵で囲まれています。車椅子の二等兵は、片足こそあれ、ほとんど立つこともできない状態でした。ひとりであれを乗り越えられたとは、到底考えられないのです」

「それはつまり――」

「自殺の共犯者がいた。そういうことになりますね」

 頭の砕けた亡者を見下ろしながら、付け加えるように、病葉がそう言った。

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