老兵は死なず 2

 ――そして、追いつめられた屍者を屍者が殺す、血で血を洗うかのごとき凄惨な情景を偶然に見かけたAさんは、いまも悪夢に悩まされ、食事も満足に喉を通らないという。夫婦喧嘩は犬も食わないと諺にあるが、さて、屍者の殺し合いはだれが食べることになるのか。それによって肥え太る利権者は奈辺にいるのか。システムへの不信と疑惑は、深まるばかりである――


「疑惑か」

 俺はメンテナンス中の仁を待つあいだ、廊下のベンチに座り、暇つぶしにめくった三文雑誌の、むくろとシステムをちくちく批判するキナ臭い記事を読んでいた。

 大手の新聞はすべてシステムの統制下にあるから、中立を装いながらも公権力にへつらう、都合のいい言葉だけを読みたければ、そちらを選べばいいわけだが、そんなものばかり読んでいてもつまらないし精神衛生に悪い気もするので、なるべくお膝元のメディアは敬して遠ざけることにしている。いまや犀利な批判精神は、俗悪雑誌の片隅くらいにしか居場所はないようだ。芸能人の二股騒動と隣り合わせの、粛々たるシステム批判。あまりにちっぽけで泣けてくる。象に立ち向かう蟻の一太刀だ。

 まあしかし、嫌味を延々と読まされたって、あまり心地いい気分にはならない。当然ながら。なにしろこちらは、批判対象の相棒である。厄災みたいに自分たちが語られていたら、やっぱり多少は傷つくものだ。

「だれがかばねを始末しようが、血なまぐさいことに変わりはないけどな」

 愚痴りたくもなるが、ほどほどにしておこう。愚痴っぽい男はなにせモテない。モテなくても別に構わないが、わざわざ目指すものでもない。まあ、死臭が染み付いている時点で、モテることは期待できない。諦めよう。

「お待たせしました、真司」

 メンテナンスを終えた、死臭の大本である屍者、むくろである病葉仁わくらばじん、要するに動く死体であるわが相棒が、検査室から廊下に出てきた。相変わらずの蒼白い顔色と無表情。コートを着込み、帽子をかぶり、案山子みたいな印象を与える、現在進行形で死んでいる刑事。

「どうだった、調子の方は?」

「相変わらずです」

「健康体ってわけか」

「どう検査しても死体だそうです。御厨みくりやさんに笑いながら言われました。きみ、どういう原理で動いているの? とのことです」

「俺、あのひと苦手だ。人を人とも思っていない」

「屍者を面白がっているのは確かですが。有能な方ですよ」

「頭のイカれ具合と能力は関係ない」

「それはそうでしょうね」

 俺はその三文雑誌をベンチに放り出して、立ち上がった。今日の署内は水を打ったように静か……というより、俺たちが赴くところは、なぜだか途端に喧噪が止む気がする。まあ、いいさ。どうせ日陰者だ。

「で、指令は?」

「先ほどコールがありました。梔子くちなしコロニーで屍者が発生。死体犯罪課の案件です。ただちに向かうことにしましょう」

「コロニー?」

「ええ。戦傷病者にあてがわれた施設ですね」

「そんなところに屍者か……。少しはいたわりを持って出現してほしいな」

「人は自ら生まれる場所を選べませんし、屍者も似たようなものでしょう」

「死に場所を選ぶやつならいるぜ」

「それが本当に自由意志によるのなら、おめでたいことですね」

「仁って、運命論者なのか?」

「だれもが死ぬという事実は、運命といえるでしょうね」

「屍者になるかどうかも、運命ってことか? まあいいさ。死体が動けば、俺たちの出番だ。よし、行くとするか」

 俺たちは一階まで階段を下りて、駐車場への出口に向かって歩いていった。廊下ですれ違った同僚が、目を伏せて避けるように通り過ぎていった。鼻をつままないだけ、まだしも気を遣っている方かもしれない。

 と、そこで出くわしたくない御仁に出くわした。

「おやおやおやおや、これはこれは。だれかと思えば、死体Aと付き人Aじゃないか。相変わらず臭うやつらだな。蠅がたかっていないのが不思議なくらいだ。どうしてくれるんだ、警察が腐敗しているなんて市民に言われるのは、もっぱらおまえらの責任だぞ。なにも身体を腐らせることもなかろうに」

