骸と屍

koumoto

死体の刑事 1

 弟が死んだ。自殺だったそうだ。そう知らされた。

「せめて、一目だけでも。死顔を見ることさえできないんですか」

「申し訳ありません。規則ですから。危険がある以上、致し方ないことです」

「家族が死んだのに……」

「ご愁傷様です」

 職員の言葉は冷たかった。でも、それが当たり前の対応なのだろう。死者には甦る可能性がある。留置場で三日間過ごす、それが死者の義務だ。それでようやく弟の永眠は認められ、埋葬される権利を与えられる。両親が事故で亡くなったときも、そうだった。

 わたしは無駄な努力を諦め、扉越しに弟への別れを告げた。死の実感はわかなかった。ひどく遠かった。弟も自分も。


「……うん。遺体の処理も埋葬も、ぜんぶシステムの方でやってくれるから。おばあちゃんは、わざわざこっちまで来なくてもいいよ」

「でも、そんな……孫が死んだっていうのに」

 電話口から聞こえる祖母の声は、かすかに震えていた。泣いているのかもしれない。祖母は、死を実感しているのだろうか。わたしにはわからなかった。

「仕方ないよ。死んでしまえば、身柄はシステムのものだから。もう、わたしたちの手は届かないんだよ。たとえ家族でも」

 他人事のように、わたしを阻んだ職員のように、噛んで含めるように、わたしは祖母に言い聞かせた。マニュアルを読み上げているような空々しさだった。

「……無葬式むそうしき無慟哭むどうこくって、政府はことさらにうたったものだけど。ずいぶん寂しい世の中になったもんだね」

 祖母の若かりし頃は、まだ葬式が一般的だったという。だれかが死ぬたびに、祖母は愚痴っぽく昔語りをする。そういう時代があったということは、わたしももちろん知識としては知っているが、やはり実感がわかなかった。いまや葬式は希少品だ。

「死者が死者だった、古き良き時代? でも、それはもう終わったんだよ。昔の夢に、いつまでも引きずられるわけにはいかないし。だから、わたしが死んだとしても、おばあちゃんは泣かなくていいんだよ」

「そんな縁起でもないこと言って。やめなさいよ。順番からいえば、わたしにお迎えが来るのが先ってもんだよ。それが自然なんだ。娘や孫に先立たれるのは、もう御免だよ」

「そうなのかな。まあ、それでもいいけど。おばあちゃんも、ちゃんと死ななくちゃだめだからね。生き返ったりしないでね」

 わたしは電話を切り、ソファーに寝転がった。天井を見つめる。のっぺらぼうの天井。索漠と無表情だった。

「あー……」

 気怠い声を出してみる。空気が揺れて、また静まる。一人きりの沈黙。まったくの凪。眠くはないのに、動く気になれなかった。

 わたしは仕事を辞めたばかりだった。何年もこなしていた事務の仕事を、ぷっつりと糸が切れるように辞めてしまった。大した理由はない。大した熱情もないまま続けていたので、終わる時もあっさりしたものだった。それだけだ。

 無趣味にコツコツ機械的に貯めたお金や、亡くなった親の遺産などがあるから、とりあえず生活はできた。問題は、とりあえず生きているだけということだ。何もやる気が起きなかった。何も欲しいと思えなかった。何も望みを抱けなかった。

 祖母にはそんなことは言っていない。言ったところで、どんな反応が返ってくるかはわかりきっている。「おまえもそろそろいい人を見つけたら?」デッドエンドだ。だれかに会いたいとも、わたしには思えない。

 死んだ弟のことを思い出す。首を吊って死んでいたそうだ。早期に発見されたのは僥倖ぎょうこうだった。すでに事切れてはいたが、腐りもせず、生き返ってもいなかったようだ。何をしても上手くいかなかった弟も、死に際しては運が向いていたのか。

