死体の刑事 2

 車の後部座席に座り、わたしは借りてきた猫のように縮こまっていた。運転席には体格のいい刑事、助手席には黒ずくめの死体。快適なドライブとは言いかねた。もちろん死臭は車内に立ち込めている。

「これをどうぞ。気休めにしかなりませんけど」

 瀬田さんから渡されたのは、防臭マスクだった。ありがたいと言えばありがたいけど……。失礼に当たらないのだろうか、とわたしは助手席の方を盗み見た。

「遠慮しなくていいですよ。こいつは死んでいるし、死体は臭うものです。一般の方は慣れないでしょう」

「……はい。それでは、お言葉に甘えて」

 わたしは素直にマスクを着けた。死臭は少しだけ和らいだ。完全に消えはしなかったけれど。

「瀬田さんは平気なんですか?」

「俺は特殊な訓練を受けていますから」

 冗談のように言って、刑事は笑った。訓練で何とかなるようなものだろうか?

「でもね、屍者の死臭って、甦らなかった腐乱死体なんかに比べると、ずいぶんマシな方なんですよ。そっちはひとたまりもないですから。性質が違うのでしょうね、動く死体と動かない死体とでは。ハエもたかっていないでしょう? 死臭は死臭でも、オルタナティブな死臭なんです」

「次の角、左折してください」

 自分の臭いについて云々されているのを無視するように、助手席の死体から指示が飛んだ。了解了解、と瀬田さんはハンドルを切って道を曲がった。

「あの……弟のことですけど」

 わたしはそう切り出してみた。弟が生き返ったために、わたしは連れて来られたみたいだから。とはいえ、何から訊けばいいのか、よくわからなかった。

「ああ、弟さん。弟さんね。彼、なんで自殺したんですか?」

 こちらが質問しようとしていたのに、逆に訊かれてしまった。ずいぶん無遠慮な質問だった。刑事はみんなそうなのか、この人がそういう性格なのか。

「なんでって言われても……なんででしょう。自殺の理由なんて、本人にしかわからないんじゃないですか?」

 あるいは、本人にもはっきりとはわからないのかもしれない。何をしても上手くいかなかった弟。

「じゃあ、本人に直接訊くしかないか。そんな暇があればの話ですけど。あまり仲のいいご姉弟ではなかった?」

「仲がいいとかの問題なんですかね?」

「いえ、平然としていらっしゃるみたいなので。弟さんの死にも、弟さんの甦生にも」

「そんなことはないですけど……。そう見えますか?」

「そう見えますね」

 きっぱりと瀬田さんは断言した。とはいえ、視線は前を向いている。いちおう、丁寧な運転を心がけてはいるようだ。

「仲は、悪くはなかったと思いますけど。良くもなかったかもしれません。大人になってからは、会うことも話すことも、めっきり減ってしまいましたから。疎遠といえば、疎遠でしたね」

「なるほど。子どもの頃は違ったのですか?」

「そうですね。幼かった頃は、一緒に帰り道を歩いたり、遊んだり、人並みに喧嘩もしたり、もっと距離が近かったと思います。普通の家族ですよ。普通の姉弟」

「普通ね」

「次を右折です」

 助手席の死体は会話には口を挟まず、淡々と道順だけを指示している。会話を聞いているのかもよくわからない。何事にも関心がなさそうだった。黙っていると、動かない死体にしか見えなかった。

「弟は、あまり要領がいい子ではなかったので。学校でいじめられることもあったみたいだし、大きくなってからも、仕事は長続きしないみたいでした。だからといって、こんな死に方をするとは思ってもいませんでしたけど。少なくとも、生きるのを楽しんではいなかったようです」

 なんにもいいことがないじゃないか、と弟は口癖のように言っていた。いじめられて帰ってきたときも、両親が事故で死んだときも。弟にとって、生きることは呪いだったのだろうか。

「なるほど。朗らかな生前ではなかったわけですね」

「ええ。何をしても上手くいかない。猫を埋めたときも」

「猫?」

「一緒に学校から帰っているとき、車に轢かれて死んでいた猫を見つけたんです。埋めたいって、弟がそう言ってきかないから、近くの公園まで猫を運んで、わたしたち二人で埋葬したんです。日が暮れるまで穴を掘って、大変でしたけど、満足感もありました。いのちを弔うことが出来たんだなって。二人で手を合わせて拝んだりもして。でも、数日後に見に行ったら、墓は掘り返されて、猫はいなくなっていました。動物の死体を埋めないでください、そう書かれた立て札が代わりに現れていて。知らなかったんですね、勝手にそんなことをしたらダメだって。バカでしたから、わたしたち二人とも」

 何をしても上手くいかない弟と、何をしてもほどほどにしかならないわたしは、小さないのちすら、満足に葬ることが出来なかった。死はわたしたちの手に余るのだ。

「見えてきました。この辺りです」

 助手席の死体がそう告げた。死体のように静かな、閑静な住宅街だった。没個性の群れ。奇抜な色合いやデザインさえもが凡庸に呑み込まれてしまうような、国中にあふれている住宅街のひとつ。人の気配はなかった。

