第9話 佐伯さんがいない
私の上で清彦が荒い息を吐いている。
まだ十代のころ、清彦が私のことを求めていたころのような激しいものだった。
ここ最近ではとても珍しいことだった。でもいっそこういう物の方が、私だって熱い吐息を漏らせる。そして清彦を愛していると自分をだませていた。でももうだめだ。
熱い吐息を漏らしているくせに、その時の私はひどく冷静だった。まるで私と清彦の夜の営みを客観的にもう一人の私が見ている。
この状態から私は出ていきたい。そう強く思った。それは清彦との生活が嫌だというのではない。むしろそれはとても良いことのはずだ。
夫は青年医師、そして私も医師で夫というか夫婦で運営する病院もあり、収入だって、かなりいい。玉の輿というのはこういうことを言うんだ。
では何が不満?
そうそれは私の心の在り方だ、私の医師のなり方だ。自分の体を売って学費を稼いだ。いえ、そんな生易しいものではない。私は私自身を友田に捧げた。そして知らず知らずのうちに清彦のことをあたかも愛しているかのようにふるまってきた。皮肉なことに清彦が私のことを気遣うようなことをするから。私は清彦を愛していないことに気付いてしまった。ずっとあの暴力的な交わりをしていれば、私はその快楽のため、今も清彦を愛しているという幻想に浸っていられたかもしれないのに。
「ねえ清彦さん」
「何だい」
「私のこと愛している?」
「なんだそれ」清彦は驚いて。私の顔を見つめた。そしてその顔には当たり前だろという色がありありと浮かんでいた。
「だから言ってほしいの」
「幸ちゃんのことが、僕は大好きだよ」
「好きなだけ。愛してはいないの」
「愛しているよ。僕は幸ちゃんのことを凄ーく、凄ーく愛しています」
私は満足げに清彦の胸に抱きついた。その姿は普通の夫婦と同じなんだろうなと思った、いえ、もしかしたら普通の夫婦よりもよほど仲がいいのではと思った。でもここまで清彦に甘えても、いえ甘えれば甘えるほど。私は清彦のことを愛していないことがわかってしまう、そして 強く、強くこの状態からの解放を願う。
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