 面白い冗談でも言ったつもりなのか、少年犯罪課の長門石ながといしが、にやにやしながらつっかかってきた。もちろん眼は笑っていない。この男は俺よりもずいぶん歳上だと思うのだが、反抗期の不良少年のように、こちらの顔を見るたび積極的に罵倒してくる。パンク・ロックにでもかぶれているのか? 不満たらたらの嫌味な中年である。

「病葉は死んではいても腐ってはいませんし、屍者と腐爛死体は別物ですし、比喩表現としての腐敗とも関係ありません。ちなみに俺は腐るどころか死んですらいません。誤解を招くような言いがかりはやめてください、長門石さん」

 俺はしかつめらしい仏頂面でそう言って、さっさとその場を後にしようとした。だが、長門石はなにが気にくわないのか、にやにやしたまま立ち塞がってくる。

「なるほど、腐ってはいなかったか。そりゃ失礼。腐ってるとしか思えない臭いだからな。ところで教えてほしいんだが、いつになったら腐ってくれるんだ? いつになったらおとなしく天に召されてくれるんだ? 生き汚く這いずりまわる屍者に比べたら、きちんと埋葬される死刑囚の方が、よほど行儀がいいし可愛げがあるぞ」

 だれだってあんたよりは可愛げがあるよ、と内心つぶやくが、売り言葉に買い言葉も不毛な気がしたので、口には出さなかった。なにを言おうが、どう応答しようが、この男が因縁をつけてくるのに変わりはない。通り雨みたいなものだと思うことにしている。脂ぎった粘っこい通り雨。

「勝手に天に召されたら困りますよ、公僕なんだから。仕事に支障を来します」

「死体を使役して楽しいか? 腐れた走狗の主人面か? 死者を鞭打つような真似はするなって、母親に教えられなかったのか? 死体に死体をけしかけて、闘犬そこのけのお楽しみってわけか。賭け金はいくらだ? 賭博に溺れる警官はタチが悪いぞ」

 長門石はしつこいくらいに絡んでくる。ストレスの捌け口でも探しているのだろうか。無視したら無視したで、後からけったいな嫌がらせを受けそうだ。本当にタチが悪い。

「闘犬とは言い得て妙ですね。でも、罪の浄化は僕の意志でもあります」

 と、病葉が口を開いた。悪罵を受けても、特に気にしてはいないようだった。いつものことだ。

 自分で話しかけてきたくせに、病葉が応答すると、長門石はにやにや笑いを消して、苛立たしげに眼をぴくぴくさせた。

「……黙れ。おまえに意志なんてあるか。死体のくせに」

 不快げに言って、長門石は数歩、病葉に近づいた。

「なあ、俺は屍者が大嫌いなんだよ。骸だろうが関係ない。見るだけで胸クソ悪くなる。屍者は公害だ。おまえは歩くだけで周りにストレスを与えてるんだよ。一発殴らせてくれないか? なあ、いいだろ?」

 止める間もなく、長門石は拳を握りしめ、病葉の脇腹に打ち込んだ。うっ、とかすかにうめいて、病葉はその場に膝をついた。

「――おいっ!」

「おっと、腐れ駄犬の主人がお怒りだな。口をみだりに開かないようにしつけとけ。さもないと、こっちが調教しなきゃならなくなる」

 それじゃあな、と手をひらひらさせて、長門石はようやく歩み去ってくれた。後ろ姿が見えなくなった後も、俺はしばらくのあいだそちらを睨みつけていた。

「……………………それで、仁。いつまでその体勢でいるんだよ?」

「彼はもう行きましたか?」

「ああ、もう見えなくなったよ」

「そうですか」

 膝をついていた病葉は、すっくと立ち上がって、何事もなかったように、コートの裾を払った。実際、こいつにとっては、何事もなかったようなものだろう。

「うめいたりするから、心配したじゃねーか」

「彼の方がたぶん痛みは大きいですよ。殴打は、殴る側にも負荷がかかりますから」

「なんだってんだ、あいつは……。とんだ野蛮人だ。直属の上司とかじゃなくて、本当によかったよ」

「いちど殴らせるだけで話が終わるなら、慣習化してもいいくらいですけどね。挨拶としては手早い。彼のストレスも軽減されるし、効率的です。――時間をロスしてしまいました。現場に向かいましょう」

「ああ」

 駐車場へと歩き、俺たちは車に乗り込んだ。

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