「別に、わたしも死んだっていいのにな」

 独り言は、宙に浮かんで宙に消える。わたしの気分も、風船のように漂ったままだった。ふわふわぼんやりと夢心地だった。死の実感はわかなかった。両親が死んでいようと、弟が死んでいようと。

 ぴんぽーん、と、思考を断ち切るようにインターホンが鳴った。億劫ではあるが、わたしは立ち上がった。モニターは点灯していない。マンションの集合玄関ではなく、この部屋の扉の前で、だれかがインターホンを鳴らしているようだ。不審だった。

 玄関ドアの覗き穴から外を覗いてみる。スーツ姿の若い男が立っていた。がっしりした体格に、それを持て余しているような困り顔。目つきは鋭いのに、顔立ちは柔和だった。その男の陰にもう一人、だれかが立っているようだが、そちらの人物はよく見えなかった。ぴんぽーん、とインターホンがまた鳴った。

「はい……」

 わたしは扉を開けた。一人暮らしの女性としては、不用心かもしれない。とはいえ、いちど立ち上がってしまうと、無視する方が面倒に思えた。そうするのなら、最初から動かずにいるべきだった。動き出してしまったら、静止に戻るのが億劫になるのだ。どうせ奪われて困るものもない。それに、少しだけ気になることがあった。

 扉を開けると、異臭がした。こころが落ち着きをなくすような、人心を乱すような特徴的な臭いがうっすらと辺りに漂っていた。

「お忙しいところすみません。春日井美春かすがいみはるさん、ですね? 警察の者です。われわれはシステムの末端です。安心してください」

 スーツの男が警察手帳を見せながら、そんなことを言った。何をどう安心していいのかよくわからない。

「はあ……。警察の方ですか。何かご用ですか?」

「単刀直入に言いますと、あなたの死んだ弟さんがかばねになりました。甦生した死体が留置場を脱走。見張りの警官が一名、対応に当たったむくろが一名、あなたの弟さんに殺害されました。目下逃走中です。あなたにも危険が及ぶ可能性があるので、われわれが保護します。安心してください」

 いきなりすぎて、何を言っているのかよくわからない。思考を整理するのに時間がかかった。かばね? 脱走? 弟が?

「生き返った、ということですか。わたしの弟が」

「そのとおりです。残念ながら、かばねに生きる権利はありませんがね」

かばね……」

反社会型甦生者はんしゃかいがたそせいしゃ。いわば、狼のような屍者ですね。ご愁傷様です」

 ぞんざいなおくやみの言葉を述べて、男はちらりと腕時計を見た。

真司しんじ、コールがありました。騒動のようです。現場に向かいましょう」

 後ろに黙って控えていたもう一人の男が、初めて口を開いた。

 わたしは無遠慮に、その男をまじまじと見つめてしまった。黒い中折れ帽に、黒いコート。そして蒼白い肌。案山子のような、鴉のような、神父のような、なんとも異質な存在感を放っていた。そして、臭いも。異臭の源はこの男のようだった。

「そうか。慌ただしいな。春日井さん、早速ですがわれわれについてきてください。なにか訊きたいことがあれば、車の中ででも……」

 わたしの視線が黒ずくめの男に注がれているのを見て、ああ、とスーツ姿の男は気づいたように笑った。

「心配しなくてもいいですよ。こいつはむくろですから。秩序奉仕型甦生者ちつじょほうしがたそせいしゃ。羊のような屍者ってわけですね。安心してください」

 安心しろと繰り返されたところで、安心できるわけでもない。すると、この人も死体なのか。好奇心から扉を開けてみたら、思わぬ死臭に出くわしたわけだ。

「名乗るのが遅れました。瀬田真司せたしんじという者です。こいつは病葉仁わくらばじん。われわれはシステムの手足です。ご同行願います、春日井さん。われわれが責任を持って、あなたの弟さんを葬ります」

 瀬田という男は、一方的にそう告げた。何をしても上手くいかなかった弟は、死ぬことも上手くいかなかったらしい。

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