「周辺住民は避難したようです」

「そりゃありがたい。流れ弾の心配はしなくていいってわけだ」

 瀬田さんはゆっくりと車を走らせていく。獲物をつけ狙う肉食獣のように、物欲しげに住宅街を徐行する。

「ああ、いたいた。わかりやすく徘徊していらっしゃる」

 瀬田さんの言葉どおり、前方にだれかがいた。ふらふらと裸足で歩いている。その足も、手も、顔も、すべて蒼白かった。眼はうつろ。焦点が合っていない。口は半開き。言葉は喋りそうにない。弟と同じ年頃の成人男性だった。

「亡者です。理性を失った屍者ですね。脱社会型甦生者だつしゃかいがたそせいしゃ。あれの退治も、われわれのパトロールの一環でして」

 瀬田さんは路肩に車を停めた。さて、と慣れた手つきで拳銃を取り出し、ドアを開けて車の外に出ていった。酔っ払いのようにふらついている死体に、拳銃を手にした瀬田さんは、気負った様子もなく近づいていく。

 それはそうと、こちらはこちらで、車内に死体と二人きりだった。マスクをしていても死臭は香る。喪のような沈黙。気まずかった。

「あなたは餌です」

 ぽつりと、助手席の死体がそうつぶやいた。一拍遅れてから、わたしに向けられた言葉だと気がついた。初めて話しかけられた。

「……はい?」

「真司は保護と言っていましたけど。半分は嘘です。かばねは縁者のもとに現れることが多いですから。あなたにおびき寄せられることを期待しているんです。こちらも二名殉職していますから、ああ見えて、殺気立っているんですよ。民間人の安全よりも、かばねの抹殺をシステムは優先しています。だから、あなたは餌なんですよ、春日井美春さん」

 助手席の死体――病葉わくらばさんは、淡々とそんな内情を話す。

「……よくわかりませんけど。わたしたちの安全のために、かばねを退治するんじゃないんですか?」

「違いますね。死者は死ぬべきだというイデオロギーのために、かばねを抹殺するんです。それ以外は、瑣末なことですよ」

「あなたは――あなたも、死者なんですよね?」

「いつだって労働力は不足していますから。猫の手も借りたい、といったところです。特に汚い仕事はね。死体を殺すために死体の手を借りるわけです。働かざるもの、生きるべからず……。ゾンダーコマンドみたいなものですね」

 ぱん、と気の抜けた音がした。車外を見てみると、瀬田さんの構えた拳銃から硝煙がたちのぼっている。さっきまでふらついていた死体が、その場に倒れていた。瀬田さんは死体に近づき、頭に拳銃を向けた。ぱん、ともういちど銃声がした。アスファルトに黒ずんだ染みが広がった。

 瀬田さんは運転席に戻り、車内の無線機をいじくり始めた。

「亡者を一名始末。当該地点に清掃班を送ってくれ」

 ふう、と瀬田さんはひと息ついて、拳銃をしまった。それから、わたしの方を振り向いて、にっこりと笑った。

「亡者退治を見るのは初めてですか?」

「……ええ、こんなに間近で見るのは。いつも避難する側でしたから」

「それでこそ模範的市民です。ご協力に感謝します」

「あの、かばねと亡者は違うんですよね?」

「まあ、分類上はね。でも似たようなものですよ。理性の多寡たかはありますが。知恵のまわる狂犬と、知恵のまわらない狂犬に、本質的な違いはありません。どちらも駆除対象ですよ。かばねの方が、少々厄介ではありますが。あの亡者も、おおかた自殺者じゃないですかね。だれにも発見されないまま、甦ってしまったのでしょう。一億総自殺社会、なんて揶揄がはびこるくらいですから。まあ、それは大げさな話ですけど」

「真司、コールです。車を出してください」

 病葉さんが言った。さきほどの饒舌が嘘のように、また黙り込んでしまった。

 餌……。さっきの話、瀬田さんに話してもいいのだろうか。不可解だった。居心地の悪い当惑が、わたしをなおさら縮こまらせた。

「はいはい。人使いが荒いね、われらが父なるシステム様は」

 病葉さんの指示を受けて、瀬田さんは車を発進させた。

「コールっていうのは……?」

 わたしは好奇心にかられて、そんなことを口にした。

「ああ、こいつ、天の声が聞こえるんです。むくろはシステムとつながっていますから。お呼ばれしちゃうわけですね。召命みたいなもんですよ」

 わかったようなわからないような、冗談のような言葉を並べて、瀬田さんは車を走らせる。横たわったままの死体が遠ざかっていく。住宅街の只中で、血だまりに伏した亡者の死体。周りからちらほらと、人影が集まってくる。避難していた住民らしい。わたしたちの方を眺めている。日常に現れ、日常から去っていく、システムの手駒を、死神の馬車を見るように眺めている。

 その視線は冷たかった。

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